第51話 公爵派、最初の反撃
王都の噂は、人を殺す前に場所を奪う。
龍真がそれを実感したのは、下町の昼下がりだった。
《三つ足カラス亭》の表通り。
昼の客が引き、夜の酒場にはまだ早い、中途半端な時間。
それでも普段なら露店の声や子どもの足音がある通りが、今日は妙にざわついていた。
ざわついているのに、笑いがない。
「……変だね」
ミアが小さく言った。
「ええ」
ノアもすぐ頷く。
「視線の集まり方が普通じゃない」
王都に来てから、“見られる”こと自体には慣れ始めていた。
黒髪の流れ者。
獣人の姉妹。
王女の近くにいるらしい一団。
そういう噂で見られることは、もう珍しくない。
だが、今日の視線は違う。
好奇だけではない。
怯えと、警戒と、少しの距離。
まるで、“近づくとまずいもの”を見る目だ。
カティアが遅れて合流し、その空気を一目で嗅ぎ取った。
「……やったわね」
「何が」
龍真が聞く。
侯爵令嬢は、いつもより冷えた声で答えた。
「公爵派の最初の反撃よ。しかも、かなり王都らしいやり方」
「言い方回りくどいな」
「下町にも噂が落ちてきてるの。“王女殿下を惑わせてる危険な流れ者”“獣人を隠れ蓑にして王都を乱そうとしている一団”“王都ギルドの混乱に乗じて火を広げている連中”」
「最低」
ミアが即座に顔をしかめる。
「ほんとに王都ってそういうの好きだね」
「ええ。しかも今度は、上流の噂を下町向けにわざと粗くした」
カティアが言う。
「どういう意味だ」
エレオノーラが問う。
「上流では“王女のそばにいる得体の知れない男”で十分。でも下町に流すなら、“あいつらのせいで王都が荒れる”“関わると守備隊や商会に睨まれる”まで落とす必要がある」
「つまり」
ノアが静かに言う。
「私たちを孤立させたい」
「そういうこと」
リリィが露骨に嫌そうな顔になった。
「うわぁ……。ほんとに嫌なやり方」
「嫌なだけじゃなく、効果はあるわ」
カティアは容赦なく言った。
「下町の人たちは貴族の理屈なんて好きじゃない。でも、“関わると自分たちが困る”って話には弱い」
「脅しだな」
龍真が低く言う。
「ええ。噂の形をした脅しよ」
その時、通りの向こうで小さな悲鳴が上がった。
全員がそちらを見る。
路地の曲がり角。
地味な外套を着た男が、若い荷運びを壁へ押しつけている。
周囲の人間は見て見ぬふりだ。
止めに入らない。
止められないというより、“あれに関わるとまずい”と知っている顔だった。
「……行くぞ」
龍真が言う。
「ええ」
エレオノーラも即座に応じる。
近づくと、押しつけられていたのは、前に地下市場から逃げたあとの証言整理で顔を見た若い男だった。
下町の運び屋だ。
地下市場へ流される荷の異常な動きを見ていた一人で、リリィが名前と顔を拾っていた。
「や、やめろ……!」
「静かにしろ」
壁へ押しつける男は、役人風の地味な服を着ている。
だが役人ではない。
腰の位置、足の開き方、目線の冷たさ。
公爵派の口封じ要員か、商会側の圧力役だ。
「お前は余計なことをしゃべりすぎた」
「し、知らねえ! 俺は何も――」
「だったら、これからも何も知らないままでいろ」
そこで龍真が間に入った。
「てめえも口が多いな」
男が一瞬で振り向く。
その目に浮かんだのは驚きより先に、嫌悪だった。
「……水戸龍真」
「知ってる顔で助かる」
「お前か。王女殿下の名を使って下町を騒がせている異物は」
「異物でも何でもいい。そいつから手ぇ離せ」
男は薄く笑った。
「王都の下町で、貴様がどれほど嫌われ始めているか、理解しているか?」
「興味ねえな」
「本当に愚かだ。お前のせいで、善良な市民が迷惑している」
「そういう言い方、ほんと好きだな」
龍真が低く言う。
「何が」
「弱ぇもん脅しながら、“善良な市民のため”って顔するやつだよ」
次の瞬間、男の手が腰へ伸びた。
短剣。
だが、抜き切る前に龍真の手が男の手首を掴み、逆側へ折った。
「ぐっ……!」
「下町でやることじゃねえな」
そのまま壁へ叩きつける。
男の息が詰まる。
エレオノーラがすぐ横へ入り、周囲へ鋭く視線を走らせた。
「もう一人います」
「どこ」
ミアが耳を動かす。
「屋根の上」
「速いわね」
ノアが呟く。
次の瞬間、石畳へ細い矢が刺さった。
「ちっ」
龍真が舌打ちする。
屋根の上から射手。
下町の口封じにしては、ずいぶん本気だ。
公爵派は最初の反撃から“噂だけ”で済ませる気がない。
「リリィ! 下がれ!」
エレオノーラが叫ぶ。
「はいっ!」
半ば悲鳴で答えながらも、リリィは押しつけられていた若い荷運びを引っ張って路地の陰へ下がらせる。
ミアとノアもその盾に入る。
二射目が来る前に、龍真が壁を蹴った。
屋根へ飛ぶわけではない。
そこまで派手にはいかない。
だが、射線を切るには十分だ。
エレオノーラが路地脇の木箱を蹴り上げる。
それを龍真が足場にし、半身だけ高く上げる。
村正の鯉口が鳴る。
短い一閃。
屋根の縁の瓦が割れ、射手が思わず身を引いた。
「今!」
エレオノーラの声と同時に、ミアが別の角へ走る。
「回る!」
「無茶するな!」
ノアが叫ぶが、ミアはもう屋根裏へ続く古い外階段へ飛び込んでいた。
下町育ちではない。
だが獣人の身軽さは、こういう時に強い。
射手が体勢を立て直す前に、ミアが横から飛び出した。
「うわっ!?」
「おりゃっ!」
正面から勝つ必要はない。
矢筒を掴み、足を払う。
射手は屋根の上で派手に転がり、そのまま下の物干し縄へ引っかかった。
情けない声が響く。
通りの空気が、そこでようやくざわめきに変わった。
「な、なんだ?」
「喧嘩か?」
「いや、あれ……」
「黒髪のあいつじゃ……」
龍真は押さえつけていた男の胸倉を掴み、低く言った。
「誰の差し金だ」
「……っ」
「答えろ」
「王都の秩序のためだ!」
「はい、出た」
リリィが思わず口を挟む。
「便利な言葉」
男は顔を歪めたが、それ以上は言わない。
だがそれで十分だった。
噂で孤立させる。
次に、証言者を脅す。
そのうえで、見せしめの襲撃を仕掛ける。
公爵派の最初の反撃としては、十分すぎるほど“王都らしい”。
押しつけられていた若い荷運びが、震える声で言った。
「お、俺……もう証言なんかしない……だから……」
「そういう顔になるよね」
ミアが息を切らしながら屋根から戻ってきて、小さく言う。
「うん」
ノアも低く頷く。
ここが一番きついところだ。
口封じに来た男を追い払った。
射手も落とした。
それでも、脅された側は安心しない。
むしろ、“本当に狙われるんだ”と実感してさらに口を閉ざしたくなる。
エレオノーラがゆっくりと膝を折り、若い荷運びの目線まで下がった。
「名前は」
「……ガルス」
「ガルス。あなたは悪くありません」
「で、でも」
「怖いのは当然です。だから、今この場で証言しろとは言いません」
「……」
「ただ、知っていてほしい。あなたが黙れば、この次も同じことが起こる」
ガルスは唇を震わせた。
エレオノーラの声は厳しくも優しい。
騎士としての正しさだけではなく、“逃げたい気持ちも分かる”声だった。
「私たちは守ります」
彼女は言った。
「ですが、守るには、あなたたちの言葉も必要なのです」
ガルスはすぐには答えられなかった。
だが、完全に目を逸らしもしなかった。
その時、通りの向こうから別の足音がした。
早い。
しかも複数。
龍真はすぐに顔を上げる。
「また来る」
「口封じ班の二陣?」
ノアが言う。
「いえ、違う」
カティアが合流してきた。息は切れていない。だが表情が鋭い。
「上流側の動きが早すぎる。たぶんこれは“偶発の脅し”じゃない」
「最初から仕組まれてた?」
ミアが聞く。
「ええ。噂を流して、証言者を狙って、その現場で“龍真が暴れた”って形まで取れれば、一石三鳥よ」
リリィの顔が青くなる。
「うわ、最悪」
「ほんとにね」
つまりこの襲撃は、ただの口封じではない。
下町で龍真たちを“危険な騒ぎの元”に見せる。
証言者を黙らせる。
そして、もしここで派手に斬り合えば、“やはり黒髪の流れ者は王都を乱す”という噂に実感を持たせられる。
「ほんと、性格悪ぃな」
龍真が吐き捨てる。
「ええ。公爵派の最初の反撃としては満点に近いわ」
エレオノーラは立ち上がり、すぐに判断した。
「場所を変えます。ここはもう長居できません」
「ガルスは?」
ノアが聞く。
「保護対象です」
「え」
ガルスが目を見開く。
「い、いや、俺はそんな――」
「あなたはもう狙われました」
エレオノーラが言う。
「今さら“関係ありません”では済みません」
「でも……!」
「選びなさい。今ここで一人になるか、私たちと来るか」
「……」
沈黙は短かった。
「……行く」
ガルスは絞り出すように言った。
「いい判断だ」
龍真が言う。
この日を境に、王都の争いは一段変わった。
地下市場を壊した。
裏邸宅から黒帳簿を奪った。
王女が王城で牙を剥いた。
そこまではまだ、“不正を暴く”戦いだった。
だが今日からは違う。
噂。
孤立。
見せしめ。
口封じ。
下町の証言者への襲撃。
公爵派は、ついに“報復”を始めたのだ。
そして龍真たちもまた、王都で守るべきものを、ただ追うだけでなく、抱え込む側へ回り始めていた。




