茜色に染まる
翌日、約束の時間に町へ向かうと、昨日訪れた雑貨屋の前でレオンさんが待っていた。
「おはようございます。今日はいい天気ですね」
彼は柔らかな笑みを浮かべて手を軽く挙げた。その姿は昨日と何も変わらない。気取らない話し方、穏やかな目元。まるでこの町で生まれ育った青年のようだった。
……けれど、私は知っている。
この人が、アルディオン王国の第二王子、レオンハルト・アルディオンだということを。
何度見ても信じがたい。王族というものは、もっと近寄りがたい存在だと思っていたのに。彼から感じるのは威圧感ではなく、不思議な安心感だった。
隣のお姉様も、嬉しそうに小さく微笑んでいる。その表情を見ていると、今は余計なことを考えなくてもいいのかもしれないと思えた。
「では、行きましょうか」
「はい」
私たちはレオンさんの案内で、ゆっくりと町を歩き始めた。
◇◇◇
最初に連れて行かれたのは、小さな焼き菓子店だった。店先から甘いバターと砂糖の香りが漂ってくる。レオンさんは少し照れたように笑った。
「ここのお菓子、町では人気なんですよ。僕もつい買ってしまうくらいで」
「まあ、レオンさんも?」
お姉様が意外そうに目を丸くすると、彼は肩をすくめた。
「ええ。甘いものには弱くて……我慢する理由って、あまりないと思いませんか?」
その言葉に、お姉様がくすっと笑った。
「確かに、そうですわね」
二人の自然なやり取りを見ていると、私の頰も自然と緩んだ。
レオンさんは、相手に気を遣わせないのが本当に上手い。気がつけば、私たちも肩の力がすっかり抜けていた。
◇◇◇
町を歩いている途中だった。
突然、前を歩いていた小さな女の子が躓いて転んだ。
「あっ・・・」
お姉様が咄嗟に駆け寄った。私も慌ててその隣にしゃがみ込む。
「大丈夫? 痛いところはない?」
女の子は涙を浮かべながら小さく首を振ったが、その顔には不安がはっきりと残っていた。
「・・・お母さんとはぐれちゃったの」
お姉様は優しく微笑んで、女の子の手をそっと握った。
「大丈夫よ。一緒に探しましょう」
その声は、公爵令嬢として完璧に整えられたものではなく、ただ目の前で困っている子を安心させたいという、一人の女性としての優しさだ。
するとレオンさんは周囲を見渡した後、女の子に柔らかく笑いかけた。
「高いところから探した方が、お母さんを見つけやすいかもしれないね」
次の瞬間、女の子が楽しそうな声を上げる。
「わぁ!」
レオンさんが、女の子を軽々と肩車していたのだ。
「どう? 少しは見える?」
「見える!」
「じゃあ、一緒に探してみようか」
女の子は嬉しそうに周囲を見渡し、レオンさんは優しい笑顔のまま歩き始めた。
その姿を見ながら、私は静かに思った。
この人は、本当に自然にこういうことができる。第二王子だからではない、誰かに命じられたからでもない。ただ、目の前で困っている人を助けたいと思ったから。
――この人は、悪い人じゃない。
そう、素直に思えた。
◇◇◇
女の子のお母さんを見つけた頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。
「最後に、俺のお気に入りの場所にご案内しますね」
レオンさんが連れてきてくれたのは、町の中心にある古い時計台だった。長い階段を上り、頂上に出た瞬間、息を呑んだ。
夕日に染まるセレスの町並み。
少しずつ灯り始める家々の明かり。
遠くまで広がる緑と空のグラデーション。
「綺麗・・・」
お姉様が小さく呟いた。
レオンさんはその横顔を優しく見つめながら言う。
「ここは、僕がこの町で一番好きな場所なんです」
穏やかな声だった。
けれど、次の瞬間、彼の表情が少しだけ真剣さを帯びた。
「・・・実は、お話があります」
お姉様が振り返る。
「僕は、レオンハルト・アルディオンです」
「・・・え?」
お姉様の目が大きく見開かれた。
当然だ。昨日から今日まで、彼をただの町の青年だと思っていたのだから。
「驚かせてしまいましたね」
レオンハルト様は困ったように笑った。
「改めて名乗ります。僕はアルディオン王国第二王子、レオンハルト・アルディオンです」
彼は静かに、しかしはっきりと言葉を続けた。
「最初から伝えるべきでした。でも、父上からお二人がこの町へ療養に来ると聞いた時……僕は、自分の目で確かめたいと思ったんです」
「確かめる・・・?」
「ええ、舞踏会で起きたこと、兄が下した判断、そして、そこで語られたこと・・・どうしても、気になる部分がありました」
彼の瞳に、王族としての真剣さが宿った。
「王子としてではなく、ただの僕として、お二人と接してみたかったんです」
そして、彼はお姉様を真っ直ぐに見つめた。
「ローザリア嬢は、兄が言ったような人ではありません。僕が見たあなたは、誰かを見下すような人ではなかった。困っている人に手を差し伸べて、周囲を大切にする人でした」
お姉様の瞳が揺れた。
きっと、ずっと欲しかった言葉だったのだろう。信じてもらえるということ。自分自身を、ちゃんと見てもらえるということ。
「僕は、お二人の味方です」
その一言に、お姉様の表情が少しずつほどけていった。
「・・・ありがとうございます」
その声は、公爵令嬢としてではなく、一人の女性としての、素直な響き。
「それから・・・もう一つ」
レオンハルト様は、少し照れたように微笑んだ。
「僕が正体を明かした理由は、それだけではありません」
お姉様が息を詰める。
「僕は・・・ローザリア嬢に惹かれてしまいました」
「・・・!」
お姉様の頰が、夕陽よりも赤く染まった。
「あなたと話している時間が、とても楽しかったんです。王族としてではなく、一人の人間として接することができた時間が」
彼は真っ直ぐにお姉様を見つめる。
「だから・・・少し気が早いお願いかもしれませんが」
夕焼けに染まる時計台の上で、彼は静かに言葉を続けた。
「もし、この先・・・あなたがもう一度、誰かを選べる日が来たなら、その時は・・・僕をあなたの隣に立つ相手として、考えてもらえませんか?」
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