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第18話 王都へ


 森を抜けてから、三日が過ぎた。

 二人は街道(かいどう)を避け、山間(さんかん)の細い道を歩いていた。


 王国軍との戦闘から、まだ身体の疲れが抜けていない。

アティシアの左腕には浅い切り傷が残り、リゼの服にもいくつもの裂け目があった。

 それでも、二人は立ち止まらなかった。

 追手は、まだ来ている。

 遠くで馬の蹄(てい)が聞こえるたびに、二人は身を潜めた。


 夜になれば焚き火も起こさない。

 森の中で、冷たい地面に毛布を敷いて眠る。

 食事も簡素(かんそ)だった。

 乾いたパンを少し。

 水を一口ずつ。それだけで朝を迎える。

 逃亡生活はもう以前ほど怖くなかった。

 けれど、その日の朝。

 リゼが突然、足を止めた。


「……リゼ?」


 アティシアが振り返ったがリゼは返事をしなかった。片手で胸元を押さえている。


「どうしたの?」

「……少しだけ」


 呼吸が乱れていた。普段のリゼなら、疲労を顔に出すことはほとんどない。

 どれだけ歩いても、どれだけ戦っても、彼女は平然としていた。

 だからこそ、アティシアはすぐに異変に気づいた。


「苦しい?」

「……分かりません」

「分からないって……」


 アティシアが近づいて、リゼの額に手を当てる。熱はない。けれど、その身体がわずかに震えていた。


「少し休もう」

「大丈夫です」

「大丈夫じゃないよ」


 アティシアはリゼの肩を掴んだ。


「昨日もそうだった。歩く速度が落ちてた」

「……」

「隠してたの?」


 リゼは黙った。

 その沈黙が答えだった。


「どうして言わなかったの」

「アティシア様に心配をかけたくありませんでした」

「心配するよ」


 アティシアは眉を寄せる。


「一緒に生きるって決めたんだから」


 リゼがゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には、戸惑いが浮かんでいた。


「……一緒に、生きる」

「そうだよ」

「なら……私は、あなたに迷惑をかけてもいいのでしょうか」

「迷惑じゃない。それに私だってリゼに迷惑かけてるでしょ」

「……アティシアは、よく転びます」

「それは今言う?」


 アティシアは思わず笑ってしまう。

 リゼもほんの少しだけ口元を緩めた。

 けれど、その笑顔はすぐに消えた。

 再び胸元に手を当てる。


「……ただ」

「うん?」

「最近、身体の中が熱くなることがあります」

「熱く?」

「はい」


 リゼは自分の胸を見つめた。


「それと……音が聞こえます」

「音?」

「心臓の音とは違います」


 アティシアは言葉を失った。

 リゼは目を閉じる。


「……何かが、起動しようとしているような」


 その言葉を聞いた瞬間。アティシアの脳裏に地下施設の光景が蘇った。

 鉄格子(てつごうし)。白い壁。薬品の匂い。そして、リゼの身体に刻まれていた無数の傷。


「……王国の施設で、何かされたの?」

「分かりません」


 リゼは首を横に振った。

 そのときだった。森の奥から枝の折れる音がした。二人は同時に振り返る。

 アティシアが剣を抜いた。リゼも身構える。

 しかし、現れたのは兵士ではなかった。


 古びた荷馬車(にばしゃ)だった。

 御者(ぎょしゃ)をしていた老人が二人を見ると、驚いたように目を見開いた。


「お前さんたち……もしかして王国軍に追われているのか?」


 アティシアは警戒しながら頷いた。


「……そうです」

「だったら、こっちへ来な」


 老人は周囲を確認する。


「街道(かいどう)の先に王国軍がいる。昨日から何度も通ってる」

「王国軍が?」

「ああ。お前さんたちを探してるらしい。特に兵器の少女をな」


 リゼの身体がわずかに強張った。

 アティシアはそれを見逃さなかった。

 老人の荷馬車(にばしゃ)に身を隠し、二人は森を抜けた。


 そこで初めて、老人から王都周辺の状況を聞いた。王国軍は街道だけではなく、村や町にも検問所(けんもんじょ)を設置している。

 王女(アティシア)と兵器人間(No.017)の逃亡。この二つは、王国内でも大きな事件になっていた。


「……王都は?」


  アリシアが尋ねると老人は眉間に眉を寄せた。


「どうしてそんなことを聞く?」

「王都へ行きたいんです」


 アティシアの言葉に老人は驚いたように目を見開く。 

 

「正気か?」

「はい」


 アティシアは答えた。

 王都。そこには父がいる。騎士団がいる。

 自分が捨てた城がある。

 そして―― 王国が隠しているものがある。


 数日前。

 王国軍から逃げる際、倒れた兵士の懐から一枚の紙が落ちていた。

 アティシアが拾ったその紙に書かれていたのは、軍の追跡命令(ついせきめいれい)だけではなかった。


 王都地下。第一研究区画。

 そして、その下に記されていた一文。

 ――『原型個体(げんけいこたい)』の移送準備を開始。アティシアには、その言葉の意味が分からなかった。

 だが、その紙を見た瞬間、リゼが青ざめた。


「……これ」

「知ってるの?」

「分かりません」


 リゼは紙を見つめたまま答えた。


「でも……この言葉を見たことがあります」

「どこで?」

「施設で」


 アティシアの背筋に寒気が走った。


「思い出せません。ただ……身体が覚えています」


 リゼは自分の胸に手を当てた。


「この文字を見ると、怖いです」

「王都へ行こう」

「……はい」

「私たちは、ずっと逃げてきた」


 アティシアは遠くに見える王都の方向を見つめた。まだ地平線の向こうにある。

 けれど、かすかに城壁が見えていた。


「逃げるだけじゃ、何も終わらない。私は自分が見たものを王国に伝える」


 兵器として扱われていた少女達。

 焼かれた村。奪われた家族。戦争のために作られた命。

 そして、自分自身がその国の王女だったという事実。


「私が王女だったからこそ、言わなきゃいけない」


 リゼは静かにアティシアを見つめていた。


「……怖くないのですか?」

「怖いよ。父にも会わなきゃいけないし……」

「……お父様」

「うん。でも、もう知らないふりはできない」

 

 どんなことが待ち受けていようともう逃げることはできないという現実を感じながら、二人は王都へと向かった。


✴︎


 その日の夕方。

 王都から二十キロほど離れた山道(さんどう)で、王国軍の姿を見つけた。


 一隊。十数人。

しかし、それだけではなかった。

 山の反対側にも兵士がいる。

 さらに遠くには騎兵隊。逃げ道を塞ぐように王国軍が配置されていた。


「……多すぎます」

「私たちが王都へ向かうことを、もう知られてる」


 アティシアは剣を抜いた。

 その瞬間、リゼがふらついた。


「リゼ!」


 アティシアがリゼの身体を支えると、リゼは支えてもらったアティシアの手に優しく自分の手を重ねる。


「……大丈夫です」

「また?」

「はい」


 リゼの身体が震えている。

 しかし、その直後だった。

 リゼの瞳が、一瞬だけ赤く光った。


「……え?」


 アティシアが息を呑む。

 リゼ自身も驚いていた。

 胸元から、微かな光が漏れている。

 まるで身体の奥に埋め込まれた何かが、目を覚まそうとしているようだった。


「リゼ……?」

「……私にも、分かりません」


 次の瞬間、遠くから兵士の声が響いた。


「いたぞ!」

「アティシア王女とNo.017だ!」

「捕らえろ!」


 大地を踏み鳴らし、兵士達が迫ってくる。

 アティシアは剣を強く握った。

 リゼも立ち上がる。


「行ける?」

「はい」

「無理はしないで」

「……アティシア様も」


 二人は同時に走り出した。

 逃げるためではない。真実を知るために。

 王国に自分達が見てきたものを突きつけるために。

 けれど、王都へ近づくほど、追跡(ついせき)は激しくなった。


 道の先、丘の向こう。

 森の中、あらゆる場所に王国軍がいた。

 まるで王都そのものが、二人を待ち構えているようだった。


✴︎


 そして、その夜。

 二人は廃屋(はいおく)に身を隠した。

 アティシアは拾った軍の資料である紙をもう一度開いた。紙の端には、見覚えのない紋章(もんしょう)が押されている。

 王家の紋章(もんしょう)ではない。

軍部のものでもない。その下には、短い文章があった。


 ——兵器人間計画《へいきにんげんけいかく》――第零世代(だいぜろせだい)。

 ——原型個体(げんけいこたい)——王都地下深層部(おうとちかしんそうぶ)にて管理。

 アティシアの指が止まった。


「……第零世代(だいぜろせだい)?」


 リゼが隣から紙を覗き込む。

 その瞬間、リゼが頭を押さえた。


「……っ」

「リゼ!」

「違います……」

「どうしたの?」

「この言葉……」


 リゼの呼吸が荒くなる。


「知っています」

「何を?」

「第零世代(だいぜろせだい)…… 私達が作られたんじゃない」

「……え?」


 リゼは自分の身体を見つめた。

 まるで、自分自身の中に眠る記憶を探しているように。


「私達は……何かを真似て作られた」

「何かって……?」

「分かりません」


 リゼの緑色の瞳が揺れる。


「でも……」


 そのとき、胸の奥から再び小さな音がした。

 カチッ。何かの機械が動くような音。

 アティシアは思わずリゼの胸元を見た。


「今の……何?」

「……分かりません」


 リゼは答えた。

 けれど、その顔には初めて明確(めいかく)な恐怖が浮かんでいた。

 王国が兵器人間を作った。

 それだけだと思っていた。

 だが、もし兵器人間には始まりがあるのだとしたら。


 誰が? 何のために?

 そして最初に作られた『原型個体(げんけいこたい)』とは一体何なのか。

 アティシアは資料を強く握りしめた。

 その答えは王都の地下深くに隠されている。


「……行こう、リゼ」


 アティシアがそう言い立ち上がるとリゼもゆっくりと腰を上げて、頷き返した。


「はい」


 窓の外、遠くに王都の灯りが見えていた。

 巨大な城壁。その中央にそびえる王城。

 そして、その地下には二人がまだ知らない王国最大の秘密が、静かに眠っていた。

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