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第20話 帰ってきた王女


 王都の城門が、ゆっくりと開いていく。

 重い鉄の音が、朝の空気を震わせた。

 アティシアは門の前で立ち止まり、その向こうを見つめていた。


 見慣れた街。石畳(いしだたみ)の大通り。

 白い壁の建物。商店の並ぶ通り。

 遠くに見える王城の尖塔(せんとう)。

 何も変わっていないように見える。

 けれどアティシアには以前とはまるで違う街に見えた。


「……帰ってきた」


 小さく呟く。

 隣に立つリゼが、王都を見上げた。


「ここが……王都ですか?」

「うん」

「初めてじっくり見ました」

「そうだよね。城から逃げる時、チラッと見ただけだもんね。私は、ずっとここで暮らしてたんだ……」


 王女として城の中で働く者から見られることはあったが、街を一人で歩くことはほとんどなかった。

 王族が使う道。護衛に囲(かこ)まれた馬車。

 祭りの日に城の窓から見下ろした街。

 それが、アティシアにとっての王都だった。


 今は違う。

 自分の足で石畳(いしだたみ)を踏んでいる。

 そして王国軍が二人を探している。


「止まれ!」


 城門の兵士が叫んだ。

 アティシアは反射的に身構える。

 しかし、兵士は剣を抜かなかった。

 代わりに、アティシアの顔を確認すると目を見開く。


「……アティシア王女殿下」


 その声が、周囲へ広がった。


「アティシア王女殿下だ!」


 街にいた人々が振り返る。

 一人。二人。やがて、大通りの視線が一斉にアティシアへと集まり、ざわめきが広がっていく。


「本物なのか?」

「逃亡したアティシア王女……?」

「あれがアティシア王女?」

「隣にいるのは……」


 リゼの身体がわずかに強張る。

 アティシアは、その変化に気づいた。


「大丈夫。私がいるから」


 アティシアが小さな声でそう呟くとリゼは頷いた。けれど次に聞こえてきた言葉にアティシアの足が止まった。


「アティシア王女が兵器を連れてるぞ」

「アティシア王女が兵器を盗んだって話、本当だったのか」

「王国を裏切ったんだろ?」

「いや……違うらしいぞ」


 別の場所から声がする。


「処分される兵器をアティシア王女が助けたって聞いた」

「そんな話、誰が信じるんだよ」

「でも、アティシア王女が自分から逃げたんだろ?」

「国を裏切るなんて……」


 街の至るところから声が聞こえてくる。

 怒り、戸惑い、同情、好奇心。

 そのどれもが、アティシアに向けられていた。

 今までこんなふうに人々から見られたことはなかったアティシアは少しばかり怖くなり、手が震える。


「アティシア王女殿下、ご立派です」

「アティシア王女は我が国の誇りです」


 そんな言葉ばかりだった。

 だから、アティシアは知らなかった。

 自分が街の外から、どんな存在として見られていたのか。


「……これが王女ってことなんだね」

「アティシア様?」

「私自身じゃなくて王女という名前だけが、先に歩いてる」


 アティシアは街の人々を見渡す。

 リゼは何も言わず、アティシアの隣に立った。

 その距離が、少しだけ近くなる。


「怖いですか?」


 リゼが尋ねた。

 アティシアはすぐには答えなかった。

 握った拳に力が入る。

 人々の視線が自分に集まっている。

 自分を責める声もある。期待する声もある。

 自分を英雄のように語る人もいれば、裏切り者と呼ぶ人もいる。そのすべてが怖かった。


「……怖いよ」


 アティシアは正直に答えた。

 以前の自分なら、こんなことは言わなかった。王女は弱音を吐いてはいけない。

 王族は国民の前で迷ってはいけない。

 そう教えられてきた。けれど今は違う。


「でも、逃げたくない。ここまで来たから」


 アティシアは顔を上げた。

 そして、リゼを見る。


「一緒に来てくれる?」

「もちろんです」

「私は、アティシア様の隣にいると決めました」

「……そっか。ありがとう、リゼ」


 アティシアは小さく笑った。

 そして二人は再び歩き出した。

 大通りを進む。以前なら王女である私の姿を見れば人々は道を開けた。


 今は違う。誰もが遠巻きに二人を見る。

 子供が母親の服を掴む。

 店主が店の入口から顔を出す。

 老人が小さく首を振る。

 その中にはアティシアを見て涙を浮かべる人もいた。


「アティシア王女……」


 その声にアティシアは振り返る。

 けれど、声の主はすぐに人混みの中へ消えてしまった。アティシアは立ち止まらなかった。

 今は、向かわなければならない場所がある。


 王都の中心部(ちゅうしんぶ)から外れた一角。一般の住民がほとんど近づかない区画(くかく)。

 高い壁に囲まれた施設が並んでいる。

 軍事研究区域《ぐんじけんきゅうくいき》。

 アティシアはその入口を見た瞬間、表情を硬くした。


「ここ……ですか?」

「うん。初めて来た……」

「ここも兵器人間の施設ですか?」

「たぶん」


 目の前には、巨大な鉄門がある。

 門の両脇(りょうわき)には武装(ぶそう)した兵士。

 さらに奥には、研究施設と思われる白い建物がいくつも並んでいる。地下へ続く搬入口(はんにゅうぐち)もあった。


 アティシアはその光景を見つめる。

 ここでリゼが作られた。

 ここで何人もの人間が兵器へ変えられた。

 そしてここに、第零世代(だいぜろせだい)と呼ばれる存在の手掛かりがある。


「……行こう」


 アティシアがそう言うとリゼが頷く。

 しかし、その直後。


「アティシア王女殿下」


 背後から声がした。

 二人が振り返るとそこには数人の王国兵が立っていた。剣を抜いている。


「ここから先へ進むことは許可できません」


 アティシアは兵士たちを見る。

 昔なら、彼らは自分を見ればすぐに跪(ひざまず)いた。けれど、今は違う。


「どうして?」

「命令です」

「誰の?」


 兵士は答えなかった。

 アティシアは一歩前へ出る。


「ここで何を隠しているの?」

「……お答えできません」

「兵器人間の施設でしょう?」


 兵士達の顔が強張る。

 それだけでアティシアは確信する。


「やっぱり」


 リゼが隣で小さく呟く。


「アティシア様……」

「うん」


 アティシアは弓を背中から外した。

 矢を一本取り出すのを見て、兵士達が剣を構える。リゼも静かに前へ出た。


「ここから先は、私達を止める人と戦わなくちゃいけない。でも、殺さないでね」

「はい」

「私達は、真実を知りに来たんだから」

「分かっています」


 リゼは拳(こぶし)を握った。

 二人は並んで立ち、目の前にいる兵士達を見つめた。

 

 アティシアは弓を引き絞る。狙いは兵士の足元だ。アティシアは迷いなく弓を放った。

 矢が放たれ、地面に突き刺さる。

 兵士達が怯(ひる)んだその隙を、アティシアとリゼが駆け抜けた。


「行こう、リゼ!」

「はい!」


 二人は研究施設の門へ向かって走り出した。

 その先に何があるのか。

 どれほど残酷な真実が待っているのか。

 まだ、二人は知らない。

 けれど、ただ一つだけ分かっていることがある。ここから先にあるものはリゼの過去だけではない。アルヴェリア王国そのものの秘密だ。


 そしてその秘密は二人がこれまで信じてきた『兵器』という言葉の意味さえ、覆(くつがえ)すことになる。アティシアはリゼの手を取った。


「絶対に離れないで」

「はい、何があっても離れません」


 二人は互いに手を取り合い、地下研究施設へ続く階段を駆け下りていった。

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