第41話 裏切りの侍女、王城の影
王城外宮の裏手は、表の回廊よりずっと静かだった。
白い壁に沿って細い石畳が続き、その先には手入れの行き届いた低木と、小さな倉庫、使用人用の出入口がある。
王族や貴族が歩く表の美しさとは違い、ここは王城の“裏の生活”が息をしている場所だった。
だからこそ、人目を避けた話もしやすい。
龍真たちが外宮裏手へ着いた時、空気はすでに張っていた。
セレスティア付きの侍女が一人、顔色を悪くして待っている。先ほど宿まで脅迫状を伝えに来た侍女だ。名はエリザ。王女の側近の一人らしい。
「こちらです」
エリザは声を抑え、倉庫脇の植え込みへ案内する。
そこには、足跡と、踏み荒らされた低木、それから小さな紙片が落ちていた。
エレオノーラがすぐに膝をつく。
「争った形跡はない」
「ええ」
エリザが答える。
「ですが、ここで確かに外部の者と接触していました。見張りの侍女が見たのは、“殿下付きの侍女が男から何かを受け取るところ”です」
「男は」
龍真が聞く。
「王城の雑務係の格好だったそうです。ですが顔ははっきり見ていないと」
「雑務係に化けた伝令か」
エレオノーラが低く言う。
「可能性は高いです」
ミアが植え込みを見ながら耳を動かす。
「この辺、変な匂いする」
「どんな」
ノアが聞く。
「香油。王城の女の人たちの匂いとは違う。もっときつくて、外の商会街っぽい」
「外から来た男が、香油の強い紙か布を持ってた可能性があるわね」
カティアが言う。
「王城勤めの男なら、あまりつけない種類だわ」
龍真は落ちていた紙片を拾った。
何かを書いた痕はない。
だが、紙質は王城の正式文書とは違う。市井の店売りよりは上等、しかし貴族家の手紙ほどではない。
“中間”だ。
つまり、裏で使うにはちょうどいい。
「で、その侍女はどこだ」
「控え室に」
エリザが答える。
「勝手に拘束はしていません。ですが、今は“具合が悪い”という名目で外へ出さずにいます」
「名前は?」
「マリナです。殿下付きになって三年。普段は口数も少なく、目立たない子です」
王城の中で、目立たず、よく働き、礼儀もある。
そういう者ほど、裏で情報を流すのに向いている。
龍真は小さく鼻を鳴らした。
「ありがちだな」
「はい」
エレオノーラも頷く。
「王城では、露骨に怪しい者より、“害のない真面目な者”の方が盲点になります」
外宮の控え室は、表の部屋より小さく質素だった。
だが、それでも王城の一角らしく、掃除は行き届き、椅子や机もきちんとしている。
その部屋の隅に、若い侍女が一人座っていた。
年は二十代前半。
細身で、顔立ちは地味。
王城勤めらしいきちんとした身なり。
たしかに“目立たない”。
そして今は、その目立たなさが逆に不自然なほど固くなっている。
マリナは、龍真たちが入るなり目を見開いた。
特に龍真を見た時、あからさまに肩が強張る。
「……な、なぜ、この方が」
「こっちの台詞だ」
龍真が言う。
「王女付きの侍女が、王城の裏で誰と何してた」
エリザが扉を閉め、エレオノーラが部屋の出入口近くに立つ。
ミアとノアは壁際。
リリィとカティアは少し後ろで様子を見る。
逃げ道はない。だが、脅しをかけるために囲んでいるわけでもない。
マリナは唇を引き結んだ。
「私は何も」
「何もしてねえなら、裏手で誰かと紙を受け渡した説明がつかねえ」
「見間違いです」
「見間違いにしては、顔色が悪いな」
「……」
沈黙。
エレオノーラが静かに口を開いた。
「マリナ。今ならまだ、殿下の側で事情を聞く形にできます」
「……」
「ここで黙れば、外へ情報を流していた可能性で扱うしかありません」
「それは……」
「それは事実でしょう」
カティアが冷たく言う。
「少なくとも、そう見える行動をしている時点で」
マリナの肩がさらにこわばる。
「私は、裏切るつもりでは……」
「じゃあ何だ」
龍真が聞く。
マリナは、少しだけ顔を上げた。
その目には、はっきりした悪意はない。
むしろ、怯えと迷いと、それでも“自分は間違っていないはずだ”と信じたい色がある。
「私は……殿下をお守りしたかっただけです」
「守る?」
ミアが思わず言った。
「だって、脅しの手紙が来たんだよ?」
「だからです!」
マリナの声が、そこで初めて少しだけ大きくなる。
「これ以上、殿下が地下市場の件を掘れば、本当に王家全体の恥になります! 公爵家と正面から争って、王都が割れれば、殿下ご自身も傷つく!」
「それで、誰に話した」
エレオノーラが問う。
マリナは目を伏せた。
「王妃派の年長侍女へ」
「やはりな」
カティアが低く言う。
「その先に何があるか分かっていたか」
龍真が聞く。
「王妃殿下のお耳に入れば、少なくとも殿下の暴走は止められます」
「暴走、ねえ」
「地下市場へお一人で入るなんて、王女としてあまりに危険です! それに、あの黒髪の方たちを王城へ入れて……」
そこでマリナの視線が、龍真たち一行へ向いた。
恐れ。
警戒。
そして、どこか“王城に似つかわしくない存在”を見る拒絶。
「その目は慣れてるな」
龍真が言う。
「何ですか」
「下町でもよく見た。弱ぇもんが消えてても、“秩序のためには仕方ねえ”って顔だ」
「私はそんな――」
「してる」
龍真の声は低い。
「お前は公爵家に金でも貰ったわけじゃねえんだろうよ。でも、“王家の安定のためならここで止めるべきだ”って理屈で、向こうのやりたいことに手を貸してる」
「私は手を貸してなんて……!」
「貸してるんだよ」
その一言が、部屋に重く落ちた。
マリナは言い返しかけて、言葉を失う。
自分は悪くない。
王家のためだ。
騒ぎを大きくしない方がいい。
そう言いたいのだろう。
だが、その善意が結果として何を守るか、突きつけられると弱い。
ノアが静かに口を開いた。
「あなたはたぶん、残酷な人ではないのよ」
「……」
「でも、“殿下が傷つかなければそれでいい”って思ってる」
「当然でしょう!」
マリナが思わず返す。
「王女殿下が第一です!」
「それで、地下で売られてた子たちはどうなるの」
ノアの言葉は柔らかい。
だが、逃がさない。
「王女殿下が表向き無事なら、獣人も孤児も、また消えていいの?」
「そ、そんなことは……」
「でも、あなたの言ってることはそういうことよ」
マリナの唇が震えた。
善意だけでは守れないものがある。
それどころか、善意で目を逸らせば、誰かがまた地下へ落ちる。
それが王都の“見て見ぬふり”だ。
セレスティアは、その少し前から部屋へ入っていた。
騒ぎが大きくなる前に、自ら来たのだ。
王女はしばらくマリナを見つめ、それから静かに言った。
「マリナ」
「で、殿下……」
「あなたは私を守るつもりだったのですね」
「……はい」
「ですが、私が守りたいものの中には、私自身の評判だけではなく、あの地下にいた人たちも含まれます」
「殿下……」
「あなたは、私のためにと思って動いたのでしょう。でも、それは結果として、公爵家側にとって都合のいい動きでした」
「……っ」
マリナの目に、涙が滲む。
悪人ではない。
だからこそ、厄介だった。
カティアが小さく息を吐いた。
「こういうのが一番、王城らしいわね」
「善意で足引っ張るやつか」
龍真が言う。
「ええ。金で寝返った敵より、ずっと多い」
エレオノーラが王女へ向き直る。
「殿下。処遇は」
「閉じ込めたり、罰したりはしません」
セレスティアは即答した。
「ですが、しばらく私付きからは外します。外宮の外へも出さない」
「妥当です」
「それと」
王女の目が少しだけ鋭くなる。
「この件を、王妃派へ先に流した年長侍女の名も洗います。マリナ一人の判断ではないでしょう」
「……ありがとうございます」
エレオノーラが頭を下げる。
王女はマリナへ向き直った。
「あなたを切り捨てるつもりはありません」
「殿下……」
「ですが、もう二度と“王家の恥になるから止めるべきだ”という理屈で、人が消えることを見て見ぬふりしないで」
「……はい」
「本当に分かったなら、あとで知っていることを全部話しなさい」
「……はい……」
涙混じりの返事だった。
部屋を出たあと、回廊の空気は少し冷たく感じられた。
ミアが小さく言う。
「悪い人、って感じじゃなかった」
「ええ」
エレオノーラが答える。
「だから厄介なのです」
「悪い人じゃないのに、敵になる」
「王城ではよくあることです」
カティアが壁に肩を預ける。
「外の敵より、こういう“王家のために静かにしろ”って人たちの方が、数は多いでしょうね」
「ええ」
セレスティアが静かに言った。
「そして、公爵家はそういう人たちを使うのが上手い」
龍真はそこで足を止め、王女を見る。
「なら、内側から腐ってる穴を先に塞ぐ」
「はい」
「一人見つかったってことは、まだいるぞ」
「分かっています」
王女の返答は迷わなかった。
だが、その目には疲れがあった。
王城の中にも敵がいる。
悪意ある敵だけじゃない。
善意で、王家のためを思って、結果として公爵家を利する人間がいる。
それは、地下市場の私兵よりよほど手強い。
「殿下」
エレオノーラが静かに言う。
「敵は外だけではありません」
「ええ」
「ですが、それが分かったのは前進です」
「……そうですね」
セレスティアは小さく頷いた。
王城の影は、地下の闇とはまた別の冷たさを持っている。
剣で斬れない。
帳簿にも残りにくい。
善意と事なかれ主義の顔をして、静かに人を見殺しにする。
その厄介さを、王女は改めて思い知った。
そして龍真たちもまた、これから相手にするものが“王都の地下”だけではなく、“王城の中の影”でもあることを、はっきり理解したのだった。




