騎士の来訪1
父との話を終えてから、三日が過ぎた。
医師からはまだ「絶対安静」と言い渡されていたものの、頭の傷は順調に回復し、眩暈もほとんど感じなくなっていた。
とはいえ、学園には休学届が出され、外出も最低限に留められている。
窓の外では初夏の柔らかな陽射しが庭園を照らし、小鳥たちが楽しそうにさえずっていた。
こんなに穏やかな朝なのに。
私の胸の奥には、あの日からずっと消えない靄が残っている。
「リリアーナ様。」
朝食を終えた頃、侍女のマリアが優しく頭を下げた。
「本日はお天気も良く、お庭の風も心地よいそうです。お医者様からも、無理をなさらない程度のお散歩なら構わないと伺っております。」
「・・・そうね。」
私は少しだけ考えてから頷いた。
「気分転換に、お庭を歩いてみようかしら。」
「かしこまりました。」
ブルームフィールド公爵家の庭園は、王都でも名高い名園だった。
色とりどりの薔薇が咲き誇り、白い石畳の小道の脇には季節の花々が風に揺れている。
中央の噴水から流れる水音が耳に心地よく、どこか張り詰めていた心を少しずつほぐしてくれる。
「・・・綺麗。」
思わず零れた言葉に、マリアが嬉しそうに微笑んだ。
「庭師たちも喜びます。」
ちょうどその時、近くで剪定をしていた老庭師がこちらへ気付き、帽子を脱いで一礼した。
「リリアーナ様、お加減はいかがでございますか。」
「ありがとう。もうだいぶ良くなったわ」
「それは何よりでございます。今年は薔薇の出来が良くございまして。」
私は咲き誇る薔薇へ目を向ける。
真紅。
純白。
淡い桃色。
どれも陽光を浴びて美しく咲いていた。
花の香り。
風の温もり。
水の音。
「リリアーナ様……。」
歩きながら、マリアが少し言いづらそうに口を開いた。
「王都では、まだ今回の件が話題になっております。」
私は足を止める。
「・・・やっぱり?」
「はい。」
マリアは申し訳なさそうに俯いた。
「ブルームフィールド公爵家が聖女様を虐げていた、ローザリア様が嫉妬から危害を加えようとした、リリアーナ様も同じように聖女様を敵視していた、と……。」
私は静かに息を吐いた。
「そう・・・」
あの日、あの場にいた貴族たちは皆、第一王子アレクシスの言葉を聞いていた。そして、ルミエラの涙を見ていた。真実を知らなければ、そう思い込んでしまうのも無理はない。
「教えてくれてありがとう」
「申し訳ございません・・・」
「ううん。知らないより、ずっといいわ」
私は小さく微笑み、再び歩き始めた。
庭園の奥には、幼い頃から私たち姉妹お気に入りの東屋がある。白い柱には蔦が絡まり、周囲を色鮮やかな花々が囲んでいた。
「リリー?」
聞き慣れた声に振り返る。
「お姉様!」
ローゼリアの声のする方に思わず駆け寄った。
「あらあら、走って大丈夫なの?」
「はい!体調はだいぶいいですし、お医者様のお散歩の許可をいただきました」
「ふふふ、それなら安心ね」
ローザリアは私の隣へ腰を下ろした。二人で並んで庭園を眺める。風が花びらを運び、小鳥たちが枝から枝へ飛び移っていく。
穏やかな時間だった。
「綺麗ね」
ローザリアがぽつりと呟く。
「そうですね」
「来年も、この薔薇が見られるかしら。」
その言葉の真意を考える間もなく私は答えた。
「見ましょう」
ローザリアが少し驚いたように私を見る。
「来年も、再来年も、その先も、ずっと。」
私は微笑んだ。
「だから、お姉様これからは一人で抱え込まないでください!私は、お姉様と一緒に未来を歩きたいんです!」
ローザリアの青い瞳が優しく細められる。
「・・・ありがとう、リリー」
その笑顔を見て、私は心から思った。
絶対に守る。
この笑顔を。
家族を。
ブルームフィールド家を。
その時だった。
「失礼いたします。」
落ち着いた声とともに、一人の男性が東屋へ近づいてくる。
執事のエドガーだ。
「リリアーナ様、ローザリア様、お客様がお見えでございます。」
「私たちに?」
「はい」
エドガーは静かに一礼する。
「ヴァイス侯爵家嫡男、エリオット・ヴァイス様がお越しになっております。」
その名を聞いた瞬間、胸が大きく脈打った。
エリオット・ヴァイス。
侯爵家嫡男。
近衛騎士団長の息子。
国内屈指の剣士と称される若き騎士。
そして――
婚約破棄の日。
第一王子アレクシスのすぐ傍らで、ルミエラを守るように立っていた人物。ゲームでは攻略対象の一人だった。けれど今の彼は、ルミエラを信じ、ブルームフィールド家を疑っている。
そんな彼が、どうしてこの屋敷へ……?
「応接室へお通ししております。」
エドガーが静かに告げる。
私はローザリアと視線を交わし、小さく頷いた。
「・・・分かりました。」
ゲームにはなかった出来事。だからこそ、何が起こるか分からない。
けれど私は、もうゲームだけを信じたりはしない。
自分の目で見て。
自分の耳で聞いて。
そして、自分の心で真実を見極める。
その決意を胸に、私はエドガーの後を追って応接室へ向かった。
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