第一章(Ⅴ)
「あれ、ミランダがいるぞ」
村の外れで遊び回っていた子供達の一人が、珍しいものを見つけたように声を上げた。
「おーい、ミランダ、何してるんだ?」
年長らしき少年が声をかけながら近寄ると、彼女のそばに見慣れない少年がいるのに気が付いた。つばの広い麦わら帽子を目深に被っていて、顔は分からない。ほとんど日に当たっていないような、不健康そうな色白の肌で、毎日外を駆けずり回っている子供の横で見るとますますそれが際立った。手足は折れてしまいそうなほど細かったが、左腕に包帯がしっかり巻かれていて、そこだけは不自然に太くなっている。
「ミランダ、こいつ、だれ?」
ミランダの後ろに隠れるようにして立つ少年を訝しげに見やりながら、別の子供が尋ねた。
「わたしの、お兄ちゃんよ」
子供達は目を丸くして互いに顔を見合わせ、口々に驚きの声を上げた。
ミランダの後ろに立つ少年も、わずかにたじろいだが、子供達は誰も気が付かない。
「ミランダ、兄ちゃんなんていたのか?」
「嘘だよ、そんなの。今まで見たことないじゃないか」
何人かが興味津々といった様子で帽子の下を覗き込もうとしたが、ミランダは帽子の少年を背に庇うように、小さな身体をいっぱいに広げた。
「お兄ちゃんは、今、おけがしてるの!さわっちゃだめ!」
出来る限り怖い顔をして子供達を睨みつけてから、ミランダはぱっと帽子の少年の右手を取った。
「おうちに帰ろ」
そして呆気に取られる子供達を残し、ミランダは少年の右手をぐいぐい引いてその場から遠ざかっていった。
***
二人は一言も言葉を交わさず、しかし手はしっかりと握ったまま、ただ黙々と家を目指していた。始めは小走りに近かったが、すぐにお互い疲れが出て、今はゆっくりと花畑を進んでいる。
「…もう手をはなしても、大丈夫です。一人で歩けます」
そう少女の背中に投げかけたが、ミランダは何も答えず、小さな手を緩める気配もない。クロードは大人しくミランダに手を引かれたままになっていた。
子供達に見つかるかと思ったその時、こちらに向かって走ってきていたのは、ミランダだった。
少女は子供達の声が聞こえることに気付くと、素早く帽子をクロードの頭に被せ、番人のように立ちはだかって子供達の目からクロードを守ってくれた。どうしてそんな風に自分を庇ってくれたのか、そもそもなぜあの場に居たのか、クロードには分からないことだらけだ。
「手をはなしたら、またにげちゃうもん」
セドリックの家の屋根が見えてきた頃、ようやくミランダが口を開いた。
「…にげる?」
「さっき、おうちから村のほうに、はしってた」
「あれは、帽子が風にとばされて、おいかけていただけです」
「お父さんは、とおくに行くなって言ってたのに」
「…聞いていたんですか?」
ミランダは明らさまにしまった、という顔をした。
「わ、わたしもおそとに出たかったから、たまたま、聞こえただけだもん!そうしたら、とおくに行こうとしてたから、わたしもおいかけたの。だって、いなくなっちゃったら、お母さんもお父さんもかなしくなるもん」
ミランダは言い訳がましく早口に言い切ると、ぷいっと顔を背けてしまった。草花の間を歩くさわさわという軽い音だけが耳に届く。揺れる黄色をぼんやり見るうち、ふっと思い出したことがあった。
「…あの指輪、ありがとうございました」
言った途端、今まで早足だったミランダが突然立ち止まり、クロードはつんのめりそうになってしまう。
ミランダはゆっくりとこちらを振り向いた。
「つけて、くれたの?」
「はい。あれのおかげで、元気になって、外にも出られるようになりました」
すると、今まで強張っていたミランダの表情が、みるみるうちに明るく華やいだ。
「あのおまもりはね、いちばん良くできたんだよ!花の妖精さんのちからが、いっぱいつまってるから、お父さんやお母さんが元気がないときは、このお花でおまもりを作ってあげるの。そうするとね、お父さんもお母さんも、すぐ元気になってくれるんだよ!」
自分が作ったものが役に立ったのが、心底嬉しいらしい。無邪気にはしゃぐ姿や、その笑顔は、どんな花より愛らしく、そして眩しかった。
「とても良いお守りをもらったし、さっきはあなたのおかげでこの髪や目のことがばれずにすみました。私は、あなたに助けてもらってばかりです」
すると、ミランダは不意に真面目な顔に戻り、恐る恐る尋ねた。
「じゃあ、これで、仲なおりしてくれる?」
「…仲直り?」
ミランダは頷き、一語一語を思い出すようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「わたしが、おまもりを持っていった日、お母さんに言われたの。その人が、どんな見た目でも、それだけでその人を決めつけちゃいけないよって。見た目のきれいさはすぐに分かるけど、こころのきれいさは、その人と仲よくならないと分からないよって。目の色がきらいだから、お前とは仲よくしないって言われたら、ミランダもかなしいでしょうって」
ミランダは服の裾をぎゅっと握り締めて、自分より頭一つ分背の高いクロードを見上げた。クロードを怖がって震えるような素振りはない。彼女の大きな緑色の瞳は、真っ直ぐにクロードの黒眼を見据えていた。
「わたし、仲よくなる前に、きらいってしちゃったから、ちゃんとお友だちになりたいの。…仲なおり、してくれる?」
クロードは何と言って良いやら分からず、言葉に詰まってしまった。セドリック達から仲直りしたいらしいと聞いてはいたが、あれほど自分に怯えていた少女が、こうも真剣に自分を見つめているのが妙に落ち着かず、むずがゆいような居心地の悪ささえ感じてしまう。ただ、自分に近寄って、話そうとしてくれているという事実は、クロードの中で純粋な喜びとして駆け巡り、心地よく全身をしびれさせた。
「…まだ、おこってる?やっぱり、仲なおりは、できない?」
ミランダが今にも泣き出しそうに眉を下げていることに気付き、クロードは慌てて首を横に振った。
「おこっていません。私も、あなたと仲直りしたいです」
「ほんと?」
「はい」
しかしミランダは、腑に落ちない様子で、じぃっとクロードの顔を見上げている。
「でも、お顔がこわいままだよ。ほんとに、おこってない?」
「…おこっていないです」
「じゃあ、仲直りするのが、うれしくないの?」
「いえ、うれしいです、とても」
「じゃあ、どうしてわらわないの?お母さんは、うれしい時は、みんなえがおになるのよって、前に言ってたよ?」
そう言われても、とクロードは困ってしまった。確かに今の自分の顔は、ミランダが見せたような眩しいほどの笑顔には程遠いかもしれないが、そこまで険しいものだとは思いもよらなかった。
「どう笑えばいいのか、よく、分からなくて…」
正直に打ち明けると、ミランダは訳が分からないというように目をまん丸にしてみせた。彼女は本当にころころと表情の変わる少女だった。
「じゃあ、わたしがてつだってあげる!」
言うが早いか、少女は腕を伸ばしてクロードの両頬を挟むと、そのままむにゅっと上に押し上げて無理やり口元を三日月形にさせた。突然のことに目を白黒させるクロードをよそに、ミランダはその姿勢のままもう一度問うてきた。
「仲なおりするの、うれしい?」
「う…うえひいです」
「うん、わたしもね、うれしい!」
そう言うと、ミランダは耐え切れなくなったように吹き出した。
「いま、すっごく、へんなお顔だね」
「ひゃあはなひてくだはい」
「だめ、もうちょっとあそぶ」
手で頬を挟んだまま、下に伸ばしたり、軽くつまんで横に引っ張ったり、クロードはしばらくされるがままになっていたが、やがてミランダの方が堪え切れなくなったようで、少女はぱっと手を離すと、身体を折り曲げて笑い転げた。
「…何をするんですか」
赤くなった頬をさすりながらぼそりと文句を言うものの、不快感のようなものは全くない。痛いほどに真っ直ぐで素直な触れ合いは、セドリックが頭を撫でる感触や、ソフィアが優しく抱き締める感触とは、また違う心地良さがあった。
「仲なおりしたから、もうお友だちだよね?」
ようやく落ち着いたらしいミランダからそう投げかけられ、クロードは戸惑いつつも一つ頷いた。
「じゃあ、じゃあ、お友だちになったから、わたしのこと、ミリーって呼んで!お父さんもお母さんも、わたしのことミリーって言うの。わたしもね、ミランダより、ミリーのほうが、かわいいから好き」
クロードはしばらく迷って、
「じゃあ、ミリー…さん?」
と言うと、ミランダは明らさまにふくれつらをした。
「お友だちは、そんなふうに呼ばないんだよ。それに、お父さんやお母さんと話す時みたいにわたしとおしゃべりするのは、へんだとおもう」
「…そうですか?」
「うん、それ、やっぱりへん!」
笑顔のことと言い、話し方と言い、慣れないものばかりだ。記憶を失う前の自分は、よほど偏屈な家で、ろくに笑わずに過ごしていたのだろうかと、クロードは頭の片隅でちらっと考えていた。
「これからは、気を付け…、るよ。ミ……ミリー」
彼女は、指輪を褒められた時の何倍も嬉しそうに笑った。彼女の笑顔は底抜けに明るい。自分には眩しすぎるような気がして、クロードは思わず目を細めた。
気が付けば、頭上から降り注いでいた太陽は西に傾き始め、草木や家の屋根もほんのりと橙色に染まり出している。少し冷たい風が二人の髪をさぁっと逆撫でていった。
「くらくなってきたから、はやく帰ろ。お父さんもお母さんもしんぱいしてるとおもう。」
「そうですね、帰りま…」
そう言いかけて、ミランダが頬を不満げにこちらを見上げていることに気付く。
「そ、そう…、だね。帰ろう」
家の戸口に着くまでの短い間にも、ミランダは様々なことをクロードに話して聞かせた。昨夜は大嫌いな雷の夢を見て怖かったこと。顔は母に似たが目は父親似だと言われること。草花で装飾品を編むのは、実は父から教わったのだということ。大人になったら、この花畑の花をたくさんの人に配って、町中を花でいっぱいにするのが夢だということ。
(もし私が、黒い髪じゃなかったら。もし私が、記憶を無くさずにここへ来ていたら。きっと、こんな風に話すことは出来なかったんだろうな)
そう考えれば、不気味な見た目も、案外悪いことにばかり繋がるわけではないと思えた。ぽんぽんとよく喋る少女に相づちを打ちながら、クロードは脂っ気のない自分の髪を、そっと手櫛で梳いた。




