第42話 王都西区画、貴族の仮面の裏屋敷
王都西区画は、静けさまで高価だった。
下町のような怒鳴り声はない。
商会街のような客引きもない。
王城周辺のような張りつめた厳粛さとも違う。
道は広く、石畳はよく磨かれ、屋敷ごとに植え込みの形まで整っている。
通る馬車も、歩く従者も、みな“自分はここにいて当然だ”という顔をしている。
つまり、よそ者が一番目立つ場所だった。
「……息苦しい」
ミアが小さく呟いた。
今日は耳も尻尾も隠している。
簡素な外套に、王都で買った控えめな帽子。
だが、隠しているからこそ余計に肩に力が入っていた。
「気持ちは分かる」
ノアが同じく声を落とす。
「でも今日は、目立たないのが一番大事よ」
「うん……でも、こういう場所って逆に“普通にしてる”のが難しい」
「王都の上流ってそういうものよ」
少し前を歩くカティアが振り返りもせずに言った。
「堂々としている人間ばかりだから、慣れてない人ほど挙動で浮くの」
「それ、今言う!?」
「今だから言うの」
「ひどい!」
「事実よ」
龍真はそんなやり取りを聞きながら、周囲を見ていた。
西区画は、王都の“綺麗な顔”の一つだ。
文化人の交流。
上流商人の会食。
慈善会の打ち合わせ。
表向きの理由なら、いくらでも並べられる。
だが、だからこそ隠すには都合がいい。
ゼルヴァイン公爵家と繋がる裏邸宅――
クラウス・ベルディンの口から出たその情報が本当なら、この辺りの屋敷のどれかで、地下市場よりさらに深い話が動いている。
「見えてきました」
エレオノーラが低く言った。
通りの先、他より少し奥まった位置に建つ石造りの屋敷。
白灰色の外壁。
広すぎず、だが狭くもない庭。
門には家名を誇示する大きな紋章はない。
代わりに、控えめで上品な意匠だけがある。
「派手じゃないな」
龍真が言う。
「だからいいのよ」
カティアが答えた。
「いかにも公爵家の別邸です、なんて顔をした屋敷じゃ、裏の話には向かない。こういう“文化人の集まりにも使えそうな、ほどよく上等な家”が一番隠れ蓑になる」
「胸くそ悪いな」
「ええ。よくできてるでしょう」
邸宅の前には、目立つほどではないが護衛がいた。
正門脇に二人。
裏手へ回る小道に一人。
さらに少し離れた角に、通行人を装った監視が一人。
地下市場の私兵ほど露骨ではない。
だが、素人でもない。
王都の上流社会に合わせた、見せない警備だ。
「昼間でも置いてるのね」
ノアが小さく言う。
「必要な家ってことだろ」
龍真が返す。
今日は正面から踏み込む日ではない。
偵察だ。
誰が出入りし、何が運ばれ、どこに穴があるかを見る。
役割はすでに決めてある。
カティアは表の道から自然に通る貴族筋の視点で、邸宅の出入り客の質を見る。
エレオノーラは警備配置と死角。
リリィは搬入記録と荷札の偽装。
ミアとノアは裏口に流れる獣人奴隷や下働きの気配。
龍真は全体と“何かあった時に壊す場所”を見る。
西区画の午後は穏やかだった。
だからこそ、偽装はよく目立つ。
最初に異変を見つけたのはリリィだった。
少し離れた露店の陰から、彼女は小さな帳面へ何かを書き込み続けていたが、やがて顔を上げる。
「……おかしいです」
「何が」
エレオノーラが聞く。
「搬入です。表から入る荷と、裏へ回る荷が一致してません」
「一致してない?」
ミアが首を傾げる。
リリィは帳面を見ながら説明した。
「正門から入るのは、表向きの文化交流用の品ばかりです。茶葉、酒、書籍、布、花。それっぽい」
「裏は?」
「裏口に回る方が変なんです。木箱の大きさと、運び手の数が合ってない」
「重いのか」
龍真が聞く。
「重いというより、“慎重すぎる”んです」
リリィの声が少し鋭くなる。
「書籍や茶葉なら、そこまで扱いを気にしません。でもあの箱は、二人で持って、角を絶対にぶつけないようにしてる」
「中身を壊したくない」
「あるいは、中身を騒がせたくない」
ノアが静かに言った。
その一言で、全員の視線が裏口側へ向く。
表からは見えにくいが、邸宅の西側には小さな搬入口があり、そこへ馬車が直接つけられるようになっていた。
今も一台、地味な荷馬車が止まっている。
御者は目立たない。
荷運びも地味な服だ。
だが、箱の扱いだけが浮いていた。
そこへ、ミアの耳がぴくりと立つ。
「……いる」
「何が」
「獣人」
ミアの声は低い。
普段の明るさが消えている。
「あの裏口の向こう。たくさんじゃない。でも、いる」
「匂い?」
ノアが聞く。
「うん。それに、すごく怯えた空気」
ノアも目を閉じて少し呼吸し、それから小さく頷いた。
「……私も感じる」
「下働きか」
龍真が言う。
「それにしては、出てこないのが変」
獣人の下働きがいること自体は、王都では珍しくない。
だが、ここまで気配があるのに、表へ一人も見えないのは不自然だった。
カティアが通りの向こうから戻ってくる。
「表の客も変よ」
「どう変だ」
「文化人や学者の顔をして入っていくけど、馬車の紋章や同伴者の立ち方で分かる。半分以上は商会筋か貴族代理人」
「屋敷の名目は何だ」
「“私的文化交流会”ですって」
「胡散臭えな」
「ええ。最高に」
エレオノーラは邸宅の外周を見ながら言った。
「表の警備は最小限に見せています。ですが、見せていないだけで内側は厚いはず」
「なぜ分かる」
「窓です」
龍真も視線を上げる。
二階と三階の窓。
表向きは開け放たれ、上品な薄布が揺れている。
だが、そのうちいくつかは内側に金属の影がある。格子ほど露骨ではない。けれど、急場で閉じるための補強具のようなものが見える。
「外へ人を逃がさないためか」
「あるいは、外から見せないためです」
「どっちにしても趣味が悪いな」
さらに屋敷の裏手を回った時、決定的なものが見えた。
裏庭の端。
植え込みと石垣でうまく隠されているが、下へ続く細い搬入路がある。
ただの地下倉庫なら珍しくない。
だが、その入口の両脇に立つ護衛の質が、明らかに違った。
正門の見せるための警備ではない。
地下市場で見たのと同じ、“本気で何かを守る側”の立ち方だ。
「……地下があるわね」
カティアが低く言う。
「ええ」
エレオノーラも頷く。
「そして、ただの酒蔵や保管庫ではありません」
リリィが持っていた帳面の頁をめくる。
「西区画のこのあたり、表向きの屋敷図だと地下保管室は一つだけです」
「じゃあ、あれは」
「図面にない入口です」
つまり違法改築か、王都の古い地下道を私的に繋ぎ直しているか。
どちらにせよ、表向きの交流屋敷には必要のない構造だ。
「地下市場の次はここ、って話、ほんとっぽいね」
ミアが言う。
「ええ。というより、ここが本命だわ」
ノアが返す。
龍真は少しだけ目を細めた。
地下市場は売る場所だった。
だがここは違う。
もっと静かで、もっと整っていて、もっと上に近い。
流通の決裁。
役人との口合わせ。
貴族代理人との会談。
地下市場でさばく前の“価値の決定”。
そういう汚い仕事を、上流の顔のままやるための家。
「……嫌な家だな」
龍真が呟く。
その時、裏口の扉が開いた。
地味な外套を着た男が二人、誰かを挟むようにして中へ入っていく。
帽子を深くかぶせられて顔は見えない。
小柄。
歩き方が弱い。
ほとんど引きずられるようにして運ばれている。
ミアの顔が変わる。
「あれ……!」
「待って」
ノアが腕を掴む。
「今はまだ」
「でも今の、絶対――」
「分かってる」
ミアは唇を噛みしめる。
今動けば、一人は助けられるかもしれない。
だが、ここで飛び出せば裏邸宅全体が警戒態勢に入る。
地下保管室も、会談室も、帳簿も全部隠される。
それが分かっているからこそ、苦しい。
エレオノーラが低く言う。
「ミア、今は見るのです」
「……っ」
「次に入る時に、全員出すために」
ミアは強く目を閉じ、それから頷いた。
「……うん」
「偉いわ」
ノアが小さく肩に触れる。
その少し後、表側から戻ってきたカティアがもう一つの情報を持ってきた。
「客の中に、公爵家の会計筋と繋がってる男がいた」
「誰だ」
「表向きは文芸支援の後援者。実際は、慈善晩餐会にも顔を出してた商会主の代理」
「つながってるな」
「ええ。地下市場、慈善晩餐会、この裏邸宅。全部、人の顔が重なり始めてる」
リリィが帳面に次々と線を引いていく。
「王都ギルドの監査補佐官が持ってた記録とも一致してきました。ここ、表向きは別々に見せてるけど、裏では一つの流れです」
「どのくらい深い」
龍真が聞く。
リリィは少し黙ってから答えた。
「……かなりです」
「曖昧だな」
「曖昧にしか言えません。だって、これ、地下市場一つ潰して終わる話じゃない」
「そうだな」
「この屋敷がただの中継地点でもない。もっと上です。少なくとも“誰をどこへ流すか”を決める場所」
「つまり、保管室と」
エレオノーラが続ける。
「私的会談室が必要になる」
「会談室?」
ミアが聞く。
カティアが頷いた。
「ええ。表の顔を崩さずに、裏の商談をするための部屋よ。貴族本人は出てこなくても、代理人や商会主、役人筋が“ここでは名前を残さずに決める”場所」
「胸くそ悪いね」
「ほんとに」
そうして夕暮れが近づく頃、龍真たちはようやく偵察を切り上げた。
得られたものは大きい。
王都西区画の裏邸宅。
表向きは文化交流の家。
だが実際には、公爵家と王都ギルド、商会街を結ぶ決裁の場。
地下保管室があり、そこへ獣人や商品が流れ込む。
そして上では、代理人たちが涼しい顔で会談している。
戻り道、王都の空は薄く赤かった。
ミアがぽつりと呟く。
「なんかさ」
「何?」
ノアが聞く。
「地下市場より、こっちの方が嫌かも」
「どうして」
「だって、あっちは最初から悪そうだったじゃん」
「……ああ」
「でもこっちは、いい家みたいな顔してるのに中がそれだもん」
その言葉に、誰もすぐには返さなかった。
龍真も、エレオノーラも、カティアも、リリィも、全員同じことを思っていたからだ。
王都の闇は、地下だけではない。
むしろ地上の綺麗な屋敷の方が、よほど深く腐っている。
そして今、その仮面の裏屋敷に向けて、龍真たちは確実に次の一歩を踏み出そうとしていた。




