第44話 裏邸宅へ、夜の殴り込み
夜の王都西区画は、昼よりも静かに金の匂いがした。
高い塀。
刈り込まれた庭木。
等間隔に灯る上品な街灯。
昼間は文化人や貴族の従者が行き交い、いかにも“落ち着いた上流の区画”という顔をしているこの一帯も、夜になると別の顔を見せる。
音が少ないのだ。
少ないからこそ、少しの物音がよく通る。
荷馬車の軋み。
門の蝶番。
夜番の靴音。
囁き声。
そういうものが、石壁の間を滑るように流れていく。
龍真たちは、その静けさの外側にいた。
王都西区画、ゼルヴァイン公爵家と繋がる裏邸宅。
表向きは文化交流と慈善後援のための私邸。
だが、その地下には保管室と私的会談室がある。
地下市場で売る前の人間、金の流れ、貴族代理人との口合わせ、全部がここで整えられている。
今夜は、そこへ潜る。
ただし、地下市場の時とは違う。
今回はもう“偶然見つけた闇へ殴り込む”のではない。
狙うものがはっきりしている。
黒帳簿。
裏取引の決裁記録。
出入りする責任者。
そして、ゼルヴァイン公爵家の本流に繋がる決定的な線。
夜の路地裏、屋敷から二筋離れた場所。
一家はそこで最終確認をしていた。
エレオノーラが地図を広げる。
「もう一度整理します。正門側は見せるための警備です。数はいるが質は中程度」
「本命は裏口と地下か」
龍真が言う。
「ええ。裏庭搬入口、地下保管室前、それから邸宅西翼の二階。この三点が硬い」
「二階?」
ミアが首を傾げる。
カティアが小さく答える。
「会談室があるなら上階の可能性もあるの。地下で荷を受けて、上で話をまとめる方が、貴族連中には都合がいいから」
「いちいち感じ悪いね」
「上流はそういうものよ」
「嫌だなあ」
「同感ね」
リリィは帳面を胸に抱えたまま深呼吸していた。
顔は青い。
だが、目は逃げていない。
「私は地下保管室寄りの小部屋を探します」
「狙いは」
エレオノーラが聞く。
「帳簿、印章、会談用の仮記録、それから荷札の原本。前みたいに“後で言い逃れできる帳簿”じゃなくて、“ここでしか使わない記録”があるはずです」
「無理はするな」
龍真が言う。
「はい。でも取れるだけ取ります」
「それでいい」
ミアとノアは、裏庭から地下へ降ろされる“人”の流れを見る役だ。
「檻とか保管室に流される人がいたら、位置を先に見ます」
ノアが言う。
「地下市場より人数は少ないかもしれないけど、そのぶん“商品候補”の質が高い可能性がある」
「質って言い方嫌だな」
ミアが顔をしかめる。
「嫌だけど、相手がそう見てる以上、そこを読まないと」
「……わかってる」
カティアは上流側の客筋を見る。
「今夜は表向き会合の日ではない。でも、それでも来る人間がいるなら、それは本当に裏の話をする人たちよ」
「顔は拾えるか」
龍真が問う。
「拾う。少なくとも家令、代理人、会計筋は」
「危なくなったら」
「下がるわ。そこは分かってる」
最後に、全員の目が龍真へ向く。
「俺は中央を取る」
龍真が言う。
「必要ならな」
「必要になると思います」
エレオノーラが即答する。
「だろうな」
静かな返事だった。
今回の潜入は、最初から二段構えだ。
理想は、静かに入り、証拠と責任者を押さえ、静かに出ること。
だが、おそらくそうはならない。
なら、いつでも“殴り込み”に切り替えられる形で入るしかない。
「……行くぞ」
龍真が低く言った。
邸宅の裏手へ回る小道は、昼間よりさらに人気がなかった。
塀の外側に沿うように植え込みが続き、その先に裏庭へ抜ける小さな搬入門がある。
そこへ、今夜も地味な荷馬車が一台つけられていた。
表向きは食材と酒。
だが、積み方が違う。
箱の間隔、縄の締め方、護衛の立ち位置。
中に食い物以外が混ざっていると教えてくれる。
エレオノーラが小さく囁く。
「正門側、巡回が動きました。今、裏は一瞬薄くなっています」
「何人だ」
「見えるのは二。中にもう二」
「薄いな」
「薄く見せているだけかもしれません」
「だろうな」
龍真は塀の高さ、植え込みの影、灯りの位置を見た。
侵入経路は三つ。
だが使えるのは一つだけだ。
ミアが耳を動かす。
「裏庭、犬はいない」
「助かる」
「でも、地下の方に人の気配ある」
「何人」
「三……いや四。座ってるのと立ってるのが混ざってる」
「保管室前の番でしょうね」
ノアが言う。
カティアは通り側へ視線を走らせた。
「今なら、表の客筋はまだ来ていないわ」
「今夜も会談があると見ていいか」
「ええ。あの邸宅、灯りの入り方が昼と違う。西翼二階だけ早く灯してる」
やはり、そこだ。
エレオノーラが手で合図する。
散る。
声はない。
まずカティアが表通り側へ流れた。
侯爵令嬢らしい自然さで、少し離れた邸宅の前を歩き、何気ない視線で周囲の馬車と従者を拾う。
リリィはエレオノーラとともに搬入口側へ寄る。
帳簿小部屋を狙うには、地下へ近い方がいい。
ミアとノアはさらに低く身を沈め、植え込み沿いに裏庭へ回る。
龍真はその最後に動いた。
塀を越える音は、ほとんどしなかった。
裏庭は昼間に見たより広い。
石畳の搬入路。
井戸。
物置。
地下へ続く半地下の口。
灯りは控えめだが、見張りの位置はよく考えられている。
素人が入れば、死角がないように見えるだろう。
だが、エレオノーラの読みは正確だった。
死角はある。
ただし、“動く死角”だ。
巡回が一歩ずれた時だけ生まれる隙を使う。
最初の見張りを沈めたのは、龍真ではなかった。
ノアだ。
物置の陰から滑り出るように近づき、見張りの口元を押さえたまま膝裏を払う。
崩れたところへミアが反対側から飛びつき、喉元を軽く圧迫して意識を落とす。
「いけた」
「静かに」
「うん」
姉妹の連携は、もう“助けられる側”のものではなかった。
二人目はエレオノーラが取る。
剣は抜かない。
背後から入り、首筋へ手刀、そのまま壁へ押しつけて気絶させる。
騎士らしからぬやり方だが、今夜必要なのは礼法ではない。
リリィが小さく震えながらも地下口の鍵を見る。
「……これ、前の地下市場と同じ印式」
「開くか」
エレオノーラが聞く。
「たぶん。いや、開けます」
「頼む」
「はい……っ」
彼女の指先は震えていた。
だが、帳簿や符号を見る時と同じで、一度集中すると迷いが消える。
カチリ。
思ったより軽い音で、半地下の扉が開いた。
冷たい空気が流れ出る。
地下保管室へ続く階段。
やはり、ここも生きている。
その時、通り側から小さな合図が届いた。
カティアだ。
馬車が一台。
次いで二台。
どちらも家名を露骨には出していないが、従者の質が違う。
上流の代理人が来始めた。
「会談が始まる」
カティアが低く言った。
「急いで。今ならちょうど、邸宅の意識が二階へ向く」
龍真は頷く。
「地下組、入るぞ」
「はい」
リリィが答える。
「地上は私が見ます」
カティア。
「地下の保管、人の位置、こっちで見ます」
ノア。
「必要ならすぐ開ける」
ミア。
「私は地下入口と中央導線を押さえます」
エレオノーラ。
誰も無駄なことを言わない。
ここまで来ると、もう呼吸みたいに役割が回る。
地下は思ったよりも明るかった。
地下市場ほど広くはない。
だが、整い方は同じだった。
石壁。
補強された床。
保管用の鉄扉。
そして帳簿部屋らしき小部屋が二つ。
さらに奥へ続く通路。
“ここだけで完結しない”作りだ。
地下市場ほどの規模はない。
代わりに、ここは選別と保留の場所。
リリィの顔が悪くなる。
「……やっぱり」
「何だ」
龍真が聞く。
「値札の前の箱です。地下市場へ回す前の一時保管」
「人もか」
「たぶん」
ノアが鉄扉の一つへ耳を寄せる。
ミアも同じように気配を探る。
「いる」
「うん。二人……いや三人」
「獣人?」
「一人はそう。あと二人は人間」
やはり、ここもだ。
龍真の目が冷える。
その直後、二階側から小さな物音がした。
床を通して響く、椅子を引くような音。
会談室が使われ始めたのだろう。
カティアの読み通りだった。
「急ぎます」
エレオノーラが言う。
「リリィ、帳簿部屋を」
「はい!」
「ノア、ミア、保管室の識別を」
「うん!」
「任せて」
「龍真」
「分かってる」
中央へ出る。
必要なら暴れる。
その準備は最初からできている。
裏邸宅への夜の殴り込みは、こうして静かに始まった。
今夜の目標は明確だ。
証拠を掴む。
責任者を押さえる。
そして、この“綺麗な顔をした王都の闇”の心臓へ手をかける。




