第17話 『レオン』
「あとはまかせろ」
そう言って、お父さんは一歩前に出た。
それだけだった。
「グ、グォ………?」
なのに、目の前にいたオーガが一歩後ろに後ずさった。
まるで、お父さんを警戒するように。
僕はこの光景を何度か見たことがある。
お父さんの狩りを見ると、決まって獲物はこんな反応を見せる。
つまりこの瞬間から、お父さんが狩人でオーガは獲物だ。
狩人は獲物にやられない。
「お父さん、がんばれー!」
僕はそう言った途端、一瞬だけお父さんの頬が緩んだ気がした。
刹那、剣が閃く。
何が起きたのか分からなかった。
気づけばオーガの棍棒が宙を舞っている。
いや違う。
腕が吹き飛んだんだ。棍棒ごとオーガの腕が。
「グォ………?」
オーガですら理解が追いつかない。
遅れて、肩口から大量の血が噴き出す。
「グォォォォォォ!」
絶叫。
だがお父さんは追撃を止めない。
たった一歩踏み込む。
それだけで距離がなくなった。
再び剣が閃く。
僕がそれを認識した頃には、すでにオーガの首がずれ落ちていた。
巨体がぐらりと揺れる。
そしてそのまま地面へと崩れ落ちた。
「──終わりだ」
お父さんが呟く。
あまりにも一瞬であった。
僕が命懸けで時間を稼ごうとした相手を、お父さんは数秒で倒してしまった。
「お父さん!」
気づけば僕は駆け出していた。
お父さんの元に。
「怪我はないか」
「大丈夫!」
お父さんは僕の頭にポンと手を置いた。
大きな手だった。
小さい頃から何度も撫でられた手。
それだけで安心感を得られる。
「……フィル、先に広場に戻ってろ」
そう言われて、気づく。
周りにはもう魔物がいないことを。
それが意味することは、スタンピードの終結だ。
だけど、一つだけ違和感を覚える。
「お父さんは?」
スタンピードが終わったはずなのに、なぜお父さんは一緒に戻らないのか。
「少し気になることがあるだけだ。すぐ戻る」
森の方を見つめながらそう言った。
少し気になったけど、お父さんが言うのだから問題ないのだろう。
ならばここは従っておこう。
「わかった。気をつけて」
それだけ言って、広場に戻った。
◇◆◇
フィルの背中が見えなくなったことを確認すると、レオンは小さく息を吐いた。
頬には汗が垂れた跡が、一筋残っていた。
レオンは静かに森を見据える。
そこには誰もいない。
だが、レオンは感じていた。
森の奥から感じられる、只ならぬ圧を。
「なんだ……あれは」
周囲には村人の姿はない。
おそらく他の狩人達も残敵の確認や負傷者の対応に追われている。
「増援は望めない、か」
(まずいな)
レオンはこの村では指折りの強者だ。
元冒険者パーティのリーダーたるエドガー。
リリアーナの父親にして魔族のアルベルト。
この二人と肩を並べる。
自分に対処できないほどの魔物は、この村だけでは無理だ。
さらに、今はアルベルトもこの村にはいない。
レオンは剣を握り直す。
それとほぼ同時であった。
森の奥に潜んでいた何かが、目にも止まらぬ速さで飛びかかってきた。
「ッ!?」
レオンはそれをギリギリで剣で受ける。
反応できたのはほとんどまぐれだった。
こんな攻撃が続けば、無事では済まないだろう。
レオンは飛び退きながら、飛びかかってきた何かを見据える。
目に飛び込んできたのは───
「なんだ……それは」
ウルフの姿だった。
ウルフが現れるのは珍しいことではない。
このスタンピートでもウルフは数多くいた。
だが、このウルフは他のウルフと大きく違うことがあった。
瞳は真っ赤に染まり、額からは漆黒の角が2本生えていた。
さらにその体からは、薄紫の魔力が漏れ出している。
レオンは知らない。
こんな姿をしている魔物は見たことがない。
(変異種か……?)
変異種ならば厄介だ。
しかも、ここまで成熟しきっている変異種はそう多くない。
群れと違う姿をする変異種を、群全体で迫害するからだ。
成熟しきっている変異種が持つ特異性は、戦闘力だけではない。
迫害されても生き残る生命力や狡猾さもまた、その強さの源だ。
変異種相手に様子見をしてはならない。
手札が不明であるために、毒などを獲得している可能性があるからだ。
故にレオンは、自分にできる全力を、一撃に込めることに決めた。
レオンは深く息を吸う。
相手が変異種であろうと関係ない。
危険だと判断したならば、迷う理由はない。
地面を深く踏み込む。
レオンが立っていた場所には、大きく抉られた跡だけが残されていた。
角を持つウルフの瞳が僅かに細められる。
だが、もう遅い。
レオンはもうすでに間合いに入り込んでいた。
(入る!)
狙うは首元。
頭と胴を切断されて生き残れる生物はいない。
迷いのない一閃。
冒険者として培われてきた経験。
そこから放たれる一撃はウルフの首元を捉える。
「ッ!?」
──はずだった。
確かにウルフの首元に狙いを定めていた剣撃は、掠ることもなく空を切った。
「うぐぁッ!」
瞬間、右足に激痛が走る。
鋭い牙が右足に食い込み、肉を抉り取った。
自らの足に噛み付くウルフを視認した途端、ほぼ条件反射のように剣を振るった。
──だが、それすらも避けられる。
大きく抉られた足は、立っているのも困難になっていた。
──甘かった。全力を出すだけでは届かない。
自分はこの村を守るためにここに立っている。
何かを得るためには何かを捨てねばなるまい。
レオンは理解した。
この魔物を止めるには、全力では足りないと。
故に生命活動に必要な分の魔力──生命力や活力と呼ばれるエネルギーすらも戦闘のために消費する。
レオンの体から溢れ出した魔力が、白い輝きとなって全身を包む。
生命を燃やして得た力は、常人の限界を遥かに超えていた。
「グルルル………」
レオンの変化を感じ取ったウルフが低く唸る。
一瞬の静寂。
それは、レオンが動き出したことによって打ち破られた。
レオンの剣が迫る。
それを迎え撃つように、ウルフの爪が振るわれた。
「うぐ……」
「グル……」
両者共に鮮血が飛び散る。
互角だ。同時に炸裂した一撃は、両者を切り裂くに値した。
ウルフはその高い生命力で即座に立ち上がる。
一方でレオンも、溢れ出す魔力によって一時的に傷を修復する。
激突。
再び激突。
森全体を揺らす轟音が響く。
剣と爪が交差する度に木々は砕け、大地は抉られた。
その戦いはすでに、人の成せる領域を超えていた。
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