第13話 兵器の人間
村を出てから、五日が過ぎた。
山道を抜けた二人は、街道を避けるようにして南へ進んでいた。
王国軍の捜索がどこまで広がっているのか分からない。
人の多い町へ入ることもできず、二人は森や丘を越え、時には川沿いを歩きながら移動していた。
朝は冷えた。吐く息が白くなるほどではないものの、夜の間に降りた露が草を濡らし、靴の中まで冷たさが伝わってくる。
アティシアは肩にかけた荷物を持ち直した。
「……重い」
弱音が漏れる。
以前なら、こんな荷物を自分で持つことすらなかった。城を出てから、何度目だろう。
同じことを繰り返している。
歩いて、休んで、食べて、また歩く。
それだけの旅だった。
隣では、リゼが一定の歩幅で歩いている。
疲れを見せない。足場が悪くても速度は変わらず、周囲を警戒しながら淡々と前へ進んでいる。
「リゼ」
「はい」
「ちょっと休もう」
「まだ歩けます」
「私は歩けないの」
「分かりました」
リゼは素直に足を止めた。
二人は街道から少し離れた岩陰へ腰を下ろした。
アティシアが水筒を取り出して一口飲む。
冷たい水が喉を通っていく。
「……ふう」
空を見上げる。
雲の切れ間から、青空が覗いていた。
村を出てから、ずっと胸の奥に何かが引っかかっている。
帰る場所。あの村で初めてそう思えた。
そして、そこから追い出されるように出てきた。
自分たちは逃げている。
王国から、追っ手から。
そして、自分たちが背負っている過去から。
「……いつまで続くのかな」
アティシアが小さく呟いた。
「何がですか?」
「この旅」
「分かりません」
「だよね」
リゼも空を見上げる。
「私は、アティシア様と一緒なら何処へでも行けます」
その言葉に、アティシアは少しだけ笑った。
「ありがとう」
そのときだった。
森の奥から、何かが倒れる音がした。
枝が折れる。続いて、地面を擦るような音。二人は同時に立ち上がった。
リゼが一歩前へ出る。
「人です」
「分かる?」
「呼吸音があります」
音のした方向へ進み、木々の間を抜ける。
そこには、小さな少女が倒れていた。
年齢は、リゼとそう変わらないように見える。
淡い茶色の髪。薄汚れた白い服。
裸足に近い足には、擦り傷がいくつもあった。
少女は木の根元に身体を預け、目を閉じている。
「大丈夫!?」
アティシアが駆け寄り、少女の肩に触れる。
すると少女の身体がびくり跳ねた。
「……っ」
少女が目を開く。怯えた瞳。
逃げようとするが、力が入らないのか身体が地面へ崩れた。
「待って、私達は敵じゃないよ」
少女は答えない。
ただ、アティシアとリゼを交互に見ている。
そしてリゼを見た瞬間、目を見開いた。
「……あなた兵器人間ですか……?」
リゼがそう問いかけると少女は身体が固まった。
そして震える手で、自分の腕を隠すように抱えた。
「……違う」
否定する声。
けれど、その言葉には確信がなかった。
「違わないです。私も兵器人間なのでわかります。貴方が私と同じ兵器人間であることが」
リゼの言葉に少女は息を呑んだ。
しばらくして、小さく笑った。泣きそうな笑い方だった。
そして少女は力なく目を閉じる。
「……やっぱり、私だけじゃなかったんだ」
その言葉に、リゼが僅かに眉を動かした。
✴︎
話しを聞くと、少女の名前は、ミナというらしい。
森の中で動けなくなっていたのは、数日間ほとんど食べていなかったからだった。
アティシアが持っていたパンを渡すと、ミナは最初、食べようとしなかった。
疑っているのかと思った。しかし違った。
「……食べてもいいの?」
その声は、驚くほど小さかった。
「もちろん」
アティシアがパンを差し出すとミナは両手で受け取った。
少しだけ匂いを嗅ぐ。そして一口、口に入れてゆっくり噛むと表情が変わった。
「……美味しい」
その言葉に、リゼが反応した。
「美味しいですか?」
「うん」
「味を理解しているのですか?」
「……うん」
「なぜ?」
「なぜって……」
ミナは少し困ったように笑った。
「美味しいから」
リゼは黙った。
それは、以前のリゼなら理解できなかった答えだった。けれど、今は違う。
リゼ自身も、知っている。
パンの温かさ、スープの味、海の匂い。
夕日の色。それらが必要だからではなく、好きだと思えることを。
だからこそ、目の前の少女が気になった。
「あなたは、普通の生活を知っているのですか?」
リゼの質問にミナはパンを食べながら頷いた。
「普通……かは分からないけど。昔は、お母さんと一緒に暮らしてた」
そんなミナの返事にリゼの動きが止まった。
「母親?」
「うん」
「兵器人間が?」
「私、最初から兵器だったわけじゃないから」
アティシアが顔を上げる。
「……どういうこと?」
ミナは少し迷ったように黙ったが、やがてゆっくりと自分の袖をまくった。
細い腕。その内側に、薄く残った傷跡があった。
「私は普通の子供だった」
小さな傷ではない。
何度も何度も針を刺されたような跡。古い縫合痕のようだ。
「病気になったの。お母さんがお金を払えなくて、治療できなかった。そこへ、王国の人が来た」
ミナの指がパンを強く握る。
「治療してあげるって言われた」
「…………」
「でも、本当は違った」
ミナは自分の腕を見つめる。
「治療されたあと、施設に連れていかれた。そこで身体を調べられた」
血液、薬、身体能力、反射速度、耐久性。
何度も検査された。
「最初は帰れると思ってた。でも、帰れなかった。やがて身体へ特殊な処置を施された。筋力を強化するための薬ね」
神経反応を変えるための処置。
傷を塞ぐための再生技術。
そして、戦場で使うための訓練などミナは全てを話してくれた。
「私たちは、そうやって作られた」
その言葉に、リゼが反応した。
「私たち?」
「うん。私だけじゃない」
アティシアは息を呑んだ。
「施設には、たくさんいた」
「何人?」
「分からない」
ミナは首を横に振る。
「部屋がいっぱいあったから」
少女たち。少年たち。
年齢も様々だった。
生まれたときから施設にいる者。
ミナのように、普通の生活から連れてこられた者。
戦争で家族を失い、引き取られた者。
借金の代わりに引き渡された者。
そして、最初から兵器として生み出された者。リゼはずっと黙っていた。
自分は特別だった。だから地下施設にいた。
自分だけが、あんな身体にされた。
自分だけが、人間ではない何かにされた。
心の奥底ではずっと、そう思っていた。
けれど、違った。自分は特別なのではない。
同じように作られた人間が、何人もいる。
そして、その一人が今ここにいる。
✴︎
ミナの話は、夜まで続いた。
アティシアとリゼはミナの話しを聞きながら、何度も質問した。
施設の場所、研究員、処置の内容。
兵器人間がどのように扱われていたのか。
けれど、ミナもすべてを知っているわけではなかった。
施設では部屋ごとに管理されていたこと。
外へ出ることは許されなかったこと。
名前を呼ばれることも少なかったこと。
番号を与えられ、記録され、能力を測定される。
一定の基準を満たせば軍へ送られる。
満たさなければ、別の処置を受ける。その繰り返しだったとミナは話し終わるとアティシアは静かに口を開いた。
「……それって」
「人間を、最初から兵士として作ってるってこと?」
ミナは答えなかった。
代わりに、焚き火を見つめた。
薪が爆ぜて、赤い火の粉が夜空へ消えていく。
「私は逃げた」
「施設から?」
「うん」
「どうやって?」
「隙を見つけて。運良く逃げれた」
ミナはそれ以上話さなかった。
アティシアもそれ以上は何も聞かなかった。
聞けば、もっと多くのことを知ることになる。
そして、そのすべてが自分の国と繋がっている。アティシアは膝の上で拳を握った。
父王の言葉が蘇る。
——王族は国を守る盾でなければならない。
幼い頃から教えられてきた。
国を守る。民を守る。敵を倒す。それらが王族の役目だと。
けれど、自分の国は誰かを兵器に変えて。
自由を奪って、命令に従う人間を作って。
それを『国を守るため』と呼んでいる。
「……これが私が守っていた国……?」
隣にいたリゼが顔を上げる。
アティシアは、しばらく炎を見つめていた。
その炎の向こうに、王城が見えるような気がした。
白い城壁。大広間。玉座。父王。
そして地下深くにある、鉄格子。
「私……何も知らなかった」
声が震える。
自分は王女だった。国の中心にいた。
なのに、自分の足元で何が行われているのか何一つ知らなかった。知らされていなかった。
いや、もしかしたら、知ろうとしなかったのかもしれない。
王女として与えられた生活を受け入れて。
父の言葉を信じて、王国軍が正しいと思っていた。
その裏側で何人もの人間が兵器へ変えられていた。
自国の歪さを改めて目の当たりにし、アティシアは顔を伏せた。
その隣で、リゼが静かに手を伸ばす。
指先が、アティシアの手に触れるとアティシアははっと我に返り、隣にいるリゼに顔を向けた。
「アティシア様……」
「……うん」
「あなたが知らなかったことまで、あなたの責任ではありません」
「でも……」
「私は、あなたに会いました」
リゼの瞳は真っ直ぐだった。
「あなたは私を助けました」
「…………」
「だから私はあなたがこれから、どうするかを見たいです」
アティシアの胸に、リゼの言葉が落ちていく。
過去を消すことはできない。
もちろん、王国がしたことも、リゼがしたことも。自分が戦場で人を殺したこともなかったことにはできない。
けれど、これから何をするかは、自分で選べる。アティシアは静かに頷いた。
「……うん」
そして、焚き火を挟んで向かい側に座っているミナを見る。
「アルヴェリア国が何をしているのか、もっと知りたい」
それは、ただの逃亡者としての言葉ではなかった。
アルヴェリア王国の第一王女だった自分が初めて、自分の国そのものへ疑問を向けた瞬間だった。
三人を照らす焚き火が、静かに燃え続けている。リゼは自分の目の前にいる少女を見た。
自分と同じだけれど、自分とは違う。
普通の家を知っている。母親を知っている。
料理を知っている。笑うことを知っている。
そして、それでも兵器にされた。
リゼは、自分の胸へ手を当てた。
そこにあるのは、兵器として作られた身体。
けれど、今は違う。
海を見たいと思う。パンを美味しいと思う。
子供たちと遊びたいと思う。
アリシアと一緒にいたいと思う。
それらは、誰かに命令されたものではない。
自分の中から生まれたものだ。
だったら自分もまた、ただの兵器ではないのかもしれない。
リゼは、初めてそんなことを思った。
そしてその夜、三人の少女の間にはまだ言葉にできないほど大きな秘密が横たわっていた。
アルヴェリア王国が、なぜ兵器人間を必要としたのか。誰が彼女たちを作ったのか。
そして、施設の奥にはいったい何が残されているのか。その答えを二人はまだ知らない。




