第26話 王女の選択
王城の地下から響いた振動は、しばらく止まらなかった。
——ゴォン。——ゴォンという音に床の石が微かに震える。
吊り下げられた廊下の照明が揺れ、壁に取り付けられた燭台の炎が細かく揺らめいた。
兵士達の間にも動揺が走る。
「地下で何が起きている?」
「研究区画か?」
「いや……あそこは封鎖されているはずだ」
ざわめきが広がっていく。
アティシアはリゼを庇うように立ちながら、ラルドを見た。
「お父様」
「……まだ、話さなければならないことがある」
その顔には、先ほどまでの王としての威厳とは違うものが浮かんでいた。
「アティシア、研究施設の記録をすべて持ってこい」
「……え?」
「すべてだ」
ラルドの言葉に近くにいた兵士が戸惑う。
「陛下、それは……」
「命令だ」
「はっ!」
何人かが地下へ向かって走っていく。
アティシアは父を見つめた。
「どうして……」
「お前の言葉を聞いたからだ。国を守るために、を犠牲にしてきたのか。私自身も、すべてを見なければならない」
「……」
「王という立場にいると、報告書だけで世界を見てしまう」
ラルドは窓の外へ目を向けた。
「勝利。占領。制圧。確保。それらの言葉の下に、何人の人間がいたのかを考えなくなる」
アティシアは何も言わなかった。
その言葉が本心なのかが分からなかったからだ。
やがて兵士たちが大量の書類と記録媒体を運び込んできた。
会議部屋に移動したアティシアとリゼ。そしてラルドは机の上に積まれていく研究記録、実験記録。兵器人間の一覧と死亡者名簿。
占領作戦の報告書を見つめていた。
やがて、アティシアがその一つを手に取った。ページを開くとそこには数字が並んでいた。
死者。負傷者。行方不明者。
処分個体。成功個体。失敗個体。
そして民間人被害。
アティシアの指が止まった。
「……こんなに」
紙を持つ手が震える。
その隣からリゼが覗き込む。
彼女の視線が、一つの記録に止まった。
そこには、かつて自分が参加した作戦の名前が書かれていた。
「南西部制圧作戦……ここに……私の記録があります」
アティシアは何も言わず、ページをめくった。
そこには、リゼが戦場で何人を殺したのか。
どこへ派遣されたのか。
どのような命令を受けたのかが淡々と記録されていた。
「……これを、全部公表します
「国中にか?」
「はい」
「そうすれば、王国は混乱する」
「分かっています」
「軍も割れる」
「それも分かっています」
「周辺国につけ込まれるぞ」
「それでもです」
アティシアの声は震えていた。
それでも、今度は迷わなかった。
「知らないままのほうが、もっと怖いから」
✴︎
その日の夜。
王城の大広間には、次々と人が集まった。
王族。貴族。軍の高官。
騎士団。研究施設の関係者。
そして、これまでアティシアを追っていた騎士達。大きな記録映像が、壁に映し出される。
兵器人間計画の資料。実験施設。
処分記録。占領地の被害報告。
隠されていた真実が、次々と明るみに出ていく中、ざわめきが広がる。
「あり得ない」
「兵器人間など、軍の最重要機密だぞ」
その中から、一人の騎士が前へ出た。
アティシアが見覚えのある男だった。
かつて自分を追ってきた騎士であり、剣を交えた相手。男はしばらく記録を見つめたあと、拳を握った。
「……俺は、知らなかった」
別の騎士が口を開く。
「俺もだ。だが、疑っていた者はいる」
軍服を着た中年の将校が立ち上がった。
「兵器人間計画には以前から反対していた。だが王命だったので受け入れるしかなかった」
中年の将校の声に、別の者が続く。
「俺たちは、国を守っているつもりだった。だが……これでは違う」
一人、また一人と立ち上がる者が増えていく。王国軍は一枚岩ではなかった。命令に従っていただけの者。
疑いながらも声を上げられなかった者。
そして最初から計画に反対していた者。
長い間押し込められていた声が、少しずつ表へ出始めていた。
「アティシア、お前は、これからどうする?」
「兵器人間計画を公表した。軍の一部もお前に協力している。ならば、次に必要なのは王だ。私を倒せ」
アティシアの目が見開かれる。
「……お父様」
「王位を継げ。お前なら、きっとこの国を変えられる」
その言葉を聞いた瞬間。
アティシアの胸に、幼い頃の記憶が蘇った。
剣を握った小さな手。父の大きな手。
『王族は国を守る盾でなければならない。お前が国を守るんだ』
ずっと、その言葉を信じてきた。
王女だから、王族だから、国を守らなければならない。王女なら、こうするべき。
王族なら、こう生きるべき。
それもまた命令だったのではないか。
「……分かりません」
「何?」
「今の私が王になることが、この国にとって正しいのかは分かりません」
以前のアティシアなら迷わなかった。
父に「お前が王になれ」と言われれば、それが使命だと思っただろう。
王女として生まれたのだから。
王位を継ぐのが当然だと思っただろう。
けれど今は違う。
「私は……ずっと、王女としてどうするべきかを考えていました。でも、自分が何をしたいのかは考えたことがありませんでした。王女だから国を守る。王女だから戦う。王女だから王になる。それらは私が決めたことじゃない。私はリゼに言いました」
アティシアは、静かに笑った。
「自分で決めてって。リゼは、命令されても、自分の意思で生きることを選びました。だったら私も自分で決めなきゃいけない」
「王女という立場すら、捨てる可能性があるということか」
「……分かりません」
アティシアは首を横に振る。
「王女を捨てたいわけでもありません」
大広間の窓から見える夜の王都には、無数の明かりが灯っていた。
そこには、何も知らずに眠っている人々がいる。明日、真実を知る人もいる。
怒る人も、悲しむ人もいるかもしれない。
それでも、その人たちの未来を、勝手に決めることはできない。
「私は、王になるかどうかも含めて……これから自分で考えます」
父王は長い沈黙のあと、微かに笑った。
「……そうか、わかった」
「お父様……?」
「ようやく、お前は私の命令ではなく、自分の意思で立っているのだな」
あては何も言えなかった。
そのとき、大広間の扉が音を立てて開いた。
「アティシア様」
振り向くと、リゼが立っていた。
少し離れた場所から、こちらを見ている。
「終わりましたか?」
「うん。……これから、どうするんですか?」
その問いにアティシアは少し考えた。
「分からない」
「……そうですか」
「でも」
アリシアは歩き出し、ラルドの前を通り過ぎる。かつては、そこに座ることが自分の未来だと思っていた。けれど、今はただの椅子に見えた。
「一緒に考えよう」
「私と?」
「うん」
「私たちが、これからどんな国で生きたいのか」
アティシアがリゼに手を差し出せば、リゼはその手を取る。
「はい」
二人は並んで歩き出した。
王女と兵器。その呼び方はもう必要なかった。
リゼは自分の意思で生きることを選んだ。
そしてアティシアも王女として生きるのか王として国を背負うのか、それとも、別の道を選ぶのか。誰にも命令されず、誰かに決められることもなく自分自身で決めるのだ。
それこそが彼女にとって、本当の意味での『選択』だった。
だが、その夜。
王都の各地で、王国軍の一部が動き始めていた。
兵器人間計画を守ろうとする者達。
真実を公表したアティシア含む兵器人間を危険視する者達。
そして、王国そのものを変えようとする者たち。
長く続いた軍事国家の秩序が今、静かに崩れ始めていた。




