反撃の一歩
翌朝、公爵邸の書斎には、重苦しい静けさが流れていた。机の上には昨夜と同じように、王宮から届けられた調査資料や教会の証言書が整然と並べられている。
けれど、私の見方はもう昨日とは違っていた。
これは絶望の証拠ではない。敵が作り上げた物語だ。
ならば、その物語を一つずつ読み解き、組み替えていけばいい。
私は資料から視線を上げた。
「エドガー」
「はい、リリアーナお嬢様」
静かな返事とともに、エドガーが一歩前へ進み出る。
「学園について調べていただきたいことがあるの」
「何なりとお申し付けください」
迷いのない返答だった。
エドガーは幼い頃から私たち姉妹を支えてくれている執事だ。表に出ている記録だけでなく、人づての噂や何気ない会話から真実を拾い上げることに長けている。だからこそ、この役目は彼に任せたい。
私は机上の資料へ目を落とした。
「まず、聖女ルミエラ様が学園へ入学されてから現在までの行動を、可能な限り調べて」
「承知いたしました」
「証言書を書いた方々の関係性もお願い。誰と親しかったのか、教会との関わりはあったのか。証言が集められた順番や時期も分かれば知りたいわ」
「かしこまりました」
「それから、教会の調査官が学園を訪れた日時、保護申請が提出された日、その前後に何があったのかも調べてください」
そこまで聞くと、エドガーは小さく目を細めた。
「・・・つまりリリアーナお嬢様は、結論ではなく、その結論へ至る過程をご覧になりたいのでございますね」
私は微笑んだ。
「そうね、その通りよ」
エドガーは深く一礼する。
「承知いたしました。必ず、お二人のお力になれる情報をお持ちいたします」
その言葉だけで十分だった。エドガーなら、必ず真実へ繋がる糸を見つけてくれる。
「エドガー、お願いね」
私がそう言うと、エドガーは静かに書斎を後にした。
ふと視線を向けると、お姉様は机の上の証言書を見つめたまま、小さく息を吐いた。
「……不思議ね」
ぽつりと漏れた声に、私は黙って耳を傾ける。
「昨日までは、この紙を見るだけで胸が苦しかったのに」
お姉様は一枚の証言書へそっと触れた。
「私は・・・誰よりも公爵家の名に恥じないように生きてきたつもりだった・・・それなのに、ここには私が聖女を虐げた加害者として並べられて・・・」
その声は静かだった。けれど、昨夜よりも胸の痛みを隠そうとはしていなかった。
「・・・正直に言えば、まだ苦しいわ」
私は何も言わなかった。慰めの言葉では、お姉様は救われない。必要なのは前へ進む道だ。
しばらく沈黙が続いたあと、お姉様はゆっくりと顔を上げた。
瞳にはまだ悲しみが残っている。それでも、逃げようとする色はもうなかった。
「でも、立ち止まってはいられないものね」
小さく微笑みながら、お姉様は私を見る。
「それでリリアーナ、私たちは、どう動くの?」
私は書類を重ね、静かに答えた。
「まずは、誰からこの物語を崩していくかを決めます」
お姉様は静かに頷く。
「最初の相手は?」
私は迷うことなく答えた。
「エリオット・ヴァイス様です」
お姉様は少しだけ目を見開いた。
「一番厄介そうな方だけれど?」
私は首を横に振る。
「いいえ、彼が一番動かしやすい方です」
昨日の応接室でのやり取りが脳裏によみがえる。
『教会が保証している。それがすべてだ』
あの言葉が、私の中で何度も繰り返されていた。
「あの方は、ご自身で結論を導いたわけではありません」
私は証言書を一枚手に取る。
「教会が正しい。聖女が正しい。その前提を疑わず、その上に見聞きしたものを積み重ねているだけです」
お姉様は静かに聞いている。
「つまり、自分の目で判断しているようで、本当に信じているのは教会なんです」
私は証言書を静かに机へ戻した。
「だから、その前提が崩れたとき・・・」
「誰よりも大きく揺らぐのは、エリオット・ヴァイス様です」
お姉様は私をじっと見つめた。
やがて、小さく笑みを浮かべる。
「・・・あなたは、そこまで考えていたのね」
私はゆっくりと首を横に振った。
「考えたというより、気付いただけです」
その答えに、お姉様は少しだけ肩の力を抜いて笑った。
「私はまだ、この証言書を見るだけで心が乱れるというのに」
そう呟いてから、静かに頷く。
「でも、あなたの言う通りね。最初は、エリオット・ヴァイス様にしましょう」
私は小さく頷いた。
窓の外では、白い教会の塔が朝日に照らされている。あの塔を支えているのは、人々の信仰。
そして、疑うことを知らない"正しさ"。
だからこそ、最初に揺らすべきなのは――その"正しさ"を誰よりも信じている、一人の騎士だった。




