第24話 命令
父と話した。
何年も追いかけ続けていた相手と、ようやく真正面から向き合った。
怒鳴り合うこともなければ、剣を交えることもなかった。それでも、アティシアには分かっていた。
二人の間にある溝はもう以前のようには戻れない。
「……行こう、リゼ」
「はい」
二人はゆっくりと歩き出した。
そのときだった。
——カチと小さな音がした。
謁見の間の左右に立っていた騎士たちが、一斉に槍を構える。
アティシアが足を止めた。
「……?」
さっきまでとは空気が違う。
騎士達の顔には、先ほどまでの迷いがない。
まるで何かを待っていたかのように、全員が同じ方向を見ていた。
閉じられた玉座の扉がゆっくりと開き、ラルドが出てきた。
「……アティシア」
アティシアが振り返るとそこにはラルドがいた。表情は静かだった。
「お父様……?」
「すまない」
その一言に、アティシアの胸がざわついた。
「何を……?」
ラルドは答えなかった。
代わりに、右手を上げる。
その手には古びた金属製の装置が握られていた。
黒い箱のような形をした機械。
中央には、王家の紋章が刻まれている。
アティシアはそれを見たことがなかった。
だが、リゼは違った。
リゼはそれを見るなり、身体が硬直した。
「……っ」
「リゼ?」
呼びかけても、返事がない。
リゼの緑色の瞳が、わずかに揺れる。
その顔から血の気が引いていく。
「知ってるの?」
「……はい。施設に……同じ紋章がありました」
アティシアとリゼの目の前にいるラルドは静かに口を開いた。
「アティシアよ、兵器人間には最後の安全装置が組み込まれているのだ」
「安全装置ですか……?」
「王家の命令にのみ反応する、強制命令機構だ。通常の命令とは違う。兵器人間自身の意思よりも優先され、拒絶も停止も許されない」
「やめて……ください」
リゼが小さく呟いた。初めてだった。
アティシアの前で明確な恐怖を見せたのは。
「リゼ……?」
「聞きたくありません」
リゼはそう言い両手で頭を押さえる。
「その声を……聞きたくない」
ラルドが装置を起動した。
――ピィィィンという高い電子音が謁見の間に響く。その音を聴いたリゼの身体が大きく震えた。
「……っ!」
膝が折れそうになる。
アティシアが支えようと手を伸ばした。
「リゼ!」
だが、リゼの腕が突然アティシアを払いのけた。
「——!」
アティシアがよろめく。
リゼ自身も驚いたように目を見開いた。
「ごめん……なさい」
口では謝っている。
けれど、身体は止まらない。
一歩、また一歩とリゼがアティシアへ近づいていく。
「リゼ、どうしたの?」
「来ないでください」
「でも……」
「来ないで!」
リゼ自身の意思ではない叫び声がその場に響き渡る。リゼは泣いていた。
「私の身体が……勝手に……嫌……」
自身の腰にある剣へ手が伸びて、鞘から刃が抜かれる。
——カランという金属音が響き、アティシアの前で剣が構えられる。
その切っ先が、まっすぐ自分へ向いていた。
「リゼ……」
「逃げて……ください」
リゼの手が震えている。
「早く……」
「リゼ」
「私は……私はあなたを傷つけたくありません」
アティシアの胸が締めつけられた。
こんなことになるために、この子を王城へ連れてきたわけじゃない。
「なら、剣を下ろして」
「できません」
「リゼ」
「できないんです!」
リゼの腕が震える。
それでも剣先は下がらない。
父王の声が、謁見の間に響いた。
「No.017」
その瞬間、リゼの瞳から感情が消えた。
「――はい」
声だけが機械のように響く。
アティシアの背筋に冷たいものが走った。
番号。その呼び方。
それはリゼがまだリゼではなかった頃の名前。
「命令を実行する。No.017」
ラルドの声にリゼの身体がさらに前へ出る。
「対象を確認」
「リゼ、やめて……」
アティシアの顔を見るリゼ。
彼女の顔に浮かんでいたのは、恐怖だった。
「アティシア様……逃げてください」
しかし、リゼからそう言われても、アティシアは動かなかった。
「命令……です」
「嫌だよ。私は逃げない」
そうアティシアが言うのと同時にリゼから剣が振り上げられる。空気を切り裂く音。
アティシアは反射的に目を閉じそうになった。けれど剣は振り下ろされなかった。
リゼの腕が、途中で止まっている。
「……っ、あ……動いて…… 動いてください……!」
リゼを見ると身体が震え、肩が痙攣していた。リゼの剣を握る手がさらに強くなる。
「私は……兵器だから……命令に……従わないと……」
リゼの涙が頬を伝う。
アティシアは、一歩も動かなかった。
腰の剣にも手を伸ばさない。弓も取らない。
ただ、リゼを見つめる。
以前なら、ここで「やめて」と言っていたかもしれない。命令すれば、リゼは止まる。
かつては、それでよかった。
盗賊と戦ったとき。
リゼが敵を殺そうとしたとき。
「殺さないで」
その言葉で、リゼは止まった。
あのときアティシアは、それが正しいと思っていた。けれど今は違う。
もしここで自分が「止まって」と命じたら、リゼはまた命令に従うだけになってしまう。
それでは王国がリゼにしたことと、何も変わらない。
「……アティシア様、命令してください」
リゼが泣きながら名前を呼ぶ。
その言葉にアティシアの胸が痛んだ。
「私に……止まれと。そうすれば……私は止まれます」
「……私は命令しない」
「え……?」
「止まってとも言わない」
「じゃあ……私はどうすれば……」
アティシアは一歩だけ近づいた。
剣先が胸元に触れる距離。
それでも、逃げない。
「あなたが決めて」
「……私が?」
「うん」
「でも、私は……兵器で……」
「違う」
アティシアは静かに言った。
「リゼは、リゼだよ」
「……」
「私が命令するんじゃない。あなた自身がどうしたいのか決めて」
アティシアはまっすぐリゼを見つめた。
リゼの身体は震えていたが、緑の瞳はまだ、意識を宿していた。
「私は……私は……」
何度も言葉を探す。
けれど、うまく出てこない。
頭の中ではラルドの命令が繰り返されている。
——対象、アティシアを排除せよ。
——命令に従え。
それなのに別の記憶も浮かんでくる。
初めて食べた温かなパン。
初めて見た海、村の子ども達
夕暮れの丘。名前をもらった日。
アティシアに文字を教えてもらった時間。
そして雨の中で聞いた言葉。
一緒に生きよう。
「……私は……私は……アティシア様を……」
剣がわずかに下がる。
「殺したくない」
リゼが言い放ったその言葉にラルドの表情が変わった。
「No.017、対象を」
「違う!」
リゼが叫んだ。
その声が、謁見の間を震わせた。
「私は、No.017じゃない!」
剣が震える。それでもリゼは握り続けた。
「私は……リゼです」
一歩、アティシアへ近づく。
「私は、アティシア様と一緒に生きたい」
リゼがそう言うのと同時に剣が手から落ちた。
ガシャンという音を立てて、石の床に転がった。同時にリゼの身体から力が抜ける。
アティシアはそんなリゼの元に駆け寄った。
「リゼ!」
倒れかけた身体を抱き止めるとリゼは震えていた。
「……できました。私……命令に……逆らえました」
「うん」
アティシアの目から涙が落ちる。
「自分で決めたんだよ」
「……はい。私……怖かったです」
「うん」
「でも……アティシア様が命令しなかったから」
アティシアは何も言えなかった。
ただ、強くリゼを抱きしめる。
王国の兵士たちが見守る中で、かつて兵器と呼ばれた少女は自分の意思で剣を捨てた。
そんな少女とアティシアをラルドは静かな眼差しで見つめていた。そして、小さく息を吐いた。
「……そうか」
誰に向けた言葉なのか。
アティシアにも分からなかった。
王は手の中の命令装置を見る。
そこに刻まれた王家の紋章。
長い年月、この国を守るために使われてきた力。絶対に逆らえない命令。
それが今、一人の少女によって拒絶された。
「人間を兵器にすることなど……最初から、無理だったのかもしれないな」
アティシアは父を見た。
けれど、まだ何も答えなかった。
リゼが自分の腕の中にいる。
その小さな身体は、まだ震えている。
だから今はこの少女を守ることだけを考えたかった。
アティシアはリゼの頭に手を置く。
「もう大丈夫」
「……はい」
「もう、誰にも命令させない」
その言葉にリゼはほんの少しだけ笑った
けれどその直後、王城の地下深くから低い警告音が響き始めた。
——ゴォン。——ゴォン。
「……まさか」
「お父様……?」
ラルドは答えなかった。
そう、リゼと同じように造られた存在ではなく、すべての兵器人間の始まりとなった『原型個体』が、長い眠りから目を覚まそうとしていた。




