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第21話 017


 地下へ続く階段はどこまでも長かった。

 石造りの階段を下りるたび、地上の音が遠ざかっていく。

 街の喧騒(けんそう)も、兵士達の声も、風の音さえもやがて聞こえなくなった。

 代わりに聞こえてくるのは、機械の低い駆動音(かどうおん)だった。


 ゴウン……。ゴウン……。

 一定の間隔(かんかく)で、壁の奥から響いている。アティシアは足を止めた。


「……ここ、本当に王都の地下なの?」

「はい」


 リゼが答える。彼女は壁に手を触れていた。


「見覚えがあります」

「ここに来たことがあるの?」

「……ありません」


 リゼは首を横に振った。


「でも、知っています」

「どういうこと?」

「身体が、覚えているんです」


 リゼの指先が震えた。

 アティシアはそんなリゼの手をそっと握る。


「無理しなくていいよ」

「大丈夫です」

「本当に?」

「……はい」

「アティシア様がいるので」


 アティシアは小さく笑った。


「そっか」


 二人は再び歩き始めた。

 やがて、階段の先に大きな扉が現れた。

 白い金属製(きんぞくせい)の扉。

 その中央には、王家の紋章(もんしょう)が刻まれている。

 しかし、その下には見慣れない文字があった。

 ——王国軍事研究機関《おうこくぐんじけんきゅうきかん》・深層第一区画《しんそうだいいちくかく》。アティシアは息を呑む。


「……ここだ」


 扉の脇に設置された端末(たんまつ)を確認する。

 王族用の認証装置(にんしょうそうち)だった。

 アティシアが手をかざすと短い電子音が鳴った。赤いランプが点灯する。


『認証を確認』


 アティシアの心臓が跳ねた。

 まだ自分はこの国の王女として登録されている。その事実が、妙に重かった。


 扉が開き、冷たい空気が流れ出してきた。

 薬品の匂い。消毒液の匂い。

 そして、どこか鉄のような臭い。

 アティシアは眉を寄せた。


「……地下施設と同じ匂い」

「はい」


 二人は中へ入った。

 廊下の左右には、いくつものガラス張りの部屋が並んでいる。部屋の中には空になったベッド。


 拘束具(こうそくぐ)。点滴の跡。薬品の瓶。何もない。

 それなのに、そこに誰かがいた気配だけが残っている。アティシアは一つの部屋の前で立ち止まった。

 ベッドの脇に小さな身長測定器(しんちょうそくていき)が置かれている。子供用だった。


「……子供用……? ここで何をしてたの?」


 リゼは答えなかった。答えられなかった。

 廊下の奥から突然モニターの明かりが点いた。


『研究記録を表示します』


「……!」


 二人が振り返る。

 壁一面(かべいちめん)に設置された大型画面(おおがたがめん)が、次々と映像を映し始めた。

 最初に表示されたのは数字だった。


 ——兵器人間計画。

 その下に長い記録が並んでいる。

 アティシアは画面へ近づいた。


「兵器人間計画……」


 記録には、実験体の数が記されていた。


 001。002。003。004。

 数字は延々と続いている。

 そして、その多くに赤い文字が付いていた。


 ——死亡。——廃棄。——適合失敗。——処分。アティシアの顔から血の気が引いた。


「……こんなに?」


 画面をスクロールする。


 百。二百。三百。

 それでも記録は終わらない。

 アティシアは呆然とした。


「リゼだけじゃ……なかった」

「はい」


 リゼは画面を見つめていた。


「私は、特別な一人ではありません」


 その声は静かだった。

 だからこそ、余計に痛かった。

 さらに記録が表示される。

 ――第17系列。アティシアが目を細めた。


「第17系列……?」


 画面には、複数の個体番号(こたいばんごう)が並んでいる。

 017-A。017-B。017-C。017-D。その横にはすべて同じ規格(きかく)が記載されていた。


 身体強化(しんたいきょうか)。神経反応強化《しんけいはんのうきょうか》。再生能力。

 戦闘適応。そして——死亡。——廃棄。——死亡。——適合失敗。アティシアは息を呑んだ。


「……017ってあなたが十七番目だったんじゃない」

「……はい、第17系列」


 つまりリゼは『十七番目に作られた少女』ではなかった。17という番号は系列を示していた。

 同じ規格(きかく)。同じ身体改造(しんたいかいぞう)。同じ戦闘能力(せんとうのうりょく)。同じ目的。


「じゃあ……リゼと同じで処分されそうになった子が他にもいるの?」


 その答えは画面に表示された記録そのものだった。数十人。いや、それ以上。

 同じ系列(けいれつ)に属(ぞく)する実験体が存在している。

 ただし、そのほとんどには赤い文字が付いていた。——死亡。——廃棄。——処分。

 生存記録が残っているものはほんのわずかだった。リゼが一歩後ろへ下がった。


「……私だけだと思っていました」


 アティシアが振り返る。


「何が?」

「私と同じように処分されそうになった人間は私だけだと思っていました」


 リゼは自分の腕を見つめる。

 そんな彼女の腕には傷跡が残っている。


「……リゼ」

「でも違った。私の前にも、私の後にも……同じ人たちがいた」


 アティシアは何も言えなかった。

 そのとき画面の表示が切り替わった。

 『被験体(ひけんたい)の取得経路(しゅとくけいろ)』その下に、さらに別の項目(こうもく)が表示される。


 戦災孤児(せんさいこじ)。占領地域(せんりょうちいき)の孤児。敵国からの捕虜(ほりょ)。貧困家庭(ひんこんかてい)。身寄りのない子供。


 そして王国による保護名目(ほごめいもく)での収容。アティシアの目が見開かれた。


「……保護?」


 次の記録は戦争で家族を失った子供達。

 焼けた町から連れてこられた子供達。

 王国軍が占領(せんりょ)した土地から『保護』という名目(めいもく)で集められた子供たち。


 その後、研究施設へ送られていた。

 アティシアは画面から目を離せなくなった。


「そんな……」


 村で聞いた言葉が蘇る。

 王国が守るのは王国の人間だけだ。


 そして、自分たちが焼いた村。

 そこから消えた子供達。

 戦争で家族を失った人々。


「……私たちは守っていたんじゃなかった」


 静かにそう呟いたアティシアの声は震えていた。

 王族は国を守る盾であるとそう父に教えられてきた。

 国を守ることは、正しいことだと思っていた。けれどその国の軍隊が、戦争で生まれた子供達を集め。その子供たちを兵器へ変えていた。


「……こんなの」


 アティシアは拳を握った。


「間違ってる。国を守るって何なの……?」


 リゼが静かに隣にいるアティシアを見る。


「アティシア様……」

「……ごめん」

「なぜ謝るのですか?」

「だって、私は王女だった」


 アティシアの目に涙が浮かぶ。


「この国のことを何も知らなかった」

「それは、アティシア様の責任ではありません」

「でも……」

「アティシア様は知らなかっただけです。そして知ろうとしています」


 その言葉にアティシアは唇を噛んだ。

 そのとき、画面に新しい記録が表示された。

 ——第17系列・個体017。リゼが動きを止めた。


「……私」


 画面には幼い少女の写真が表示されていた。

 今よりずっと幼い。

 髪も短く、頬には泥がついている。

 それでもその瞳だけは今のリゼと同じだった。


「……」


 リゼは画面に近づいた。

 記録が表示される。推定年齢は五歳。

 出生地、王国南西部。

 保護時の状況。——戦災(せんさい)により家族を喪失。


「五歳……」


 その下に名前があった。

 番号ではない。No.017ではない。

 そこには、リゼが生まれたときに両親から与えられた本当の名前が記録されていた。

 リゼはその文字をじっと見つめた。


「……これは私の名前です。美波って名前だったのですね……」


 リゼは震えた声でそう呟く。

 そんなリゼを横目に見つめてからアティシアは画面へと目を向ける。

 そこには確かに、リゼとは違う名前が記録されていた。本来なら彼女が生まれたときに呼ばれていた名前。


 家族が呼んでいたかもしれない名前。

 けれど、リゼはその文字を見ても何も思い出せなかった。


「……」


 長い沈黙の後、やがてリゼが呟いた。


「……これは、私なのでしょうか」


 アティシアは答えられなかった。

 目の前にある記録は、確かにリゼを示している。

 けれど幼い頃の記憶を失ったリゼ本人には、その確証がない。


「分からない」


 アティシアは正直に答えた。


「……はい」

「この子が昔のリゼなのか。本当の名前がこれだったのか。私には、分からない」


 アティシアの言葉を受けて、リゼは少し俯いた。


「では……私は、何なのでしょう」


 アティシアは一歩近づいた。

 そして、リゼの手を取る。


「リゼ、今のあなたがリゼなのは私が決めたからじゃない」

「……」

「私が名前をつけたから、あなたがリゼになったんじゃない」


 アティシアは握った手に少しだけ力を込めた。


「あなたが、その名前で生きてきたから」

「……私が?」

「うん。パンを食べて、美味しいって言ったあなたも」

「……」

「海を見て、もっと見たいって思ったあなたも」

「はい……」

「村の子供たちと遊んだあなたも、と一緒にいたいって言ってくれたあなたも」

 

 リゼの目には涙が浮かんでいた。

 アティシアはそんなリゼをまっすぐ見る。


「全部、リゼだよ」


 リゼはしばらく何も言わなかった。

 やがて、自分の胸に手を当てる。


「……リゼ」


 リゼは小さく、自分の名前を呼ぶ。


「うん、そうだよ」

「……私は、リゼです」

「うん」

「この記録に何が書かれていても」

「うん」

「私の過去にどんな名前があったとしても、私は……リゼでいたいです」

「うん、そうだね」


 その瞬間、施設の奥から警報が鳴り響いた。

 赤いランプが一斉に点灯する。

『侵入者を確認』『王女アリシアを確認』

『第17系列・個体017を確認』

 機械音声が地下施設中に響き渡る。

 そして、最後の警告が流れた。


『原型個体(げんけいこたい)への接触を禁止します』


 アティシアとリゼが顔を見合わせる。


「……原型個体?」


 アティシアが呟くとリゼの瞳が揺れた。

 施設のさらに奥。

 閉ざされた巨大な扉の向こうから。

 低い機械音が響き始めていた。


 ゴウン——ゴウン——

 まるで何かが、長い眠りから目を覚まそうとしているかのように。


「アティシア様……」

「うん」


 二人は扉を見る。兵器人間の始まり。

 そしてリゼ達が何のために作られたのか。

 その答えはこの先にある。

 アティシアは弓を握り直した。

 リゼも静かに立ち上がる。

 二人は施設の最深部(さいしんぶ)へ向かって歩き出した。

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