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第17話 戦姫



 森を抜けた先に、広い平原(へいげん)が広がっていた。朝の光が草原を照らしている。

 昨夜まで降っていた雨の名残(なごり)が、草の葉に小さな雫となって残っていた。

 アティシアとリゼはそんな平原を並んで歩いていた。

 

 もう何日も、追われ続けている。

 王国軍の姿を見つけては道を変え、町を避け、森を抜けてきた。


 けれど、今日だけは様子が違った。

 アティシアが足を止めると遠くから低い音が聞こえていた。


 地面を震わせるような、無数の足音。

 馬の蹄(てい)、鎧が擦れる音。

 そして、風に乗って届いてくる無数の声。

 リゼも立ち止まった。


「……来ました」

「うん」


 アティシアは平原の向こうを見つめた。

 地平線の先から、黒い影がいくつも現れる。

 一人、二人、三人、四人。

 やがて、それは数え切れないほどの兵士の列になった。


 王国軍、今までとは規模が違う。

 数十人どころではない。

 百人を超える兵士たちが、平原を埋め尽くすように進んでくる。その中央には騎兵隊(きへいたい)。


 さらにその後ろには、王国騎士団の旗が掲げられていた。

赤と金。アティシアが生まれてからずっと見てきた旗だった。胸の奥が強く締め付けられる。


「……騎士団」


 アティシアの声が小さく震えた。

 リゼが隣を見る。


「知っている人たちですか?」

「うん」


 アティシアは腰の剣に手を添えた。


「私が、昔いた場所だから」


 王女として生まれたアティシアには、専属の護衛騎士がいた。剣を教えてくれた者。

 馬の乗り方を教えてくれた者。

 弓の構え方を直してくれた者。

 幼い頃、転んで泣いたときに手を差し伸べてくれた人もいた。彼らと共に訓練をした。


 共に食事をして、戦場にも出た。

 アティシアにとって騎士団は、国そのものだった。

 だからこそ、その旗を見るだけで、胸が痛んだ。やがて先頭の騎士が馬を進めてくる。


 アティシアとリゼの元までやって来るとそこには見慣れた顔があった。

 アリシアが幼い頃から剣を教わっていた騎士。何度も模擬戦(もぎせん)をした相手。

 何度も負けて、何度も立ち上がった相手。


「……先生」


 アティシアの口から自然に言葉が漏れた。

 騎士は苦しそうな顔をした。


「アティシア王女」

「……」

「もう逃げるのはやめてください」


 その声は昔と変わらなかった。

 厳しくてそれでもどこか優しい声。


「陛下は怒っておられる。だが、あなたを罰するつもりはない」

「……リゼは?」


 騎士は黙った。

 その沈黙だけで、答えは分かった。


「彼女を引き渡せば、すべて終わる」

「……それで?」

「あなたは王女として城へ戻れる」


 アティシアは目を伏せた。

 城へ戻れば温かい食事や清潔な寝室。

 何不自由ない生活ができる。

 

 父王に騎士団がいるアルヴィリア王国。

 そこへ帰ることは、きっと難しくない。

 リゼを置いていけば帰れる。たったそれだけで。


「……嫌です。リゼは渡さない」


 アティシアは顔を上げた。 

 もう、迷いはしない。リゼは絶対に渡さない。

 そんなアティシアの迷いのない返事に騎士の表情が曇った。


「なぜです?」

「この子は、兵器じゃないから」

「アティシア王女――」

「もう、王女って呼ばないで」


 アティシアは剣を抜いた。

 朝の光を受け、刃が白く輝く。


「私はもう、あなたたちの知っている王女じゃないわ。私は自分で決めたの。この子と一緒に生きるって」


 騎士は目を閉じる。


「……戻ってきてください。アティシア王女!」


 その声には、命令だけではない感情が混ざっていた。


「貴方はアルヴィリア王国の第一王女です!」

「……分かってる」

「ならば、なぜ!」

「分かってるからこそ、私は、もう国のためだけに生きたくない!」


 アティシアは今の気持ちを叫んだ。

 その瞬間、騎士団が一斉に動いた。


「捕らえろ!」


 大地を蹴る音。

 数十人の騎士が、一斉に迫ってくる。


「リゼ!」


 アティシアが叫ぶ。

 しかし、リゼは動かなかった。

 アティシアを見て問いかけてきた。


「……どうしますか?」

「逃げるよ!」

「はい」


 二人は同時に走り出した。平原を駆ける。

 背後から騎士たちが追ってくる。

 アティシアは剣を構えた。

 一人目の騎士が斬りかかってくる。

 剣を受け止める金属音が平原に響いた。


「アティシア様!」

「……!」


 相手の顔が見える。

 昔、一緒に訓練した騎士だった。

 アティシアの剣を何度も受けてくれた。

 何度も「もっと腰を落とせ」と言ってくれた。その相手が今は自分を捕らえようとしている。


 剣を押し返す。騎士が体勢(たいせい)を崩した。アティシアはとどめを刺さず、その横を駆け抜ける。


「待て!」


 別の騎士が迫り、剣を振る。

 アティシアも剣を合わせる。


 一撃、二撃、三撃。

 かつて訓練した動きが、身体に染みついている。相手の癖も分かる。

 踏み込みの前に肩がわずかに動く。

 剣を振り下ろすとき、右足が半歩前に出る。

 だから避けられる、受け流せる、反撃できる。


「どうして……! なぜ、お前が俺達と戦える!」


 アティシアは剣を弾きながら答える。


「ずっと……あなたたちに教わってきたから!」


 そのまま相手の手首を打つと剣が地面に落ちる。アティシアは振り返らずに走った。


 殺さない。傷つける必要もない。

 ただ、前へ進む。

 そのとき、背後から鋭い殺気が走った。

 一人の騎士が、アティシアの背中へ剣を振り下ろそうとしていた。

 リゼが動いて、地面を蹴った。

 次の瞬間には、騎士の前に立っていた。

 腕を掴み、そのまま投げ飛ばす。

 騎士の身体が地面を転がった。

 リゼは追撃しなかった。

 ただ、アティシアの前に立つ。


「リゼ……?」

「アティシア様」


 その声には、以前のような命令を待つ響きがなかった。


「私は、あなたを守りたいです」


 リゼの言葉にアティシア目を見開く。


「……命令じゃないの?」

「はい」


 リゼは静かに答えた。


「命令ではありません」


 もう一人の騎士が迫ってくる。

 リゼはアティシアの前に立ったまま、その攻撃を受け止めた。


「私は……アティシアが傷つくのが嫌です」


 その言葉に、アティシアの胸が熱くなる。

 リゼが自分の意思で言った。

 自分の意思で、アティシア(自分)守ろうとしている。だからアティシアも剣を握り直した。


「……ありがとう」


 二人は背中合わせになる。

 周囲には王国軍。逃げ道は少ない。

 それでも、今までとは違った。

 一人で戦っているわけではない。

 守る者と守られる者でもない。

 二人で、同じ方向を向いている。


「リゼ」

「はい」

「走れる?」

「もちろんです」

「じゃあ――」


 アティシアは前方を見た。

 騎士達の間に、わずかな隙間がある。


「一緒に行こう」

「はい」


 二人は走り出した。

 アティシアは剣を振る。

 迫る騎士の剣を弾き、道を開く。

 リゼはその横を駆け、迫る兵士たちを次々と退ける。殺さない。必要以上に傷つけない。


 それでも止まらない。何度も剣を交えた。

 何度も名前を呼ばれた。


「アティシア様!」

「戻ってこい!」

「王女様!」


 その声を背中に受けながら、アティシアは走った。胸の奥では痛みが消えなかった。

 大切だった人たちと戦っている。

 自分が育った国を敵に回している。

 きっと、もう以前のようには戻れない。


 それでも隣を見る。

 アティシア(自分)の隣にはリゼがいる。

 息を切らしながら、それでも自分の足で走っている。命令されているからではない。


 兵器だからでもない。

 ただ、自分と一緒にいたいから。

 アティシアは前を向いた。

 平原の向こうに、森が見えている。

 そこまで辿り着けば、王国軍を撒けるかもしれない。


「リゼ!」

「はい!」

「絶対に離れないで!」

「離れません!」


 二人の手が、一瞬だけ触れた。

 そのまま、互いの存在を確かめるように走る。背後から、騎士団の声が遠ざかっていく。

 やがて二人は森の中へ飛び込んだ。

 木々の間を抜ける。枝が頬を掠める。

 息が苦しい。足も重い。

 それでも、止まらなかった。

 しばらくして、アティシアは木の陰で足を止めた。リゼも隣で立ち止まる。

 二人とも、荒い呼吸を繰り返していた。


「……逃げ切れた、かな」

「分かりません」

「そっか」


 アティシアは小さく笑った。

 そして、握っていた剣を見る。

 その刃には、かつての仲間の剣を受けた跡が残っていた。

 王女として生きていた頃なら、国のためなら、父のためなら、きっともっと迷わず戦えた。けれど今は違う。

 アティシアは剣を鞘(さや)へ収めた。


「私、初めてだった」

「何がですか?」

「自分の意思で、戦ったの」


 リゼが黙ってアティシアを見る。


「王女だから戦うんじゃなくてリゼと一緒に生きたいから戦った」


 リゼは少しだけ目を細めた。


「……私も同じです」

「うん」

「私は、アティシア様と一緒にいたいから戦いました」


 二人の間に、静かな時間が流れた。

 遠くで鳥が鳴いている。

 森の木々の隙間から、青い空が見えた。

 アティシアは小さく息を吐いた。

 もう、自分は王国へ戻れない。

 きっと、昔の仲間たちとも笑い合えない。

 それでも隣にはリゼがいる。だから前へ進める。


「行こう、リゼ」

「はい、アティシア様」


 二人は再び歩き始めた。

 王女と兵器ではない。 

 国に選ばれた者でも、命令された者でもない。

 自分の意思で生きると決めた、二人の少女として。

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