私室にて
自室へ戻ると、私は静かに扉を閉めた。窓から差し込む夕陽が部屋を淡い茜色に染め、机の上へ長い影を落としている。
私は小さく息を吐きながら机の前へ腰を下ろし、引き出しの奥から一冊の革張りのノートを取り出した。舞踏会の夜、この世界が乙女ゲーム『双聖のアルディオン』の世界だと思い出した私は、忘れてしまわないうちに、覚えていることをすべて書き留めた。
攻略対象たちのこと、王家のこと、教会のこと、そして・・・私が知る未来。
そのノートにはゲームの知識だけではなく、この世界で実際に見聞きしたことも書き加えられている。私はゆっくりとページを開き、そこに書かれた名前を見た。
――エリオット・ヴァイス。
その下には、舞踏会の夜に思い出せる限り書き留めた内容が並んでいる。
・王国騎士団副団長
・教会への信仰が厚い
・聖女様を誰よりも敬愛している
・正義感が強く、生真面目
私はその文字を静かに眺めた。
ゲームでは、それしか知らなかった。実際に会った彼は、想像していた以上に真っ直ぐな人だった。
頑固なのではない。自分で考え、自分で納得した答えだけを信じる人。だから私は、答えを教えなかった。ほんの少し視点を変えさせ、あとは彼自身が歩き、自分の足で答えへ辿り着いた。
私はペンを取り、余白へ静かに一行だけ書き足す。
『自分で見つけた答えを信じる』
インクが紙へゆっくりと滲んでいく。私は満足そうに小さく頷くと、次のページをめくった。そこには、もう一人の名前。
――シリウス・アークライト。
・魔法学園始まって以来の天才
・人懐っこい性格
・聖女様を姉のように慕っている
・全属性適性を持つ魔法使い
・努力家
そこまで読んだところで、私は小さく息をついた。
ゲームでは、彼はいつも笑っていた。明るくて、人懐っこくて、誰からも愛される天才魔法使い・・・そして、努力家。
けれど、その「努力」がどれほどのものなのかまでは、ゲームは教えてくれなかった。この世界へ来てから、学園内で彼を何度か見かけたことがある。朝早くから訓練場へ向かう姿、放課後も一人で魔法を繰り返している姿、ほんの短い時間目にしただけ。
それでも、その背中からは、誰よりも真摯に魔法と向き合っていることが伝わってきた。
私はペンを手に取り、余白へ短く書き加える。
『想像以上の努力家』
その一文を見つめながら、私は静かに息を吐いた。ゲームが教えてくれたのは、その人の輪郭だけ。その人が何を考え、何に悩み、どれだけ努力しているのか。そこまでは教えてくれなかった。だから私は、この世界で出会った彼ら自身を見ようと思う。
ふと、ページを閉じようとした手が止まる。脳裏に、一つの光景がよみがえった。
赤く染まった空。
制御を失った膨大な魔力。
崩れ落ちていく王都。
そして、その中心で、誰よりも悲しそうな顔をして立っていた一人の少年。
ゲームで見た、シリウスのバッドエンド。あの結末だけは、今でも鮮明に覚えている。私は静かにノートを閉じた。
窓の外では、夕陽がゆっくりと沈み始めていた。私は茜色に染まる空を見つめ、小さく呟く。
「次は――シリウス様」




