↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
疾風のフィリアン  作者: 北の方の狐
第0章 前世編
2/21

下 『破綻』

 家から出られなくなって何日経っただろう。


 初めのうちは学校に行こうとしていた。

 身だしなみを整え、制服に着替えて。あとは出発するだけのところで、足が動かなかった。

 やけにドアノブが重たく感じた。


 それが辛くて、甘い言葉に誘われて。俺は、学校に行くことができなくなった。


 母は心配している。

 父は何も言わずに見守ってくれている。


 どうせ外面だけの心配だろうに……


 ──コンコンコン


 そんなことを考えていると、ドアが三度叩かれた。


「入るわよ」


 母の声だ。

 母は毎日様子を見に俺の部屋へとくる。


「…………」


 だが俺は、いつもそんな母の声を黙殺し、諦めるのを待つ。


 ──ドォンドォンドォン


 先程よりも力強くドアが叩かれる。


「入るわよ」


「……どうぞ」


 母は毎日やや強引に様子を見に俺の部屋へとくる。

 諦める気なんてないとばかりに、毎日だ。

 でも、その言葉は催促ではない。


「学校、いけそう?」


「…………」


「まあ、学校なんて行かなくても死なないわ」


 無理なら無理で構わないと、力強く優しい言葉だ。

 そんな言葉は、一切俺の心に響かなかった。

 だったら、いっそのこと怒鳴ってくれた方が楽だった。

 無理やりにでも背中を押してくれた方が。


「……そうかな」


 飛び出してきた声は、ただの雑音としてかき消されてもおかしくないくらいの声量だった。


 まさかあんな場所へ行きたいと思っているわけでもあるまい。

 なのに、どうして心が満たない感覚が続くんだろうか。


「自分の人生よ。好きに生きればそれでいいのよ」


「……わかった」


「ご飯、ここに置いておくからね」


「…………」


「冷める前に食べなさいよ」


 ドアが閉まる。


 数分後。

 部屋の前にあった人の気配が消える。

 母はいつも、俺がご飯を食べ始めるのを待っていた。


 母とは毎日こんな調子だ。

 心の底から本心をぶちまけるでもない。

 学校に行かせようと催促するのでもない。

 なのに、どうして毎日くるのか……



 ◇



 一週間が過ぎた。

 制服に袖を通し、それでもドアノブが開かない日々が続いた。


 一ヶ月が過ぎた。

 学校からの連絡には目を通していた。


 一年が過ぎた。

 クローゼットの奥底にしまった制服は、もう何ヶ月も見ていない。


 数年が過ぎた。

 学校に関係するものはもう、残ってもいない。

 今が何月かすらもわからない。

 季節でいえば冬だとわかるが。


 俺はもう世間では、大学生や社会人と呼ばれる年齢だ。

 それでも俺の生活はほとんど変わらなかった。

 部屋に篭って現実逃避をし続ける。

 そんな毎日だ。


 だからこそ、その日は異常だった。


「ちょっと来なさい」


 母が突然部屋に入ってきたかと思えば、有無を言わさぬ強い口調でそう言われた。


 気づけば俺は、リビングのテーブルに座っていた。

 此処に座るのも、もう何年振りかわからない。


「…………」


 沈黙が続く。

 父も母も、何かを言いたげだった。

 けれど、誰も口を開かない。

 物音ひとつない重苦しい空間が、そこにあった。


「……お父さんが会社をクビになったわ」


 沈黙を破った勇敢な選手は母だ。


 なんてふざけている場合ではないのだろう。

 内容はそんな軽いものではなかった。

 それに、父と母の表情が暗い。


「会社の景気が悪くなってリストラされたの」


 だから何だ、なんでそれを俺に言うんだ、そう思った。

 いや、言おうとした。


「……っそ」


 理解が追いつかず、声に出た言葉は、そんなそっけないものだった。

 言葉を発した途端、父の顔に怒りの表情が宿った。


「なんだその態度は!いつもいつも家に引きこもって!そろそろ働いたらどうなんだ!」


 テーブルを叩く音が響いた。


「俺たちはずっと待ってたんだ!いつか戻ってきてくれると」


 待っていた?

 何年も部屋に閉じこもっていた俺を?

 そんな言葉を、素直に信じられるはずがなかった。


「……俺のせいにするなよ」


 ボソリと呟いた。


「なんだ?」


「俺のせいにするなよッ!」


 つい飛び出してきた言葉は、父を、そして自分すら傷つける言葉だった。


「お前だってどれだけ息子が傷ついてるのか考えたことがあんのかよ!クビになったのだって、どうせお前が無能だからだろッ!」


 本当に思っていたわけじゃない。

 ただ、言ってしまったんだ。

 それだけはダメだった。


「なッ…………出てけ」


 そう言った父の表情は、怒りか、悲しみか。

 読み取れない複雑な顔だった。


「この家から、出ていけ」


「わかった。出て行ってやるよ!」


「ちょ、ちょっと、待って!」


 母が慌ててそう言う。

 でももう、後戻りはできない。

 母の言葉を黙殺し、家を飛び出した。



 家から追い出されて、俺の頭には言葉にもならない思考がぐるぐると回っていた。

 なんであんなことを言ってしまったのか。

 なんでこんなことになってしまったのか。

 どれだけ考えても答えは出ない。


「これからどうしようか……」


 そんなことを思った。

 当たり前だ。

 今まで働いたことなんてないんだ。


 今となっては職なし家なしのクズだ。

 生きている意味なんてあるんだろうか……


 そんなことを思いながら、冬の橋を歩いていた。

 そんな時だった。


「うぷっはぁうっ」


 俺の耳に苦しそうな声が飛び込んできた。

 慌てて視線を合わせれば、氾濫した川で溺れている少女がいた。


 条件反射のように体が動いた。

 考える暇なんてなかった。

 いや、思考なんてせず動いていた。


「大丈夫かッ!今行くぞ!」


 身を包むコートを脱ぎ捨て、川に飛び込んだ。

 異様に冷たい水が体を包む。


 雨でも降っていたのだろうか。

 川の流れは速く、俺でも足がつかないくらい深くなっていた。


 それでも必死に泳ぎ、少女の下に行った。

 溺れてパニックになっている少女を掴むと、急いで岸に向かった。


「大丈夫か?」


 岸に上がり、少女に問いかける。


「はぁはぁ、ありがとう。お兄さん」


 川に飛び込んでからそう時間が経ったわけではないのか。

 意識を保ち、しっかりと呼吸もできている。


 しかし、唇が青く染まっている。体も小刻みに震えている。

 体が冷え切ってしまったみたいだ。

 このままでは危ないだろう。


 俺は、元いた場所に戻り、脱ぎ捨てたコートを持ってきた。


「これを使え」


「お兄さんは、平気なの?」


 平気かどうかで聞かれれば、平気ではないかもしれない。

 でも、この少女だってこのままでは危ないのだ。


「家がすぐそこだ。風邪を引く前に帰れるさ。1人で帰れるか?」


 だから、安心させるために嘘をつくことにした。

 もちろん、帰る家なんてない。


「うん。大丈夫」


「そうか。じゃあ風邪をひかないようにな」


 それだけ言うと、俺は歩き出した。

 近くの公園へと。


 なんだか体が異様に熱い。

 体は重いし、震えるせいで足取りもおぼつかない。


 とりあえず座ろうと公園のベンチに座った。

 冷え切った夜の公園には、誰一人としていなかった。


 なんだかとても眠たい。


(ああ、俺死ぬのか)


 聞いたことがある。

 凍死するときは、眠るように死ぬと。


(まあ死んで当然のクズだったしな)


 此処へ来るまでの自分は、酷いものだった。

 そんなクズを、きっと神様が天罰を与えたんだ。


(子供を助けて死ぬとかいう、クズらしくない最後は……悪くない)


 悔いはない、そんなことを言える立派な人生じゃなかった。

 心残りだってたくさんある。

 その最たるものは、親とあんな別れ方をしてしまったことだろうか。


(父さん、母さん、ごめ…………)


 俺の意識は深く深く眠りについた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。