第22話 王国が恐れたもの
警報が鳴り続けていた。
赤い光が地下施設の白い壁を一定の間隔で染める中、ゴウン、ゴウン、という機械が唸っている。
その音はさっきまでのものとは違っていた。
何かが動いている。施設の奥で、巨大な装置が起動している。
「……原型個体」
アティシアはさっき聞いた言葉を繰り返した。その意味を考えようとする。
けれど、警報の音が思考を邪魔していた。リゼは扉の前で立ち止まっている。
「どうしたの?」
「……怖いです」
その言葉にアティシアは目を見開いた。
リゼが自分から怖いと言った。
それは旅の中で少しずつ感情を表すようになったリゼとはいえ、どこか違っていた。
まるで、もっと深いところから湧き上がってくる恐怖。
「何が怖いの?」
「分かりません」
リゼは胸元を押さえる。
「この先に……私がいる気がします」
「……私?」
「私の始まりが」
その言葉に、アティシアは息を呑んだ。
目の前には巨大な扉。
その横には小さな端末がある。
アティシアが王族認証を行う。
赤い光が一度点滅した。
そして、『認証――王族第一級』という機械音声が響く。続けて『閲覧制限を解除します』という音声が流れた。
「……第一級? 私、こんな権限を持ってたなんて知らなかった」
アティシアは眉を寄せた。
「王女だからですか?」
「たぶん」
扉が開く。中は巨大な研究室だった。
天井は高く、無数の配管が走っている。
中央には巨大な円柱型の装置。
透明なガラスの向こうには、液体で満たされた巨大な培養槽くつも並んでいた。
空になっているものもある。
壊れているものもある。
そして、一番奥に、まだ稼働している装置があった。アティシアとリゼはその装置を見て足を止めた。
「……これが私たちを作った場所」
リゼのその言葉に、アティシアは拳を握った。
壁際に、古い映像装置が置かれていた。
画面には研究記録が残っている。
『兵器人間計画・最終報告』と描かれた画面上にある文字をタップすると画面が明るくなる。
そこに映ったのは、数十年前の研究員達だった。白衣を着た男が淡々と話している。
『周辺諸国における軍備拡張は、我が国にとって重大な脅威となっている』
映像の中で、別の研究員が資料をめくる。
『通常兵士には限界があります。恐怖する。命令を拒否する。疲労する。家族や仲間への情を優先する。そして戦争そのものに疑問を抱く』
アティシアは画面を見つめた。
その言葉の一つ一つが、胸に刺さる。
『だからこそ、我々は新しい兵士を作る。人間より忠実な兵士を』
画面が切り替わる。拘束された人間。手術台。薬品。無数の実験記録。
アティシアの顔が青ざめる。
リゼは何も言わずに流れている映像をじっと見つめていた。
『恐怖を感じない兵士。痛みに動じない兵士。命令に疑問を持たない兵士。そして、決して反乱しない兵士』
研究員は、まるで新しい兵器の性能を説明するように語った。
『それが完成すれば、我々は周辺諸国との軍事競争を終わらせることができる』
アティシアは呆然とする。
「国を守るため……?」
映像の研究員は笑った。
『そう、これらは我が国が勝つために必要なことなのです』
アティシアの青い瞳が見開かれた。
王国は、ただ自国を守ろうとしていたのではない。より強い軍隊を作ろうとしていた。
周辺諸国より強く。誰よりも強い兵士を。
そのために人間そのものを兵器に変えようとしていた。映像がさらに切り替わる。
『初期個体は非常に優秀でした』
そこには、無表情な少女達が映っていた。
『命令には完全に従う。恐怖反応なし。痛覚反応低下。感情反応――極めて低い』
しかし、次の記録には大きく赤い――問題発生という文字が表示された。
『完全な感情消去を行った個体は、自律判断能力を失いました。命令がなければ動くこともない。また状況判断ができない。想定外の事態に対応できないのは戦場では致命的です』
アティシアは画面を見て呟く。
「……命令がないと、何もできない」
「はい。私と同じです」
アティシアは隣にいるリゼを見る。
リゼは自分の過去を思い出すように目を伏せていた。
『そこで我々は最低限の人格機能を残すことにした。判断能力、学習能力、環境適応能力、自己認識。そして、最低限の感情反応。完全な人格消去は兵器としての性能を低下させる。したがって、必要最低限の人格を維持する』
そこで、別の研究員が尋ねた。
『ですが、それでは命令拒否が発生するのでは?』
映像の中に沈黙が流れた。
『その通りです。嫌だ、怖い、逃げたい、生きたい。それらの感情を持つ限り、兵器は完全には従わない。けれど感情を消せば、兵器として必要な判断能力まで失われる。どちらを選んでも計画は完成しない』
研究員は、淡々と言った。
『つまり、我々の最大の問題は――』
画面が一瞬暗くなる。
そして、人間性という大きな文字が表示された。
アティシアは言葉を失った。
リゼは画面を見つめている。
「……私が感情を持っていたから、失敗したのでしょうか」
リゼの声は震えていた。
アティシアはそんなリゼの言葉に首を横に振る。
「違う。絶対に違うよ」
「でも、記録には……」
「これは兵器を作った人達の言葉だよ。リゼが失敗したんじゃない」
「……」
「人間を兵器にしようとしたことが、最初から間違ってたんだよ」
リゼの緑色の瞳が揺れる。
そのとき、画面に最後の研究記録が表示された。
『第17系列について。第17系列は人格保持率が高い。そのため、自律判断能力は極めて優秀。一方で、感情反応も強く残る。個体017については、命令拒否を複数回確認。他個体への攻撃命令を拒否した。よって処分対象として指定』
「……もしかして、あの実験」
アティシアはあの日のことを思い出す。
リゼを別の兵器人間と戦わせた、あの日。
リゼは命令を拒否した。
だから処分されることになった。
けれど、それは突然生まれた反抗心ではなかった。
最初からリゼの中には『嫌だ』という意思があった。
ただ、それを言うことを許されなかった。
「リゼ……」
隣を見るとリゼは俯いていた。
「私は……最初から嫌だったのでしょうか」
「……うん」
「怖かったのでしょうか」
「たぶん」
「生きたかったのでしょうか」
「きっと、そうだよ」
リゼの目から、涙が一粒落ちた。
それは悲しいからだけではなかった。
長い間、自分でも知らなかった自分自身を見つけたような涙だった。
「私は……感情をもらったわけではなかった」
「うん」
「旅をしたから、人間になったわけでもない」
「うん」
「最初から……」
リゼは自分の胸に手を当てる。
「ここに、あった」
アティシアは強く頷いた。
「そうだよ」
「では、なぜ私は何も感じないふりをしていたのでしょう」
「そうするように教えられたからだよ……」
リゼは目を閉じる。
地下施設での記憶が断片的に蘇る。
痛み。薬。白い天井。命令。
失敗すれば処分されるという恐怖。
泣いてはいけない。怖がってはいけない。
嫌だと言ってはいけない。兵器は命令に従うもの。
だから感情を持っていても、それを言葉にしなかった。言葉にすることを許されなかった。
「……私、ずっと、助けてほしかったのかもしれません」
震えた声でそう言うリゼを見て、アティシア胸が締め付けられる。
「うん」
「でも、助けてと言ってはいけないと思っていました」
「うん」
「だから……アティシア様が来たとき、どうしていいのか分からなかった」
アティシアの目に涙が浮かぶ。
「……私も、どうしていいか分からなかったよ」
「でも、助けてくれました」
「うん」
アティシアはリゼの手を握った。
「だから、もう言っていいよ」
「何をですか?」
「嫌なことも、怖いことも」
「……はい」
「生きたいってことも」
リゼの目から、また涙が落ちた。
「……生きたいです」
その言葉は小さかった。
けれど誰かに命令された言葉ではなかった。
初めて、自分自身の意思で口にした言葉だった。
「私は……生きたい」
「うん」
「アティシア様と一緒に」
「うん」
その瞬間、研究室の奥で、巨大な扉が開いた。開いた扉から冷たい空気が吹き抜ける。
二人が振り返ると暗闇の向こうに、さらに深い地下区画が広がっていた。
そして壁面の表示に、一つの文字が浮かび上がる。——原型個体・収容区画。
それを見てリゼの表情が変わった。
「……まだ、何かあります」
「うん」
兵器人間は、ただの兵器ではなかった。
人間であることこそが王国が最後まで消せなかったものだった。
そして今、その『人間』を恐れた王国が、地下深くに何を隠しているのか二人はまだ知らない。
ただその答えを知るためにアティシアとリゼは暗闇の奥へ歩き出した。




