33話 就職先
「ん?」
エレノアは後ろから制服の裾を引っ張られていることに気づいた。
裾を掴んでいる手はイーサンのものだった。
「どうしたの?イーサン」
イーサンは口をもごもごと動かしている。
声は出ていなく、ついにため息をして話すのをやめてしまった。
何かをエレノアに話そうとしているのだろうが、用はないと言うように、イーサンは掴んでいた裾を離した。
「なんでもない」
「そう?」
口を固く閉ざしたイーサンを横目に、エレノアは第二談話室を出た。
ここ最近のイーサンが変なのは承知の上、エレノアはイーサンが言うのを待っている。
特待生防衛戦の時から視線を感じ、最近はこうやって絡まれて、イーサンが話すのをやめる。
この状態がしばらく続いているのだ。
「もやもやする」
「何が?」
独り言のはずだったのだが、その声を捉えた通りすがったパトリシアが聞いていたようだ。
エレノアはパトリシアから目を逸らした。
「空が綺麗だなあ」
適当な嘘を浮かべながら、エレノアは空を仰いだ。
正直言って、この悩みを誰かに零す気はなかった。
ただ、イーサンから言ってもらうのを待っているつもりだったというのに、今の独り言を聞かれてしまったのは不覚だ。
「急に白々しくなっちゃって。何よ」
ぷんっと拗ねたようにパトリシアが口を膨らませた。
そんなつもりはなかったが、無視するわけにもいかないエレノアは、口をモゴモゴと動かした。
「親友に悩みがあるなら話してくれてもいいじゃない」
「親友‥‥」
エレノアはパトリシアと友人だとは思っていたが、彼女が親友と思ってくれるほど、自分と仲が良いと思ってくれている事実がとてつもなく嬉しかった。
頬がほんのりと赤づいて、口元が緩んでいくのが分かる。
あまりにもその言い方が前世の小説を書いていた友人に似ていて、ついその名前を零したくなった。
「イーサンが何か私に言いたそうにしているんだけど、それが、なんだろうなってモヤモヤしてるの」
「簡単なことじゃない」
「え?」
「何を話そうとしてるのかイーサンに聞けばいいだけじゃないの?」
待つという選択肢しかなかったエレノアに、パトリシアは簡単に言いのけた。
そして、その考えにエレノアはほんの少し微笑んだ。
「前のイーサンなら悩むことなんてしなかったと思うの。これは、イーサンの成長の一つなんだと思う。だから、それを乗り越えるまで私は待つって決めたんだ」
エレノアの返答を聞いて、パトリシアがむしゃくしゃしたように「あー!」と声を出した。
エレノアはびくりと肩を動かしてパトリシアの方を見た。
「私も、それならイーサンを待ったほうが良いと思う。差し出がましいこと言ってごめん」
「全然だよ。逆に話せてなんかすっきりしたし」
「よかった」
エレノアの返答に罪悪感に浸っていたパトリシアの心が少しは緩和することができたようだ。
「私も言わないとだなあ。イーサンに騎士団に入れてほしいって」
「まだ言ってなかったの?」
呆れたようにパトリシアがため息をついた。
忘れていたわけではなかったのだが、言うタイミングがなかったのだ。
夏休みはつい楽しくて、そんなことを考えている暇がなかった。
「二年生になったら本格的に就職活動もあるというのに、呑気なことね」
エレノアは苦笑する。
特待生クラスでは、就職先は豊富に用意されている。
有力な騎士団。近衛騎士団。入ろうと思えば何でも入れる。
だが、気を抜いていると騎士団にすら入れないという事態も起こり得るのだ。
パトリシア達はバンフィールド大公騎士団への推薦が入学する前から決まっているため、就職活動をすることはない。
「大丈夫だよ」
「そうかしら」
エレノアのお気楽な考えはすぐに消し飛ばされた。
「イーサン、私をバンフィールド大公家騎士団に入れてほしい」
善は急げと直談判をしに来たエレノアのことをじーっとイーサンが見定めるように凝視する。
エレノアはごくりと生唾を飲み込んで、イーサンの返答を待っていた。
「無理だ」
淡々と言いのけるイーサン。
それをあまりに受け入れられず、エレノアはその返答を理解するまでに少しの時間を要した。
騎士団に入れてもらえるほど仲良くなったと思っていたのは自分だけだったのだろう。
肩を落として、ぼーっとしたままエレノアは第二談話室の椅子に腰掛けた。
「嘘」
「嘘じゃありませんよ」
エレノアの独り言を否定したのは、その場に居合わせていたリュカだった。
エレノアは、リュカをじーっと見つめた。
「僕を見つめても何も出ませんよ」
エレノアに助け舟を出してくれる気はないようだった。
「就職先‥‥どうしよう」
「近衛騎士団に行けばいいではないですか」
リュカの提案は最もだ。
特待生クラスのほとんどは、近衛騎士団の出世コースで上官になるのがほとんどだ。
だが、エレノアはイーサンの運命を変えるためにも、近衛騎士団に行くわけにはいかない。
「傭兵でもやろうかな」
エレノアの一言にリュカとイーサンが疑問の声を漏らした。
「いや、お父様が許してくれないかな」
その一言で落ち着きを取り戻した二人がほっと胸をなでおろした。
エレノアの無鉄砲な言葉に振り回されていては、心臓が何個あっても足りない。
「あまりに極端な答えですね。大公家騎士団がだめならば、傭兵なんて」
「そうかな。傭兵なら自由に動き回れるし、いい案だと思うけど」
「心配ですよ。傭兵はどこで死んでしまっても、気付かれない場合が多いですから」
リュカは、深い溜息をついた。
傭兵は使い捨てとして、貴族に重宝されている。
働きたい時に働いて、後は自由。
そんな職業に憧れて、傭兵になる者も多いが、一人行動の多い傭兵が、死んだところでそれを探す人などいない。
姿を現さなくなれば、どこかで死んだのだろうと判定される。
そんな職業にエレノアがなると言っているのだから、リュカが反対するのも無理がない。
「傭兵が駄目ってなると、領地に戻るか冒険者?ってなるのかな」
「他の騎士団に入るつもりはないのですね」
エレノアの目的が、バンフィールド大公家騎士団に入ることだけで、第二希望も第三希望もないのだとイーサンとリュカは理解した。
「そうだね。私はイーサンと一緒にいたいから」
その言葉を聞いたイーサンの険しい表情が無表情になり、その後、ほんの少し緩んだ。
リュカは、言葉を選ばず率直に勘違いする言葉を連ねるエレノアに引っ掻き回される自分の主人が可哀想に思えてきた。
そして、そんな些細な表情の変化でイーサンの感情が分かるようになった自分にも驚いた。




