4話 指導
その日、エレノアは一人で自主練習をしていた。
剣を何度も振り下ろし、パトリシアの動きを思い出しながら、交わして反撃をする練習をする。
喉が乾き、体が水を欲するようになった頃、エレノアは水を飲んで休憩をしていた。
すると、廊下の方から訓練服に着替えた亜麻色の髪がふわっと揺れたのが見えた。
細身の体型をした人物は下がった柔和な印象を与える眉毛と水色の瞳をこちらへと一直線に向けて、歩いてきていた。
その右手には木剣が持たれていた。
その人物こそが騎士学部特待生クラスの次席ジルベール・ラントレー王子だった。
ジルベールはエレノアの目の前で止まり、柔和な笑みを浮かべた。
「僕と模擬戦でもしないかい?」
エレノアは頬から垂れ流す汗が首へと流れるまでの間、沈黙していた。
それは、ジルベールがエレノアに模擬戦を誘う理由など思いつきもしなかったためである。
入学直後に挨拶を交わした程度でそれ以外の接点などありもしなかったのだから、エレノアのこの沈黙は至極真っ当なものである。
「パトリシア嬢と再戦して勝つんだろう?一人で練習しているより、相手がいた方が断然いい」
何が目的なのだろうとエレノアはジルベールを観察するが、表情を読み取ることが得意ではないエレノアはイーサンの無表情よりわかりにくい柔和な笑みからその感情を読み取ることを放棄した。
ジルベールがもし、善意で模擬戦をしようと誘ってくれているのならエレノアとしては最高の提案だ。
だが、ジルベールはイーサンを殺し、パトリシア、セザール、リュカにイーサンを裏切り自らの陣営に来ないかと唆した人物でもある。
油断できない人物であることは確かだが、この状況で彼が何かを企んでいると言われてもエレノアにはわかりかねる問題だ。
「よろしくお願いします」
エレノアとジルベールは互いに頭を下げた。
先生もいないのに開始の合図はどうするのだろうとエレノアが思っていた。
「君の好きなタイミングで来るといい」
余裕ありげなその発言にエレノアは、彼と自分の力量差をひしひしと感じていた。
エレノアは何も言わずに行くのもどうかと思い「いきます」と声をかけてジルベールへと向かっていった。
エレノアは真正面から自分の攻撃を受け流していくその姿に師匠であるレオンの姿を重ねていた。
まるで指導者が教え子を指南するように丁寧に何度もだめな部分をその剣撃の度に指摘してくるその姿はジルベールが指導者と言ってもいいぐらいだ。
そして、ジルベールの反撃が始まり、エレノアは十回耐えたジルベールの反撃を十一回目でついに受けきれずそのままジルベールに急所の部分を木剣で触れられた。
「参りました」
エレノアは自らの足で立ち上がり、礼をした。
「なぜ、稽古つけてくれたんですか?」
「面白そうだったから。ただ、それだけだよ」
柔和な笑みを崩さないジルベールの頬には数適の汗が流れていた。
だが、エレノアがそんな言葉で納得できるはずがなかったが「そうですか」と返答するしかなかった。
「強いて言えば、エレノア嬢がイーサンと仲良くなれればいいなと思っているぐらいだよ」
エレノアにはそれが本心のように思えた。
嘘のような笑みを張り付けて仮面のように表情が見えないジルベールならそれすらも嘘なのかもしれないが、その言葉だけは嘘ではないように思えた。
「じゃあ、もう一度やろうか」
間髪入れずにそう言いのけたジルベールの好意をエレノアが一蹴するはずがなく、剣を構えた。
その日は休みだと言うのに、夕方になるまでエレノアとジルベールは模擬戦に明け暮れた。
「じゃあ、次の再戦楽しみにしてるから」
「ご指導ありがとうございました」
エレノアはだらんとした体を動かし、ジルベールへと礼をする。
最初の方は追いついていなかった体がジルベールと剣を交わしていくうちにジルベールの言っていることが理解できるようになり、最後の方はジルベールの指摘が少なくなっていたようにエレノアは思えた。
息が上がり上昇した体温を下げようと流れ落ちてくる汗をタオルで拭き取る。
べたりと体にくっついた訓練服は汗でびっしょりだ。
汗で冷えた体に夕方の気温は少し肌寒く、エレノアは早々に風呂に入ろうと決意した。
エレノアは、先に風呂を済まし、食堂へと向かうと給食を待っているセザールとパトリシアに遭遇した。
「一緒に食べない?」
エレノアを誘ってくれたのはパトリシアだった。
「うん」
三人は用意された給食のお盆を持って食堂の席へとついた。
そして、手を合わせ、用意された美味しいステーキへとかぶりついた。
朝から夕方まで酷使した体に染み渡るソースと肉の旨味に思わず声が漏れてしまう。
そんなエレノアを見た二人がくっと笑った。
「ジルベール殿下と模擬戦ずっとしてたって話題になってたぞ」
「え、そうなの?」
模擬戦に集中しすぎて周りのことなど見れていなかったエレノアは二人に知られるほど話題になっていたという事実に驚いた。
「二人はジルベール殿下のことなにか知ってる?」
「俺達はそっち絡みは一般的なものしか知らないしな。派閥が違えど普通に会話はするけど、仲いいかと言われるとそれは違う感じだし」
「サンドリーヌ殿下とも私たちは会わないしね」
「え?二人会ったことないの?」
イーサンの婚約者なのだから側近である二人が会うのは自然なことだろうと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
「いや、別にサンドリーヌ殿下はイーサンの婚約者でもないんだから重要な時以外会わないよ」
笑いながらエレノアの言葉を手を横に振って否定するセザールは衝撃の事実に持っていたフォークをお盆の上に落としてしまうほどの衝撃を受けた。
エレノアは勝手に小説の中で、イーサンとサンドリーヌ王女が結婚のための準備を進めているという文言から、この時にはもう既に婚約しているものだと思っていたのだ。
婚約しているという言葉はどこにも出てこなかったし、そこを不審に思って親友に質問をすることもなかった。
「二人は婚約者同士、だよね」
「俺とパトリシア?婚約者だけど」
エレノアは胸を撫で下ろすような安心感をその言葉に感じた。
この二人も本当は婚約者じゃなかったというオチがなかったのはよかった。
「サンドリーヌ殿下とイーサン様は婚約者じゃないの?」
エレノアがもう一度聞き直すしたことにより、エレノアが貴族の婚約事情に疎いとパトリシアとセザールは悟った。
「二人は婚約者同士じゃないわ。サンドリーヌ殿下はイーサンのこと好いているみたいだけど。王家も大公家も縁談状を出したことは一度もないわ。そんな話が出たことは一度もないし。ただ、一方的にサンドリーヌ殿下がイーサンのこと好いているだけ。イーサンはどうかは知らないけど」
「サンドリーヌ殿下はいたくイーサンを気に入っているからパトリシアは嫌われているよな」
「私には婚約者がいるのだし、サンドリーヌ殿下はイーサンの婚約者でもないのだし、わざわざ私を嫌う理由なんてないのにね」
パトリシアは切ったステーキをぱくりと口の中に頬張り、少し不機嫌そうに鼻を鳴らした。
そんなパトリシアを見てセザールが「まあまあ」とパトリシアを宥めた。




