魔塔からの招待
セレスへ来てから、朝の時間が好きになった。王都にいた頃も、朝という時間そのものが嫌いだったわけではない。けれど、春の舞踏会の日を境に、目を覚ますたび胸の奥に重いものが残るようになった。
大広間に響いた第一王子アレクシス様の声
お姉様へ向けられた婚約破棄の宣言
そして、その後に広がった数えきれないほどの噂・・・
人は、ほんの一部の出来事だけを見て、簡単に誰かを決めつける。私はそれを、すぐ隣で見てきた。優しくて、誰よりも周囲を気遣うお姉様が、まるで別人のように語られていく姿を。
だからこそ、この別荘で過ごす何気ない朝が、以前より大切に感じられるのだと思う。
窓辺から差し込む光が、部屋の中を少しずつ明るく染めていく。机の上に置いた本を開きながら、私はしばらく文字を追っていた。外から聞こえる鳥の声、庭を手入れする音、遠くで揺れる木々の葉擦れ。王都では気にも留めなかった小さな音が、今は不思議と心に残る。
「リリアーナ」
その声に顔を上げると扉の前にはローザリアお姉様が立っていた。朝の光を受けた金色の髪が柔らかく輝いている。最近は本当の笑顔が増えている。
「今日は少し出掛けない?」
「出掛ける……ですか?」
私が首を傾げると、お姉様は窓の外へ視線を向けた。
「別荘の近くに丘があるでしょう?」
「ああ……」
セレスの景色を見渡せる小さな丘。町へ行く道とは反対側にある、静かな場所だ。
「せっかくだもの。外で昼食を食べるのも悪くないと思って」
そう言って笑うお姉様。その姿を見て、胸の奥が温かくなる。ここへ来たばかりの頃、お姉様は自分のことよりも周囲への謝罪ばかりを口にしていたけど、今は少しずつ前を向いている。
「行きましょう」
私が答えると、お姉様は嬉しそうに頷いた。
「ええ」
エレナに用意してもらった昼食を持ち、私たちは別荘を出た。
丘までは、歩いて行ける距離だった。王都の道は、整えられた石畳が続いている。けれど、セレスの道には別の趣があった。踏みしめる土の感触や道端に咲く小さな花、木々の隙間から差し込む光。人の手で作られた美しさではなく、自然と共にある場所。歩いていても、不思議と急ぐ気持ちがなくなっていく。
やがて、緩やかな坂道の先に丘が見えてきた。頂上へつくとその景色に私は圧倒された。王都とはまったく違う。遠くに広がるセレスの街並みに、その周囲を囲む森。華やかさでは王都に敵わないけれど、ここにはここだけの時間が流れていた。
「綺麗ですね」
自然と声が漏れる。
「ええ」
お姉様も静かに頷いた。
私たちは草の上に敷物を広げ、昼食を並べる。エレナが作ってくれたサンドウィッチ、それと季節の果物。青空の下で食べる食事はいつもと違って感じられる。
しばらくの間、私たちは他愛ない話をした。幼い頃の思い出や昔好きだったお菓子、王都にいた頃の小さな出来事。そんな話をしている時間が、今は何より嬉しかった。
「リリアーナ」
ふいに、お姉様の声が落ちる。
「あなたに、ずっと言わなければと思っていたことがあるの」
「・・・何ですか?」
お姉様は少し視線を伏せた。
「・・・あの日のこと」
胸の奥が締め付けられた。お姉様が婚約破棄を突き付けられ、私が怪我をした日・・・お姉様が今も気にしていること。
「本当に、ごめんなさい」
「お姉様」
「あなたを巻き込んでしまった」
私はゆっくり首を振った。
「違います」
迷いはなかった。
「私は、お姉様を助けたかったんです」
「でも・・・」
「お姉様だからです」
理由はそれで十分だ。お姉様はしばらく私を見つめた後、優しく笑った。
「あなたは昔から変わらないわね」
「そうでしょうか?」
「ええ」
お姉様は空を見上げる。
「いつも、自分より誰かのことを考えているところ」
その言葉に、少しだけ困ってしまう。でも、こうしてお姉様と笑い合える時間が戻ってきたことが、何より嬉しかった。
◇◇◇
別荘へ戻ると、温かい笑顔でエレナが迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、あらあらお嬢様方ともすっきりした顔をしてらっしゃいますわ」
「ただいまエレナ」
エレナは一礼した後、一通の封筒を差し出した。
「魔塔から届いております」
その紋章を見た瞬間、昨日レオンハルト様から聞いた話が蘇った。
魔塔、そして、シリウス・アークライト。
「魔塔から・・・」
お姉様も封筒へ視線を向ける。
「シリウス・アークライト様のこともありますものね」
「彼をご存じなのですね」
「ええ、学園でも有名な方だったもの」
お姉様は静かに続ける。
「学園始まって以来の天才魔術師。全属性適性を持つ、とても珍しい才能の持ち主よ」
ゲームの中でも重要な攻略対象の一人であり、あの舞踏会の令息の一人。その笑顔の裏に何を思っているのか、何を望んでいるのか、まだ私は何も知らない。だからこそ、実際に出会った時は、自分の目で確かめたいと思う。
封筒の中身は、魔塔からブルームフィールド家への正式な挨拶だった。セレス滞在中、何か困ったことがあれば協力したいという内容と、魔塔で行われる公開研究会への案内。
公爵家への礼儀として送られたものなのだろう。
「どう思う?」
お姉様が尋ねる。
私は少し考えた。
「・・・今のところ、判断はできません」
敵意は感じないけれど、それだけで味方だとも言えない。王都で起きたことを考えれば、慎重になるのは当然だった。
「そうね」
お姉様も頷く。
「急いで答えを出す必要はないわ」
私は封筒を閉じた。少しずつ、未来が変化している。だからこそ、私は名前や立場だけではなく、この世界で出会う人たちが、本当はどんな人なのかを知っていかなければならない。
窓の外を見るとセレスの空は、今日も変わらず広がっていた。けれど、その変化が何かを私はもう見過ごすことはできなかった。
読んで頂きありがとうございます。




