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第4話 外の世界


 王城をあとにしたアティシアと少女(No.017)はそのまま森へと入り、ひたすら歩き続けた。

 夜になると足を止め、木々の間でわずかな休息を取る。そして再び歩き出す。

 それを何度か繰り返しながら、二人は森の中を歩き続けた。


 そうしてようやく森を抜けた頃には、長い夜は終わり、空には朝の光が差し始めていた。

 木々の隙間から差し込む朝日がアティシアと少女(No.017)。

 そんな二人の顔を照らしている。


「……眩しい」


 アティシアは片手を額にかざした。

 結局、昨夜はほとんど眠れなかった。

 追手が来るかもしれない。 


 そう考えると、目を閉じることすらできなかったのだ。

 一方、隣を歩く少女(No.017)は疲れた様子も見せず、一定の速度で歩き続けている。


「あなた……疲れてないの?」

「行動に支障はありません」

「そういうことじゃなくて」


 アティシアは苦笑しながら、言葉を続ける。


「眠いとか、お腹が空いたとか」

「空腹は感じています」

「やっぱりお腹空いてるんじゃない?」

「空いていますが、任務の遂行に問題はありません」

「もう任務じゃないんだけどなぁ」


 アティシアはそう言い立ち止まると、少女(No.017)も足を止める。


「私たちは逃げてるの。だから、あなたはもう命令を待たなくていい」

「……では、私は何をすれば?」

「それは……」


 答えかけて、アティシアは口を閉じた。

 何をすればいいのか。

 そんなもの、自分にだって分からない。

 勢いだけで城を飛び出した。

 行き先も決めていない。頼れる人間もいない。

 それどころか――。


「……私たち、これからどうしよう」

「分かりません」

「そうよね……」


 アティシアが頭を抱えたそのときだった。

 ぐぅぅ……。


「…………」


 静かな森に、なんとも情けない音が響いた。

 アティシアは自分の腹を見てから、アティシアを見て少し恥ずかしそうに笑った。


「……今のは忘れて」

「腹部から音がしました」

「説明しなくていいから!」


 思わず声を上げてから、アティシアはため息をついた。


「とりあえず、食べ物を探そう」

「食料の確保ですか?」

「……そうね」


 アティシアが歩き出すと、少女(No.017)も一歩遅れてその後をついてきた。


✴︎


 昼過ぎ頃。

 森を抜けた二人の前に、小さな町が現れた。


「町だわ……!」


 アティシアの表情が明るくなる。

 石造りの家々(いえいえ)が並び、その間を人々が行き交っている。

 道端(みちばた)では商人が野菜や果物を売り、どこからか焼きたてのパンの匂いが漂ってきた。

 王都とは比べものにならないほど小さな町だったが、アティシアには何もかもが新鮮だった。


「すごい……」

「何がですか?」

「こういう町、初めて来たの」

「王女様なのに?」

「王女だからよ。城下へ出るときだって、いつも護衛がいたもの」


 少女(No.017)は町を見渡した。


「ここには敵兵がいません」

「普通の町なんだから、いるわけないでしょう」

「では、何のために人が集まっているのですか?」

「何のためって……生活するため?」

「生活」


 少女はその言葉を確かめるように繰り返した。

 アティシアはそんな少女(No.017)を見る。

 そして、気づいた。

 自分は外の世界を知らない。

 けれど、この少女(No.017)は―― 外の世界どころか、普通に生きるということすら知らない。


「……行こう」


 アティシアはそう言い、少女(No.017)の手を取って歩き始めた。


✴︎


「いらっしゃい! 焼きたてだよ!」


 市場に入った途端、威勢のいい声が飛んできた。

 台の上には、丸いパンがいくつも並んでいる。

 香ばしい匂いに、アティシアの腹が再び小さく鳴った。


「これを二つください」

「あいよ。銅貨(どうか)四枚ね」

「銅貨……四枚」


 アティシアは腰に下げた小袋を取り出した。

 この小袋の中に逃亡前、持ち出した金が入っている。

 袋を開けると、金貨(きんか)、銀貨(ぎんか)、銅貨(どうか)が入っていた。

 よく見ると、それぞれ刻まれている模様が違う。

 同じ金貨でも、いくつか種類があるようだった。


「…………」


 アティシアの手が止まった。


「どうしたんだい?」


 店主が怪訝そうに尋ねる。


「ええと……」


 銅貨(どつか)四枚。どれだろうか。

 アティシアは硬貨(こうか)を一枚ずつ見比べる。

 城では、自分で買い物などしたことがない。

 欲しいものがあれば侍女が用意していた。

 金の管理も、当然のように別の者が行っていた。


「これ?」


 アティシアが恐る恐る銀貨(ぎんか)を差し出す。


「お嬢ちゃん、そりゃ銀貨だよ」

「……違う?」

「違うも何も、お釣りが大変だ」


 店主が笑った。

 アティシアの頬が熱くなる。


「ご、ごめんなさい」

「さては、お嬢ちゃん。買い物したことないな?」

「そんなこと……」


 否定しようとしたが、できなかった。


「……ありません」

「ははは! 珍しい子だな!」


 怒られると思った。

 けれど、店主は笑っているだけだった。


「ほら、この茶色いのが銅貨だ。四枚」

「……これね」


 言われた通り、店主に銅貨(どうか)四枚を渡す。


「毎度あり!」


 店主は銅貨を受け取ってから、紙に包まれたパンを二つアティシアに手渡す。


「ありがとう」

「また来な!」


 店主の声に見送られ、アティシアは少女(No.017)と共にその場を後にし、歩き出した。

 通りのざわめきが再び二人を包み込む。

 数歩進んだところで、アティシアはふと足を止めた。


 誰も頭を下げない。

 誰も「王女殿下」と呼ばない。

 ただの客として話しかけられた。

 こんな扱いを受けたのは、生まれて初めてだった。


「……変な感じ」

「何がですか?」

「ううん。なんでもない」

「ほら。あなたの分」


 パンを一つ差し出すが、少女(No.017)は受け取らない。


「どうしたの?」

「私が食べてもよろしいのですか?」

「あなたのために買ったんだけど」

「私は必要最低限の栄養を摂取できれば――」

「いいから食べる!」

「……命令ですか?」

「もう、それ禁止!」


 少女(No.017)が僅かに首を傾げる。

 アティシアはパンを少女(No.017)の手へ押しつけた。


「食べたいときに食べるの。お腹が空いたら食べる。それだけ」

「……食べたいときに」

「そう」


 少女(No.017)はパンを見つめてから、恐る恐る一口齧(かじ)った。


「…………」

「どう?」


 少女は咀嚼する。

 そして、また一口パンを齧る。


「……温かいです」

「焼きたてだからね」

「柔らかい」

「それで?」

「それで、とは?」

「美味しい?」


 少女(No.017)は黙った。

 まるで、答えの存在しない問いを出されたような顔をする。


「美味しい……」


 もう一口。少女(No.017)はゆっくりと噛み締める。

 やがて――。


「……美味しいです」


 小さな声だった。

 けれど、アティシアにははっきり聞こえた。


「そっか」


 気づけば、アティシアは笑っていた。


「よかった」

「……?」


 少女(No.017)が不思議そうに見つめてくる。


「なぜ、王女様が喜ぶのですか?」

「え?」

「食べたのは私です」

「それは……」


 アティシア自身にも何故、自分が喜んでいるのか分からなかった。

 ただ、鉄格子(てつごうし)の向こうで「命令してください」としか言わなかった少女(No.017)が、自分の感覚で初めて何かを「美味しい」と言った。

 それが、どうしようもなく嬉しかった。


「……美味しいものを一緒に食べたら、嬉しいものでしょう?」

「そういうものなのですか?」

「たぶん」

「分かりません」

「これから分かればいいよ」


 アティシアは自分のパンを一口齧る。


「私も知らないことだらけだから」


 少女(No.017)は何も答えなかった。

 ただ、手の中のパンをもう一口食べるだけだった。


✴︎


 夕方。

 二人は町外れにある小さな空き家を借りることができた。

 アティシアは市場で買った野菜を部屋にある机の上へ並べて腕まくりをする。


「さて、夕食を作ります」

「アティシア様が?」

「その言い方やめてくれる?」

「料理ができるのですか?」

「…………」

「アティシア様?」

「できるわよ」


 やったことないのにできると強がった。

 本当は一度も作ったことがない。

 城では料理人がすべて用意してくれていたからだ。


「……たぶん」


 少女(No.017)がじっとアティシアを見る。


「何よ」

「いえ、なんでもないです」

「絶対、できないと思ってるでしょう」

「思うという行為について、まだよく分かりません」

「そういうところだけ便利ね、あなた……」


 アティシアは包丁を握った。

 野菜をまな板に置く。


「こうやって切るのよ」


 トン。

 妙に大きな野菜の塊が机に転がった。


「……なるほど」

「最初だから!」


 もう一度。

 トンと切ると、今度は薄すぎた。


「……難しい」

「代わります」

「できるの?」

「刃物の扱いには慣れています」

「料理と戦闘は違うからね?」


 そう言いながら包丁を渡す。

 少女(No.017)は野菜を手に取った。

 トン、トン、トン――。


「……上手」

「指定された大きさに切断しました」

「その言い方だと野菜じゃないものを切った風に聞こえるわ」


 アティシアは鍋に切った野菜を入れて、火にかける。

 味付けはよく分からなかったので、市場の店主から聞いた通りに塩を入れた。

 しばらくすると、湯気とともに温かな匂いが部屋を満たしていく。


「できた」


 アティシアは出来上がった野菜スープをお玉ですくい、二枚の深皿(ふかざら)によそった。

 白い湯気とともに、煮込んだ野菜の香りが立ちのぼる。


 野菜スープが入った二つの皿をテーブルへ運び、二人は向かい合って座った。

 少女(No.017)は目の前のスープをしばらく見つめていたが、やがてスプーンを手に取り、スープを口に運ぶ。


「……どう?」

「温かいです」

「それはさっきも聞いた」

「…………」


 少女(No.017)はもう一口飲む。

 そして——


「美味しいです」

「……! 本当?」

「はい」

「よかった……!」


 自分が作ったものを少女(No.017)食べている。

 たったそれだけなのに、昼間よりも嬉しい。

 少女はそんなアティシアをじっと見つめていた。


「アティシア様」

「なに?」

「アティシア様は、不思議です」

「……どういう意味?」

「分かりません」

「そこは分からないんだ」


 アティシアは笑った。

 少女はまだ笑わない。

 けれど、鉄格子(てつごうし)の向こうにいた頃より、その瞳にはほんの少しだけ違うものが宿っている気がした。


 その夜、名も知らぬ小さな町で王女と兵器少女は、生まれて初めて二人だけの食卓を囲んだ。

 それはアティシアと少女(No.017)。

 二人にとって、それは外の世界で過ごす最初の穏やかな一日だった。

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