第3話 逃亡
処分の日が来た。
朝から王城にはどこか張り詰めた空気が漂っていた。
アティシアは自室の窓辺に立ち、城下町を見下ろしていた。
いつもと変わらない朝。
城門を行き交う兵士。王都を走る馬車。
遠くから聞こえる鐘の音。
けれど、アティシアにとっては何もかもが違って見えた。
あれから、ラルドに何度頼んでも、No.017の処分の決定は覆らなかった。
ならばもう—— 自分で助けるしかない。
「ごめんなさい。お父様……」
朝の日の光に照らされる部屋の中でアティシアは小さく呟いた。
そして、机の上に置いていた剣を手に取った。
腰には長剣。背中には弓と矢筒。
逃げる為に必要な最低限の装備を整える。
全ての装備を整え、準備を終えたアティシアは鏡に映った自分の姿を見つめる。
王女として生きてきた自分。
この城で生まれ、この城で育ち、この国を守るために戦場の他に自ら赴き、戦ってきた。
家族や、自身に仕えてくれている大切な侍女、そしてアティシア専属の騎士達。
そのすべてを捨てる覚悟が、本当に自分にあるのか。
今もまだわからない。
それでも—— 彼女を救うためなら私は全てを捨ててもいい。心からそう思っている。
アティシアは鏡の中に映る自分を見つめ直し、腰にある剣の柄を強く握った。
「……行こう」
誰に言うでもなく呟き、アティシアは部屋を後にした。
地下施設へ続く階段を足早に駆け降りる。
階段を下り地下施設へと辿り着くと、いつもなら研究員や兵士が行き交う廊下には、誰もおらず、妙な静かさがあった。
処分の準備が進められているのだろう。
アティシアは急いで、No.017がいるであろう鉄格子前へと向かった。
少し歩くと見慣れた鉄格子が見えてきた。
あの、鉄格子の中にNo.017がいる。
「……アティシア様?」
アティシアが鉄格子の前へと辿り着くと、鉄格子の中にいたNo.017が鉄柵前へと歩み寄ってきた。
「来たよ」
「はい。本日は処分の日です」
「うん、知ってる」
「そうですか」
少女は淡々としていた。
まるで自分がこれから死ぬことさえ、他人事のように。
そんな少女を見て、アティシアの胸が締めつけられる。
「No.017」
「はい」
「ここから出るよ」
「……?」
アティシアの言葉の意図がわからず、少女は首を傾げる。
「あなたを助けに来たの」
「なぜですか?」
「理由は……あとで話すわ」
アティシアは腰の長剣を引き抜いた。
そして鉄格子の鍵を長剣で壊す。
金属音が地下施設内に響き渡る。
鉄格子の扉の鍵が壊れたの確認し、アティシアは扉をそっと開けた。
しかし、ガチャン——と音を立てて扉が開いても少女はしばらく動かなかった。
「何をしているの? 早く出てきてちょうだい」
「私は処分されるんです」
「だから、助けるの」
「それは命令ですか?」
「違う。私の意思よ!」
アティシアはそう言い、まだ開いた扉の鉄格子の中にいる少女の手を強引に取った。
「行くわよ。私は何があっても貴方を見捨てたりなんてしないから」
アティシアの言葉に少女の緑色の瞳が僅かに揺れる。
アティシアは少女の手を引いて、鉄格子の中から出した。
そして、少女の手を強く握りしめながら、右側の通路を足早に歩き出した。
その瞬間だった。
——警報が地下施設に鳴り響いた。
けたたましい警報音が地下施設全体を震わせる。
『緊急警報。緊急警報』
アティシアと少女。
そんな二人の背後にある廊下の奥から、兵士達の声が聞こえてくる。
「何事だ!」
「No.017がいない!」
「誰かが牢を破ったぞ!」
そして、別の男の声が響く。
「アティシア王女殿下が地下施設へ侵入しているぞ!」
一瞬、空気が止まった気がした。
「あそこにいるのはNo.017じゃないか? アティシア王女を追え!」
アティシアは兵士の甲高い声にはっと我にかえり、少女の手を握り直す。
「走って!」
アティシアは少女の手を引いて走り出した。
二人は蛍光灯で照らされた廊下を駆けて、地上へと続く階段の前へと辿り着いたが、背後から数人の兵士が迫ってくる。
「アティシア王女殿下、お待ちください!」
「先に行って!」
アティシアはそう言ってから足を止めて、少女の手を離した。
そして、こっちへとやって来る兵士の方へと向いて、剣を抜いた。
「アティシア王女殿下、力ずくでも止めさせていただきます」
そう言い、走り迫って来た兵士の剣をアティシアは受け止める。
甲高い金属音がその場に響き渡った。
「はやく行きなさい!」
アティシアが少女の方を見て、強くそう言えば、少女は頷き返し、走り出した。
遠ざかっていく少女の足音を聞き、アティシアは剣を持つ手に力を込めて、兵士の剣を弾いて、兵士を退ける。
けれど、次々と兵士が現れる。
アティシアは素早く、剣を鞘にしまい、背中にかけていた弓を手に取った。
矢筒から一本の山を引き抜く。
「殺しはしないわ」
アティシアはそう呟くのと同時に、弓を引き絞った。
放たれた矢が、こちらへ向かってくる兵士の足元へ突き刺さる。
「うわっ!」
続けて二本、三本。
矢は次々と兵士達の足へと突き刺さる。
殺す必要なんてない。
自分と少女が逃げれる時間稼ぎができればそれでいい。
アティシアは弓を背負い直し、兵士に背を向けて、走り出す。
背後からは、兵士達の怒号と痛みに耐えている苦痛な声が響いていた。
しかし、アティシアは足を止めることはなく、少女の後を追うために走り続けた。
廊下を駆け抜けて、地上へと続く階段が見えてきた。
階段前には先に立ち去って行った少女が立っていた。
アティシアは少女の前へとたどり着くなり、少女の手を強く掴んだ。
「行くわよ」
アティシアは少女の手を引いて、階段を駆け上がった。
そして王城の廊下へと繋がる扉を開けて、廊下を出たのだが——
そこにはすでに王立騎士団が待ち構えていた。
「アティシア王女殿下!」
先頭に立つ王立騎士団の一人の青年がアティシアの名を呼ぶ。
「その少女をこちらへ!」
「嫌よ!」
「これは国王陛下のご命令です!」
「……ええ、そうでしょうね。わかっているわ」
アティシアはそう言いながら、少女を自身の背後に隠した。
そして、剣を抜き、王立騎士団に向けて剣を構えた。
騎士達はそんなアティシアを見て、険しい顔つきになっていく。
「従わないわ!」
アティシアの強く言い放つのと同時に、騎士達が一斉に動く。
次々に襲いかかってくる騎士達の剣を弾き返しながらも、少女を背に隠すことはやめなかった。
剣と剣がぶつかり合う音が王城の廊下に響き渡る。
アティシアは訓練で培った技術を駆使し、次々と騎士達の攻撃を交わしていく。
けれど、騎士達の数が多い。
「アティシア様!」
背後から低い男の声がした。
男の声が廊下に響き渡ると、騎士達は攻撃を辞めて、剣を鞘にしまい始める。
アティシアは嫌な予感を感じ、男の声がした自身の背後を振り返ると、少女が騎士達に囲まれていた。
しかし、アティシアは叫ぶ。
「No.017!」
自分でも気付かない内にそう呼んでいた。
少女の緑の瞳が見開かれる。
そして、少女は前へと手を伸ばした。
アティシアは一瞬の隙を使い、騎士達の間へと飛び込んだ。
そして、少女の伸ばされた手を掴み、手を引いて騎士達の中から連れ出す。
その場から走り出したアティシアと少女。
背後から騎士達が追ってくる何人もの足音が聞こえてくる。
「大丈夫よ。必ず助けるわ」
アティシアは息を切らしながら、自身の手を掴んで走る少女を横目に見て優しく笑う。
王城の廊下を抜けて、城の正門へと繋がっている中庭を走り行く二人。
立ち止まることなく、正門を目指して走り続け、ようやくアティシアと少女は王城の正門前へと辿り着く。
「アティシア王女殿下!?」
門番兵の一人がアティシアと少女に気付く。
そして、門番兵の手が腰にある剣へ伸びる。
「止まってください」
しかし、アティシアは少女の手をそっと離してから、一瞬で距離を詰めた。
そして—— 剣を抜くことなく、握っていた剣の柄を兵士の側頭部へ叩き込んだ。
「ぐっ……」
アティシアは倒れた兵士を支え、アスファルトの地面へと静かに横たえた。
「痛い思いさせてごめんなさい」
謝罪を告げてから、アティシアは再び少女の手を掴み、少女の手を引いて、正門の脇へ走る。
そこには、巨大な門を動かす為のレバーがあった。
アティシアは掴んでいた少女の手を離してから、迷うことなくそのレバーを両手で掴み、力を込めて、レバーを上へ押し上げる。
「……っ!」
ガコンッ——
重い音が響いた。
ゆっくりと、巨大な正門が動き始める。
ゴゴゴゴゴォ——と音が鳴り響いて、重々しい正門の扉が開いていく。
開いた扉の外から心地良い春の風が、城の内側へと吹き込んでくる。
「開いた……」
少女が小さく呟く。
「行くわよ!」
アティシアは少女の手を再び強く握った。
しかし、その直後。
「——何だ!?」
見張り台で休憩していたもう一人の門番兵の男が、下から聞こえてきた正門の扉が開かれる音に気付いた。
門番兵の男は見張り台から身を乗り出し、下を覗き込む。
そこには——開いていく正門。倒れている門番兵。
そして、門の外へ向かって走るアティシアと少女の姿があった。
「アティシア王女殿下……!?」
見張り台にいた門番兵の目が見開かれる。
数秒後、ハッとしたように我に返ったのか、声を上げた。
「アティシア王女殿下が少女を連れて、脱走するぞ!」
門番兵は大きな声が正門前に響き渡る。
直後、アティシアと少女の背後から騎士達の怒号が近づいてきた。
「正門にいるぞ!」
「王女殿下を逃すな!」
「急げ!」
見張り台にいた門番兵は慌てて、見張り台の階段を駆け降りる。
だが、騎士達が正門の前に辿り着き、門番兵が下に降りてくる頃には二人はすでに正門の外へ飛び出していた。
「……いない!?」
「アティシア王女殿下はどこだ!」
アティシアとNo.017。二人の姿はどこにもいない。
開いた正門の先へ視線を向けても、見えるのは城下街へと続いている桜並木の道だけだった。
✴︎
アティシアと少女はすでに王都の街並みにいた。
二人は街道を外れ、森の中へと駆け込んで行く。
木々の間を抜け、アティシアと少女は走り続けた。
『『……はぁ……はぁ……』』
やがて、二人は足を止めた。
荒い息を整えながら、振り返るが追手の姿はない。
「……撒いた、かな」
アティシアは安堵の息をついてから、その場に座り込んだ。
隣では少女が静かに立っている。
暫く、二人の間に沈黙が流れた。
やがて、少女が口を開く。
「アティシア王女……」
「……なに?」
「なぜ、私を助けたのですか?」
アティシアは答えようとした。
けれど、言葉が出てこない。
国を捨てた理由。父に逆らった理由。
この少女を助けた理由。
自分でも、まだわからなかった。
「……わからないわ」
やっと出てきた言葉はそれだけだった。
そんなアティシアを少女は不思議そうに見る。
「わからないのに、助けたのですか?」
「うん、でもね……死んでほしくなかったから」
アティシアは小さく笑った。
少女の緑の瞳が揺れる。
森の木々の隙間から、青白い空が見える。
地下施設からでは決して見ることのできなかった広い空だ。
二人は何も言わず、青白い晴れた空を見上げた。
王女と、名前のない兵器少女。
その日、二人の逃亡の旅が始まった。




