一歩目
応接室には、穏やかな午後の陽射しが差し込んでいた。窓の外では、春風が庭木を揺らし、色とりどりの花々が静かに咲いている。先ほどまで交わされていた言葉は途切れ、部屋には紅茶の香りだけがゆるやかに漂っていた。
エリオットはソファに腰掛けたまま、膝の上で組んだ手をじっと見つめている。以前なら感情のまま言葉をぶつけていた男が、今は考えていた。
その沈黙を破ったのは、彼自身だった。
「・・・まだ、一つだけ分からない。」
低く、思案する声だった。私は静かに視線を向ける。
「何でしょう」
エリオットはゆっくりと顔を上げる。
「ローザリア嬢は、聖女を害していない・・・それは、もう分かった。」
お姉様は穏やかに微笑んだ。
「ありがとうございます」
その一言に、エリオットもわずかに頷く。それだけで、以前とは違うことが伝わってきた。
「だが」
彼は視線を落とす。
「教会の調査報告には、ローザリア嬢が取り巻きへ命じたと書かれていた。なら、その話はどこから出てきた。」
私は静かに問いかける。
「ヴァイス様、そのお話はどなたからお聞きになりましたか」
「・・・聖女様だ」
私は頷きさらに問いかけた。
「では、聖女様は、その場をすべてご覧になっていたのでしょうか」
その言葉に、エリオットは眉を寄せる。
「いや・・・、すべてではない」
そう呟いたところで、言葉が止まる。窓の外で、小鳥が枝を渡った。そのさえずりが、不思議なほど静かな応接室に響く。
エリオットは考える。ゆっくりと、一つずつ。
「聖女様は・・・教会に保護されていた。学園で起きたすべてを見ていたわけじゃない。」
彼は目を閉じ、小さく呟いた。
「だったら、誰かから聞いた・・・?」
私は何も言わず、そのままエリオットは続けた。
「教会が調べ、証言を集め、それを聖女様へ伝えた」
そこで、ふと顔を上げる。
「だから・・・聖女様は、そう信じたのか」
お姉様はティーカップを静かにソーサーへ戻した。白磁が触れ合う小さな音だけが、静かな応接室に響く。
「もし、そうでしたら・・・」
穏やかな微笑みを浮かべたまま、お姉様はゆっくりと口を開いた。
「私は、聖女様を責めることはできません」
エリオットは言葉を失った。先ほどまで抱いていた疑念が、音もなく形を変えていく。
「もし私が、聖女様と同じ立場でしたら」
一度言葉を区切り、静かに視線を落とす。
「教会の皆様から『ローザリア・ブルームフィールドがあなたを害しました』と告げられたなら・・・私も、信じてしまうかもしれません。」
エリオットは目を見開いたまま、お姉様を見つめていた。その瞳には驚きと、何かが音を立てて崩れていくような色が浮かんでいる。やがて彼は視線を落とし、小さく息を吐いた。
「・・・そうか。」
誰に向けた言葉でもない。自分自身へ言い聞かせるような呟きだった。
「だったら、誰かが・・・そう信じさせた」
私は静かに息をついた。その言葉は、私が導いたものではない。彼自身が辿り着いた答えだった。
「教会には、多くの方がおられます。皆様が、同じお考えとは限りません。」
エリオットは頷いた。
「ああ、教会そのものじゃないその中にいる誰かだ。証言をまとめ、聖女様へ伝え、ローザリア嬢を加害者だと思わせた人物。」
彼は静かに立ち上がる。その動きに、もう迷いはない。
「俺が調べる。今度こそ、自分の目で」
エリオットは深く一礼すると、踵を返す。扉が閉まる音が消えると、応接室には再び穏やかな空気が戻った。お姉様がほっと息を吐く。
「少し、安心いたしましたわ。」
私は窓の外へ目を向ける。春風が花壇を撫で、色鮮やかな花々が静かに揺れていた。その光景を見つめながら、小さく呟く。
「――これで、ようやく一歩目です。」
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