中編 感極まらせる生きた証拠1
その道の途中、ナオマサは先程のキトの功績を手放しでほめたたえた。
「いやあ、すごかったな。あの偉そうな人も何も言えなくなってたもんなあ」
「タツノリの疑いが晴れてなによりです」
キトは安堵の溜め息をついた。
「こんな聡明で勇気のある人がタツノリのそばにいたとはな。安心したよ。タツノリの良き理解者だな」
「わたしにできるのは、このくらいですから」
キトはそう言うが、きっとタツノリにとっても頼もしい存在であったに違いない。危ないときは力になってくれたのだろう。
並んで歩くキトとナオマサの前を、タツノリが歩いている。突然、タツノリがひざを地面につけてうずくまった。
「痛い……」
「どうした」
「わからない。突然右の脇腹が痛み出して……」
ナオマサはその痛む箇所を見てみた。傷などは見当たらない。
「どうする。帝都に戻って医者に診てもらおうか」
「あ……大丈夫だ。痛みが引いた」
タツノリの表情がやわらいだ。ナオマサは変に思って、再三医者に診てもらおうと言ったが、タツノリは平気だと言い張るので、そのまま三人は歩き続けた。
やがて、三人の目の前にウーダラの家が見えてきた。
ウーダラの家の位置は、崖を顔にたとえるとあごの部分にあたる。遠くから見ると、あごに長方形の塊がくっついているように見える。それをくりぬいて、ウーダラの家はできていた。
家の中は窓から差し込む光で明るい。物が散乱している様子から、確かに誰かが住んでいたようだ。
「わたしもここに住んで、ウーダラのお世話をしていました」
「ここでタツノリは暮らしていたんだな」
「はい。でも、家の主がもう戻らないとなると悲しくてさみしいですね……」
ナオマサは考え込んだ。兵士というのは常に危険と隣り合わせで、いつ戦争に行くか分からない。タツノリは傭兵になろうとしていた。一体どんな魅力を見出したというのか。
これまでも自分はこの手のことには関わろうとしてこなかった。良くないものには関わらないことで、問題を回避してきた。しかしこれからは僧侶として、目を背けてはならないのかもしれない。
タツノリは何かを探し当てるように、家の中を見て回っていた。しかしやはり、タツノリの記憶は戻らないようだった。
「タツノリ……。まあ、元気出せよ。今は無理でも、きっと思い出せる日が来るさ」
ナオマサはタツノリの肩にぽんと手を置いた。その肩はふるえていた。顔を見ると、涙が流れていた。
「どうした。さっきのところが痛んだか」
「痛い。確かに痛いけど、それ以上に、思い出せないことが悔しいんだ。ここには、大切な何かがあったはずなのに」
タツノリはぽろぽろと涙をこぼした。
ナオマサはタツノリの心中を推し量った。記憶が戻らないもどかしさが波のように押し寄せているのだろう。どうすればそこから救い出してやれるのか。何も手立てが浮かばなくてやるせない。
(どうしてタツノリだけが……)
ナオマサがかける言葉を探していると、家の外から女の子の声がした。
「キトちゃん、ちょっと来て」
「はーい。すみません。ちょっと席を外しますね」
しばらくすると、キトは戻ってきた。
「帝国兵が、わたしたち遺族に帝都に移住してはどうかと言ってきたそうです。荷物を運ぶのも手伝ってくれると。ここは何かと不便ですから、多分、みんな離れるでしょうね」
「竜の巣に住民がいなくなるということか」
当然のことかもしれない。愛着はあるだろうが、生きていくためには、移住するのが賢明だ。
ナオマサは後押しされた気がして、タツノリに言いそびれていたことを切り出した。
「あのな。実はおれたちが日本に帰る日が迫っているんだ。タツノリ、一緒に帰ろう」
本当はもっと早く言うつもりだった。だが、記憶を失ったタツノリを見ていたらなかなか言い出せなかった。
タツノリは目を丸くしてナオマサを見、次いでキトの顔をうかがった。
「あなたはどうしたいですか」
「おれは……」
竜の巣でひとまずタツノリと別れてから、五日が過ぎた。今日がナオマサたちが日本へ出発する日だ。ナオマサは港で、タツノリが現れるのを待っていた。タツノリがそのつもりなら、一緒に船に乗ることになる。ナオマサの後ろでは、船長が出港時刻が迫っているのに乗船しないナオマサに苛立ちを募らせていた。
しばらくたつと、タツノリがキトを伴って姿を現した。タツノリは晴れやかな、それでいて迷いのない表情をしていた。ウーダラの家で問うたときとは明らかに違い、目に強い光をともらせていた。ナオマサは、ああ、これはもう心が決まっているのだと確信した。
「さあ、聞かせてもらおうか。五日前の返事を」
聞かなくても分かった。タツノリの意志は顔に表れていた。
「おれは……」
もういい。言わないでくれ。これ以上聞くと、泣いてしまいそうになる。
「おれは、ここに残るよ。今日は、見送りに来た」
やはり、そう来たか。ナオマサは目頭を押さえた。
「残って、どうする。竜の巣でも何も思い出さなかったじゃないか。それに、記憶が戻っても、竜族は滅んだんだ。まだ、傭兵になりたいのか」
「結局おれは竜族になれなかったけど、何もしていなかったわけじゃない。ここに留まれば、その努力の痕跡が見つかるかもしれないんだ。何年かかるか分からないけど、きっとあるはずだ。まるで宝探しみたいで、今からわくわくしてる」
そこまでして取り戻したい記憶とはなんだ。この国で何があった。タツノリのことがますます分からなくなる。
「やっぱりお前は変わってるよ」
どうしてあえて困難な道を選ぼうとする。以前のお前は、そんな考えをするやつだったか。
「分かった。おれはお前の気持ちを尊重するよ」
自分でも心にもないことを言っていた。本当は戻ってほしい。それが言えなかった。
いつかの懐かしい香りの潮風が吹いて、ナオマサは鼻をすすった。
「わくわく、か。この国に来て何年過ぎたかな。最初は、目に映るものすべてが新鮮で、興奮が止まらなかった」
ナオマサは、声がうわずりそうになるのを必死にこらえながらしゃべっていた。
「異国に来て、浮ついて羽目を外しすぎたのはおれの方だったみたいだ」
タツノリは笑って言った。ナオマサはその笑顔を久し振りに見て、自分の中にあった不信感が一気に氷解していくのを感じた。やはりタツノリの笑顔には力がある。
「ようやく元気になったみたいだな」
「いつまでもひがんでいちゃ、ナオマサに心配させるだけだからな」
とたん、ナオマサの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。ぬぐってもぬぐっても、涙はあふれてくる。
「いつからそんなに涙脆くなったんだよ」
「悪い……」
過去に、こんなにもタツノリの優しさが身にしみたことがあったか。タツノリの純粋な気遣いは、今のナオマサを強く揺さぶった。
「これでお別れか。必ず日本に帰って来いよ。いつでも待ってる」
「ああ。おれも、旅に出るような気分なんだ。だからナオマサもおれのこと見送ってほしい。どこまでも続いていて、どこにでも繋がっていそうな道を行く旅に出発するおれのこと」
ナオマサは船に乗った。最後に、船上から岸にいるタツノリに向かって叫んだ。
「本当は意地でも連れて帰るつもりだったけど、今のお前を見たら安心したよ。心強い味方もいることだしな」
「味方って誰だよ」
ナオマサは構わず、キトに向かって叫んだ。
「タツノリのこと、よろしく頼んだ。暴走したら止めてやってくれ」
キトは深く頭を下げて、手を振った。
船は大海原へと漕ぎ出した。ナオマサはまた涙があふれてくるのだった。
涙をぬぐおうとしたら、懐に入れたタツノリの手紙の存在を思い出した。
「これもタツノリの言う努力の痕跡のひとつだよな。見せるの忘れたな」
ナオマサは別れが名残惜しくて、もう一度手紙を読み返してみた。




