後編 遠方へ至る道1
この日、竜の巣の女たちは、帝国兵の助けを受けながら、帝都への引っ越し作業を進めていた。タツノリは貴重な男手として、荷造りや荷運びを手伝っていた。目が回るほどの忙しさだ。あれから時間がたち、タツノリの目から見ても、竜の巣の住民は悲しみを乗り越えたように思える。今、女たちは、手伝ってくれる帝国兵の少なさに不平たらたらだ。
「もうちょっと人を増やしてくれたらいいのに」
「誠意が感じられない」
こうした不満をタツノリはそばで何度も聞かされた。まったくたくましいなと思う。
一台目の馬車への積み込みが終わると、ちょうど昼になり、タツノリは家へ戻った。早朝から働きづめのタツノリはくたくただった。
「水、飲みますか」
キトが聞いてきた。
「ああ、くれ」
タツノリがそう返事をすると、キトはくすっと笑った。
「ああ、の言い方がウーダラにそっくりです」
タツノリは反応に困った。記憶にない人に似ていると言われても、喜べばいいのか。だが、悪い気はしなかった。
「そういえば、あの山の頂上には、不思議な泉があるんだって」
タツノリが窓の外を指差す。
「ええ。それがどうかしましたか」
「いや、さっき立ち話して聞いたんだけど……。竜族にとって重要な場所だったって」
竜族は、遠征が決まると必ずその泉に集まって、英気を養ったときく。タツノリには興味があった。引っ越しは遠征ではないが、大がかりな行事だ。出発前に何事もなく終わるようにお祈りしようと思ったのだった。それに、そこへ行けば、自分は竜族だという気分が少しでも味わえるのではないかと思った。
「もうそんなに時間もないですし、いつまたここに来るかわかりません。最後に行ってみては」
キトにも勧められたので、タツノリは山に登った。疲れた足では時間がかかりそうだったが、傾斜はきつくない。意外と早く山頂に着いた。
タツノリは周囲を見渡す。泉は、静寂に包まれていた。タツノリは泉の淵までやってきて、その水を口に含んだ。
「うん、うまい」
すると、辺り一面に霧が立ち込めてきて、一気に見通しが悪くなった。タツノリはその霧の向こうに、ぼんやりと映る影のようなものを見た。
「だ、誰だ」
影は不規則に形を変えていく。
「……いつもお前のそばに……」
低く、うなるような声がどこからともなく響いた。すると影は消えて、霧がさあっと晴れていく。
「なんだったんだ……」
タツノリは背中に冷や汗が伝うのを感じた。気味が悪くなって、戻ろうとしたとき、泉の水をざぶざぶとかきわけて誰かが近づいてくる音がした。
「お前は竜族か」
張りのある声で話しかけてきたその人物は、泉からあがって、タツノリを凝視した。
その人物は男で、隆々とした肉体を隠そうともせず晒している。見たこともない男が、一糸まとわぬ姿で、体を焼き尽くすような鋭い視線をタツノリに向けていた。
タツノリは立ち竦んだ。男の威圧感に圧倒され、声が出なかった。
「そう怖がらずともよい。おぬしは竜族かと聞いたのだ」
「は、はい」
タツノリはとっさにそう答えてしまった。
「あなたはどなたですか。ここで何を」
タツノリは体が石になったように感じながら、精一杯声を絞り出した。
「おれはガナイチャ。竜族に用があって来た。この泉を訪れたのはもののついでだ。古傷にはこの霊泉の水が効くと聞いたのでな」
ガナイチャは地面に脱ぎ捨てられていた服を着始めた。
「そうそう。この水を飲むのは止めた方がよいぞ。おれがさっき用を足したからな。はっはっは」
「…………」
タツノリは先ほど飲んだ水を吐き出したくなった。
「それで、ガナイチャさんは、一体何者なんですか」
タツノリは改めてガナイチャの風貌をよく見てみた。年を取っているようにも見えるし、ものすごく若くも見える。
「おれか。おれは、言うなれば、未来の皇帝陛下様だ」
ガナイチャは強気に語ってみせた。
「おれは次の皇帝の座を狙っている。そのために戦力と支持者を集めている。今のままでは、皇帝の近親者ばかりが皇帝になってしまう。それに不満を持つ者に声をかけて、搔き集めているんだ。そうしておれは、帝国の西に、おれの国とも呼べるものを築き上げた」
「それって、反逆者じゃないですか」
「まあ、そうかもな」
タツノリはガナイチャの目が猛禽類のように鋭くなったので、背筋をぶるっと震わせた。
「そんなとき、竜族の噂を聞いた。なかなかの強者たちらしいじゃないか。ぜひ戦力に加えたいところなんだがな。そこで、お前が竜族の長に取り次いでもらえないか」
タツノリはガナイチャの機嫌を損ねるかもしれないと思ったが、正直に話した。
「実は、もう竜族はいないんです」
「どうしてだ」
「先日の日本遠征の際、暴風雨に遭って全滅しました」
それを聞いて、ガナイチャはしばらく考え込んだ。
「ほお……そうか、なるほど」
ガナイチャは何かに感づいたようだった。
「皇帝も手を打つのが早いな。おれの行動は読まれていたらしい」
「えっ。どういうことですか」
「皇帝は竜族がおれの配下になることを恐れたのだ。シラレの乱のとき一回誘っているからな。日本遠征は、最大の敵だった南の大国を倒して、持て余し気味の兵力を削減する意味合いもあったのだろう」
「それって……」
「厄介払いだな。皇帝は、わざと竜族を全滅させた」
タツノリはあんぐりと口を開けた。ほとんど罠ではないか。ふつふつと心の底から帝国に対する怒りが湧いてきた。
「許せない。竜族を葬っておいて、何が引っ越しの手伝いだ。厚かましい」
「お前の怒りはもっともだ。だが、それが帝国のやり方だ」
「ガナイチャさんは、悔しくないんですか」
「まあ、おれにも似たようなところがあるからな。使える手はすべて使う。今回は、相手が一枚上手だったということだ」
「随分淡泊なんですね」
「こうなっては仕方がない。竜族の手は借りずにやるだけだ」
タツノリはガナイチャの大きな器に深く感じ入った。その人柄や考え方にもっと触れてみたいと思った。
「しかし水を浴びたせいか冷えてきたな。お前の家で休ませてくれないか」
「は、はい。案内します。あっ、でも下には帝国兵がいるんだった」
「なら仕方がないな。今夜はここで野宿だ」
「風邪を引かないでくださいね。また明日来てもいいですか」
ガナイチャは背を向けて手を振った。タツノリは帝国への怒りよりも、ガナイチャという人に会えた喜びの方が勝っていた。




