魔塔
魔塔から招待状が届いた翌朝、私は応接室の机の上に置かれた封筒を、じっと見つめていた。
白い紙に刻まれた魔塔の紋章は、朝の柔らかな光を受けてもなお、どこか冷たい威厳を放っている。昨日、丘から戻った私たちを待っていた一通の手紙。王国内でも特別な場所から届いたものだと、改めて実感させられた。
そして、その名前が頭に浮かぶ。
─シリウス・アークライト。
レオン様から聞いた、魔塔へ来るという人物。学園に通っていた私が、その名前を知らないはずがなかった。学園始まって以来の天才魔術師。全属性適性を持つ、稀有な才能の持ち主。魔法を学ぶ者なら、誰もが一度は耳にする存在だった。
けれど、シリウスがセレスへ来ることも、魔塔からこうして招待状が届くことも、私が知っている未来にはなかった。だからこそ、今は慎重に見ていかなければならない。
「リリアーナ」
声に顔を上げると、ローザリアお姉様が紅茶の入ったカップを手に立っていた。湯気がゆらゆらと立ち上り、部屋に淡い香りを広げている。
「先ほどから、その封筒ばかり見ているわね」
「すみません。少し気になってしまって」
お姉様は向かいの椅子に腰を下ろし、静かにカップを置いた。その仕草は穏やかだが、瞳の奥には同じく警戒の色が宿っているように感じられた。
「シリウス様のこと?」
「はい」
「学園でも、とても有名な方だったもの」
「やはり、ご存じなんですね」
「ええ」
私は小さく頷いた。
知識としては知っている。けれど、実際の彼がどんな声で話し、どんな目で世界を見ているのかは、まったく知らない。ゲームの中で得た情報だけで判断するのは、危険だ。
そう考えていると、廊下から落ち着いた足音が近づいてきた。
「お嬢様方」
エレナが恭しく一礼する。
「レオンハルト様がお見えです」
やがて扉が開き、穏やかな笑みを浮かべたレオンハルト様が入ってきた。別荘で過ごす時の、自然で柔らかな表情だ。
「おはようございます」
「おはよう。二人とも元気そうでよかった」
彼は席に着きながら、すぐに封筒に視線を落とす。
「魔塔から招待状が届いたんだって?」
「はい。昨日届きました」
「公開研究会への招待だと思うよ。魔塔は定期的に研究成果を公開しているから、貴族を招くことも珍しくない」
「では、今回の招待も公爵家への礼儀ということでしょうか」
「それもあるだろう。それに、ブルームフィールド公爵令嬢がセレスに滞在しているという話は、すでに魔塔にも届いているはずだ」
お姉様が静かに言葉を添える。
「町の人たちにも伝わっていましたものね」
セレスの町では、私たちが公爵家の人間としてここにいることは知られている。けれど、王都での出来事までは詳しく伝わっていない。一方で、魔塔には貴族出身の研究者も多い。王都の情報が集まる場所だからこそ、私たちについてどこまで知っているのか——それが気にかかった。
「ただ」
レオンハルト様の表情がわずかに引き締まった。
「シリウスが来ることとこの招待が直接つながっているかは、まだわからない」
「そうですよね」
魔塔が味方なのか、それとも別の意図を持っているのか。今の段階では判断がつかない。だからこそ、実際に見て、確かめるしかない。
「二人はどうしたい?」
レオンハルト様が静かに尋ねた。
私は少し間を置いて、答えた。
「行ってみたいです。魔塔がどんな場所なのか。そして、シリウス・アークライト様がどんな方なのか、自分の目で確かめたい」
お姉様は穏やかに頷き、レオンハルト様も静かに微笑む。
「私も賛成よ」
「それなら決まりだね。二人だけで行かせるつもりはないよ」
その言葉に、胸の奥がほんのり温かくなった。レオンハルト様は、約束した通り、私たちの味方でいてくれる。
◇◇◇
数日後。
私たちはレオンハルト様と共に、魔塔を訪れていた。
遠くから見上げただけで息を飲むほど巨大な白い塔は、空に向かってまっすぐに伸び、周囲の研究施設と共に圧倒的な存在感を放っていた。空気そのものがわずかに震えるような、濃密な魔力の気配が肌にまとわりつく。
「これが・・・魔塔」
思わず零れた声は、自分でも小さく震えていた。
王国内最大の魔法研究施設。魔法を学ぶ者なら一度は憧れる場所。入口では研究員たちが忙しなく行き交い、微かな詠唱の響きや、魔道具が発する淡い光が絶え間なく漂っている。
案内役の研究員は、レオン様の姿を確認すると深く頭を下げた。
「レオンハルト殿下。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、招待に感謝する」
別荘での穏やかな口調とは異なる、王子としての落ち着いた声。案内されながら館内を進むと、見たこともない複雑な魔道具や、床に刻まれた巨大な魔法陣、研究に没頭する魔法使いたちの姿が次々と目に飛び込んでくる。学園とは明らかに異なる、深く静かな魔法の世界がそこに広がっていた。
その時だった。
「シリウス様!」
明るい声が廊下に響いた。
奥から一人の少年が軽やかな足取りで歩いてくる。年は私より少し下くらいだろうか。柔らかな茶色の髪に、明るい笑顔。研究員たちに気軽に声を掛けながら、まるで昔からの友人のように接している。
「昨日の資料ありがとう!」
「役に立ちましたか?」
「うん! すごく助かったよ!」
「今日の発表も楽しみにしています」
「ありがとう! 頑張るね!」
そのやり取りは、とても自然で温かかった。天才と呼ばれる重圧を感じさせず、相手を尊重するような柔らかさがある。
私はその姿を静かに見つめた。
シリウス・アークライト。
名前は知っていた。けれど、今目の前にいる彼は、肩書だけでは測れない何かを確かに持っていた。
すると、シリウスがこちらへ視線を向けた。一瞬だけ目を丸くし、それから楽しげに笑顔を広げて近づいてくる。
「あれ?」
彼は私たちの前で足を止め、軽く首を傾げた。
「ブルームフィールド公爵令嬢……ですよね?」
その声には、警戒もよそよそしさもなく、ただ純粋な好奇心が輝いていた。
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