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万葉集について

万葉集(まんようしゅう)


奈良時代(710年~794年)に大伴家持(おおとものやかもち)(718年~785年)によって編纂(へんさん)されたと言われており、全20(かん)(約4,500(しゅ))からなる日本最古(さいこ)和歌集(わかしゅう)である。


〖万葉集〗という題名(だいめい)については、諸説(しょせつ)ある。

(よろず)の葉の集〗とも、〖万代(ばんだい)の集〗とも、言われている。

〖万の葉の集〗であれば数多(あまた)の歌集、〖万代の集〗であれば永遠(えいえん)に続く歌集という意味になるが、(いづ)れも(さだ)かではない。


〖万葉集〗は様々な時代の和歌を集めた詩歌集(しいかしゅう)であり、國家形成期(こっかけいせいき)の文学、日本文学の原点(げんてん)とも言われている。



時代区分(じだいくぶん)


≪第一期≫

・巻一~巻二

・『初期(しょき)万葉』

・629年頃~672年頃の歌

・代表歌人は、舒明天皇(じょめいてんのう)天智天皇(てんじてんのう)額田王(ぬかたのおおきみ)など


≪第二期≫

・巻三~巻五

・『白鳳(はくほう)万葉』

・672年頃~710年頃の歌

・代表歌人は、天武天皇(てんむてんのう)持統天皇(じとうてんのう)柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)など


≪第三期≫

・巻六~巻十五

・『平城(へいじょう)万葉』

・710年頃~733年頃の歌

・代表歌人は、山上憶良(やまのうえのおくら)山部赤人(やまべのあかひと)大伴旅人(おおとものたびと)など


≪第四期≫

・巻十六~巻二十(平安時代(へいあんじだい)に編纂されたとも言われている)

・『天平(てんぴょう)万葉』

・734年頃~759年頃の歌

・代表歌人は、大伴家持(おおとものやかもち)笠郎女(かさのいらつめ)橘諸兄(たちばなのもろえ)など



〔内容〕

・〘挽歌(ばんか)故人(こじん)(いた)む歌)〙

 〘相聞歌(そうもんか)恋愛(れんあい)情愛(じょうあい)の歌)〙

 〘雑歌(ぞうか)(國、自然、人生についての歌)〙

・人生における喜び、怒り、哀しみ、楽しみを

 歌っている

素朴(そぼく)で力強く、嘘偽(うそいつわ)りのない率直(そっちょく)素直(すなお)

 氣持ちを(あらわ)した歌が多い

・当時の人々の本当の声や実際の()らしが分かる

 (伝統・風土(ふうど)風習(ふうしゅう)風俗(ふうぞく)・食文化・価値観(かちかん)など)

・神、(くに)、天皇、宮廷儀礼(きゅうていぎれい)政争(せいそう)(いくさ)、平和、死生(しせい)

 自然、四季(しき)喜怒哀楽(きどあいらく)無常(むじょう)愛情(あいじょう)再生(さいせい)など

 多種多様(たしゅたよう)な歌が(おさ)められている



〔特徴〕

・約半分の歌が作者不明(さくしゃふめい)

()り立ちや目的が不明

幅広(はばひろ)身分(みぶん)の人々の歌

 (天皇(てんのう)貴族(きぞく)防人(さきもり)、農民など)

・時代によって死生観(しせいかん)(アニミズムや仏教の影響)が

 異なる

・【大和言葉(やまとことば)】や【万葉仮名(まんようがな)】が使われている

現代(げんだい)とは発音(はつおん)(こと)なる、存在しない【言葉】がある

 (平安時代以降に発音の種類が減ったと言われている)

(すべ)て漢字で表記(ひょうき)

・形式が様々(さまざま)

 短歌(たんか)(5・7・5・7・7)

 長歌(ちょうか)(5・7を繰り返し、最後は7)

 旋頭歌(せどうか)(5・7・7・5・7・7)



大伴家持が〖万葉集〗を編纂した理由は(いく)つかあるが、一つは家持自身が國家に対して危機感(ききかん)(いだ)いていたということが()げられる。


大伴氏は皇統(こうとう)を支える武門(ぶもん)の家であり、家持自身も皇統への忠誠心(ちゅうせいしん)あつい官吏(かんり)であった。


家持が生きた時代は、政治的混乱期(せいじてきこんらんき)であった。



764年 

藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)(らん)


恵美押勝(えみのおしかつ)の乱』とも言われる。

藤原仲麻呂は、叔母(おば)である光明子(こうみょうし)(701年~760年。『第45代天皇』聖武天皇(しょうむてんのう)皇后(こうごう))と自身の(めい)である『第46代天皇』孝謙天皇(こうけんてんのう)(718年~770年。聖武天皇の皇女(ひめみこ))の権威(けんい)を後ろ(だて)に権力を(にぎ)った。

757年、橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)(721年~757年。橘諸兄の息子)が絶対的権力ぜったいてきけんりょくを持つ藤原仲麻呂の排除(はいじょ)(くわだ)てたが、密告(みっこく)され失敗(『橘奈良麻呂の(へん)』)。

橘奈良麻呂は(とら)えられて、獄中死(ごくちゅうし)

関与(かんよ)した人々も逮捕たいほ拷問(ごうもん)され、処刑(しょけい)流罪(るざい)となった。

橘氏は没落(ぼつらく)し、政敵(せいてき)が消えた藤原仲麻呂の権力は絶大(ぜつだい)なものとなり、自分の親族を次々と政府の要職(ようしょく)()けていった。

758年、『第47代天皇』淳仁天皇(じゅんにんてんのう)(733年~765年。『第40代天皇』天武天皇の孫)が即位(そくい)(孝謙天皇は譲位(じょうい))。

藤原仲麻呂の傀儡(かいらい)であった淳仁天皇により、藤原仲麻呂は右大臣(うだいじん)(にん)じられた。

その際、淳仁天皇より『恵美押勝』の姓名(せいめい)(たまわ)った。

760年に藤原仲麻呂は太政大臣(だじょうだいじん)となり権力をほしいままにしていたが、光明子が死去し、孝謙上皇(こうけんじょうこう)寵愛(ちょうあい)僧侶(そうりょ)であった弓削道鏡(ゆげのどうきょう)生年不詳(せいねんふしょう)~772年)へ移ったこと(道鏡が孝謙上皇の(やまい)治療(ちりょう)したことにより信頼(しんらい)を得た)により、藤原仲麻呂の勢力(せいりょく)次第(しだい)に弱まっていった。

藤原仲麻呂は、権威回復(けんいかいふく)(はか)るべく乱を企て孝謙上皇と道鏡軍に戦いを仕掛(しか)けたが、藤原仲麻呂は戦中に捕えられて斬首(ざんしゅ)

戦いは一週間で終結(しゅうけつ)した。

淳仁天皇は廃位(はいい)となり、淡路島(あわじしま)兵庫県(ひょうごけん))へ配流(はいる)

藤原仲麻呂の一族郎党(いちぞくろうとう)は処刑。

その後、孝謙上皇は重祚(ちょうそ)(退位した天皇が再び天皇になること)し、『第48代天皇』称徳天皇(しょうとくてんのう)となる。



769年 

宇佐八幡宮御神託事件うさはちまんぐうごしんたくじけん


道鏡事件(どうきょうじけん)』とも言われる。

『藤原仲麻呂の乱』の後、称徳天皇と道鏡は仏教中心の政治を行うようになる。

称徳天皇は、自分の寵愛する道鏡を『太政大臣禅師だじょうだいじんぜんじ』に任命(にんめい)

更には『法王(ほうおう)』という地位(ちい)まで与え、道鏡は称徳天皇を(しの)ぐほどの力を持つようになった。


769年、太宰主神(だざいのかんづかさ)であった中臣習宣阿曾麻呂なかとみのすげのあそまろが、宇佐八幡宮からご神託(しんたく)(くだ)ったと朝廷(ちょうてい)奏上(そうじょう)


「道鏡を天皇にすれば、天下泰平(てんかたいへい)となる」


このご神託は、権力を掌握(しょうあく)していた道鏡に取り入るための中臣習宣阿曾麻呂の嘘であった。

しかし、この神託が「真実である」とされれば、皇族(こうぞく)ではない道鏡が天皇として即位することになる。

これは、皇統(こうとう)()るがす大事件であった。


真実を確かめるべく、朝廷は官僚(かんりょう)であった和氣清麻呂(わけのきよまろ)を宇佐八幡宮へ派遣(はけん)当初(とうしょ)、孝謙天皇に(つか)えていた和氣広虫(わけのひろむし)が派遣される予定であったが、病弱であったために弟の清麻呂が代わりに派遣された)。

宇佐八幡宮から戻って来た和氣清麻呂は、称徳天皇にご神託の真偽(しんぎ)について報告した。


「道鏡を天皇にしてはならない。

 天皇は、皇族(こうぞく)()ぐべきである。

 皇族以外の者を、一掃(いっそう)せよ」


称徳天皇と道鏡は激怒(げきど)し、和氣清麻呂と和氣広虫を(ばっ)した。

和氣清麻呂は名を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と変えられ、大隅國(おおすみのくに)鹿児島県(かごしまけん))へ配流。

和氣広虫は名を別部狭虫(わけべのさむし)と変えられ、備後國(びんごのくに)広島県(ひろしまけん))へ配流。


しかし、それはほんの(わず)かな期間であった。


770年、称徳天皇は崩御(ほうぎょ)し、道鏡は失脚(しっきゃく)

道鏡は下野國(しもつけのくに)栃木県(とちぎけん))へ左遷(させん)され、二度と朝廷に戻ってくることはなかった。

その後、和氣清麻呂と和氣広虫は復権(ふっけん)

和氣清麻呂は『第49代天皇』光仁天皇(こうにんてんのう)(709年~782年。天智天皇の皇子(みこ))と『第50代天皇』桓武天皇(かんむてんのう)(737年~806年。光仁天皇の皇子)に仕え、794年の平安遷都(へいあんせんと)尽力(じんりょく)した。

和氣広虫も同じく光仁天皇と桓武天皇に仕えながら、孤児(こじ)養護(ようご)など慈善活動(じぜんかつどう)(いそ)しんだ。


命懸(いのちが)けで皇室を守った和氣清麻呂と和氣広虫は、今も忠臣(ちゅうしん)として(かた)()がれている。


天皇は、()()でも、皇統に(ぞく)する男系男子(だんけいだんし)が引き継がなければならない。


それが守られなければ、日本は日本でなくなる。


そうでなければ、中国と同じ道を辿(たど)ることになる。


中国の歴代王朝(れきだいおうちょう)滅亡(めつぼう)した(おも)な理由は、三つある。


外戚(がいせき)(母方の親族)の権力掌握(けんりょくしょうあく)

宦官(かんがん)去勢(きょせい)された男性)の専横(せんおう)

異民族(いみんぞく)侵略(しんりゃく)


外戚と宦官によって國の中枢(ちゅうすう)(むしば)まれ、政治は腐敗(ふはい)し、國家機能が破綻(はたん)

そして異民族に蹂躙(じゅうりん)され、多くの中国王朝が滅んでいった。


國の枢軸(すうじく)破壊(はかい)されれば、國は自戒(じかい)する。


中国のようにならないために、道鏡のように天皇の位を(ねら)う人間を阻止(そし)するために、日本の皇室の継承(けいしょう)男系(だんけい)のみであった。

女性天皇は認められてはいたが、称徳天皇以外は中継(なかつ)ぎの天皇(すめらみこと)、つまり次の天皇に引き継ぐまでの一時的な天皇であった。

また、たとえ女性天皇であっても女系嫡子(じょけいちゃくし)に譲位することは認められてはいなかった。

それは、女系天皇の誕生(たんじょう)(はば)むためでもあった。


日本に、女性天皇は存在(そんざい)した。

しかし、全て、男系天皇の血を受け継がれた方々である。

男系天皇の血を一切受け継いでおられない女系天皇は、未だかつて存在したことはない。

そして、これからも断じて存在してはならない。

もし女系天皇を許すような人間がいれば、その者の目的は日本を(こわ)し、日本を自分たちの『もの』にすることにある。

それは神や天皇への冒涜(ぼうとく)であり、國家に対する叛逆(はんぎゃく)である。

必ず(むく)いを受けるであろう。



葦原能(あしはらの) 美豆保國乎(みづほのくにを)

 安麻久太利(あまくだり) 之良志賣之家流(しらしめしける)

 須賣呂伎能(すめろきの) 神乃美許等能(かみのみことの)

 御代可佐祢(みよかさね) 天乃日嗣等(あまのひつぎと)

 之良志久流(しらしくる) 伎美能御代々々(きみのみよみよ)

 之伎麻世流(しきませる) 四方國尓波(よものくにには)

 山河乎(やまかはを) 比呂美安都美等(ひろみあつみと)

 多弖麻都流(たてまつる) 御調寶波(みつきたからは)

 可蘇倍衣受(かぞへえず) 都久之毛可祢都(つくしもかねつ)

 之加礼騰母(しかれども) 吾大王乃(わがおほきみの)

 毛呂比登乎(もろひとを) 伊射奈比多麻比(いざなひたまひ)

 善事乎(よきことを) 波自米多麻比弖(はじめたまひて)

 久我祢可毛(くがねかも) 多之氣久安良牟登(たしけくあらむと)

 於母保之弖(おもほして) 之多奈夜麻須尓(したなやますに)

 鶏鳴(とりがなく) 東國乃(あづまのくにの)

 美知能久乃(みちのくの) 小田在山尓(をだなるやまに)

 金有等(くがねありと) 麻宇之多麻敝礼(まうしたまへれ)

 御心乎(みこころを) 安吉良米多麻比(あきらめたまひ)

 天地乃(あめつちの) 神安比宇豆奈比(かみあひうづなひ)

 皇御祖乃(すめろきの) 御霊多須氣弖(みたまたすけて)

 遠代尓(とほきよに) 可々里之許登乎(かかりしことを)

 朕御世尓(わがみよに) 安良波之弖安礼婆(あらはしてあれば)

 御食國波(をすくには) 左可延牟物能等(さかえむものと)

 可牟奈我良(かむながら) 於毛保之賣之弖(おもほしめして)

 毛能乃布能(もののふの) 八十伴雄乎(やそとものをを)

 麻都呂倍乃(まつろへの) 牟氣乃麻尓々々(むけのまにまに)

 老人毛(おいひとも) 女童兒毛(をみなわらはも)

 之我願(しがねがふ) 心太良比尓(こころだらひに)

 撫賜(なでたまひ) 治賜婆(をさめたまへば)

 許己乎之母(ここをしも) 安夜尓多敷刀美(あやにたふとみ)

 宇礼之家久(うれしけく) 伊余与於母比弖(いよよおもひて)

 大伴乃(おほともの) 遠都神祖乃(とほつかむおやの)

 其名乎婆(そのなをば) 大来目主等(おほくめぬしと)

 於比母知弖(おひもちて) 都加倍之官(つかへしつかさ)

 海行者(うみゆかば) 美都久屍(みづくかばね)

 山行者(やまゆかば) 草牟須屍(くさむすかばね)

 大皇乃(おほきみの) 敝尓許曽死米(へにこそしなめ)

 可敝里見波(かへりみは) 勢自等許等太弖(せじとことだて)

 大夫乃(ますらをの) 伎欲吉彼名乎(きよきそのなを)

 伊尓之敝欲(いにしへよ) 伊麻乃乎追通尓(いまのをつづに)

 奈我佐敝流(ながさへる) 於夜乃子等毛曽(おやのこどもぞ)

 大伴等(おほともと) 佐伯乃氏者(さへきのうぢは)

 人祖乃(ひとのおやの) 立流辞立(たつることだて)

 人子者(ひとのこは) 祖名不絶(おやのなたたず)

 大君尓(おほきみに) 麻都呂布物能等(まつろふものと)

 伊比都雅流(いひつげる) 許等能都可左曽(ことのつかさぞ)

 梓弓(あづさゆみ) 手尓等里母知弖(てにとりもちて)

 劔大刀(つるぎたち) 許之尓等里波伎(こしにとりはき)

 安佐麻毛利(あさまもり) 由布能麻毛利尓(ゆふのまもりに)

 大王乃(おほきみの) 三門乃麻毛利(みかどのまもり)

 和礼乎於吉弖(われをおきて) 比等波安良自等(ひとはあらじと)

 伊夜多氐(いやたて) 於毛比之麻左流(おもひしまさる)

 大皇乃(おほきみの) 御言能左吉乃(みことのさきの)[一云(あるはいはく) ()]

 聞者貴美(きけばたふとみ)[一云(あるはいはく) 貴久之安礼婆(たふとくしあれば)]』


 大伴家持


葦原(あしはら)瑞穂(みずほ)の國を天から()りて治められた皇祖(こうそ)の神。

その神の(みこと)幾代(いくよ)もの代を重ねて、次々と代を()()ぎなされた。

全ての御代(みよ)において、治められている四方の國々にある山や川は広く(ゆた)かである。

そのため、(たてまつ)貢物(みつぎもの)は数えきれず、言い()くせない。

けれども、我が大君(おおきみ)は多くの人々を(ほとけ)の道へ(みちび)かれ、素晴(すば)らしい事業をお始めになったところ、黄金(くがね)はあるのであろうかと憂慮(ゆうりょ)された。

このことが御心(みこころ)に残っていたところ、(とり)が鳴く(あずま)の國の陸奥(みちのく)小田(おだ)という山に黄金ありという奏上(そうじょう)があった。

大君の御心も晴れ、神の御心のまま思われた。

天地(あめつち)の神々も喜ばれ、皇祖の神の御靈(みたま)のご加護(かご)により、

 遠い御代からあったことが、この御代にも起こった。

 これで、わが國土はますます(さか)えていくであろう」

大君は官人(かんじん)たちを(したが)わせ、老人(おいひと)も女子供も、それぞれの願いが(かな)うよう(いつくし)み、この國を治められた。

このことをわたしは心から(とうと)く、ますます嬉しく思う。

大伴の遠い祖先(そせん)の神、その名も大久米主(おおくめぬし)という。

大伴の家は、代々その(ほま)れを背負(せお)ってお(つか)えしてきた一族である。

「海を行くなら、水に(しず)(しかばね)となる。

 山を行くなら、草に()もれる屍となる。

 大君のお(そば)で死ぬことは、本望(ほんもう)である。

 決してわが身を(かえり)みることはない」

そう(ちか)う我が一族は、この大夫(ますらお)なる(いさぎよ)い名を(いにしえ)より今に至るまで受け継いできた子孫(しそん)である。

大伴と佐伯(さえき)(うじ)は祖先が立てた誓いのままに、子孫はその名を絶やさず、大君にお仕えすると言い継いできた。

梓弓(あずさゆみ)を手に取り持ち、(つるぎ)大刀(たち)を腰に帯び、朝も夕も大君の御門を守るのは自分以外はおるまいと、いよいよその思いは(つの)るばかりである。

大君の御言葉のありがたさ、(うけたまわ)るとただ尊く。


『宇佐八幡宮御神託事件』以後、皇位(こうい)皇統(こうとう)に属する男系天皇が継承するという考えが改めて強くなった。


王権(おうけん)宗教(しゅうきょう)の関係

神道(しんとう)と國家の関係

神道と仏教の関係

皇位継承の正統性(せいとうせい)

天皇への忠義

天皇を中心とした國の秩序(ちつじょ)

國家への不安

宮廷や政情(せいじょう)の不安定

権力闘争(けんりょくとうそう)

淘汰(とうた)されようとする日本の世界観(せかいかん)美意識(びいしき)


大伴家持は、失われ、変わりゆく日本を()()たりにしていた。



宇良々々尓(うらうらに) 照流春日尓(てれるはるひに)

 比婆理安我里(ひばりあがり) 情悲毛(こころかなしも) 登里志於母倍婆(ひとりしおもへば)


うららかに照る春の日に雲雀(ひばり)が舞い飛ぶ姿を見ると、何故かもの悲しく感じる。

こうして(ひと)りで考えていると。


だからこそ、日本の【文化(ぶんか)】を守りたかった。

だからこそ、日本の【言葉】を守りたかった。

だからこそ、日本の【記憶】を守りたかった。

だからこそ、日本の【価値】を守りたかった。

だからこそ、日本の【伝統(でんとう)】を守りたかった。

だからこそ、日本の【(たましい)】を守りたかった。

だからこそ、日本の【心】を守りたかった。



大夫能(ますらをの) 許己呂於毛保由(こころおもほゆ)

 於保伎美能(おほきみの) 美許登乃佐吉乎(みことのさきを)[一云(いつにいふ) ()]

 聞者多布刀美(きけばたふとみ)[一云(いつにいふ) 貴久之安礼婆(たふとくしあれば)]』


 大伴家持


遠い昔より受け継ぐ雄々(おお)しい心が()きあがる。

大君の御言葉は何と尊いのであろうか。



大伴乃(おほともの) 等保追可牟於夜能(とほつかむおやの)

 於久都奇波(おくつきは) 之流久之米多弖(しるくしめたて) 比等能之流倍久(ひとのしるべく)


 大伴家持


大伴の遠い祖先の神の墓所には、(しめ)を立てて一目で分かるようにせよ。

人が見て直ぐに分かるように。



須賣呂伎能(すめろきの) 御代佐可延牟等(みよさかえむと)

 阿頭麻奈流(あづまなる) 美乃久夜麻尓(みちのくやまに) 金花佐久(くがねはなさく)


 大伴家持


天皇の御代(みよ)が栄えるであろうことを示すかのように、(あづま)の國の陸奥(みちのく)の山に黄金(くがね)の花が咲いた。



家持は当時の人々の【魂】と【心】を表した【歌】を通して、【國】【血】【名】【文化】【記憶】【伝統】を後の世の人々に残したかった。


家持は当時の人々の【魂】と【心】を表した【歌】を通して、【命】【智】【人】【言葉】【価値】【こと】を後の世の人々に伝えたかった。


家持は【過去】と【今】の【魂】を【未来】と(むす)び、【過去】と【今】の【心】を【未来】と(つな)げることによって、【未来】を守りたかった。


それが、家持の【役割】であると信じていた。


家持は〖万葉集〗を通して、【未来】を生きる人々に【日本】という國を(たく)した。


785年 8月 

大伴家持、病没(びょうぼつ)


785年 9月 

藤原種継暗殺事件ふじわらのたねつぐあんさつじけん』の首謀者(しゅぼうしゃ)とされ、官位(かんい)(かばね)剝奪(はくだつ)

息子である大伴永主(おおとものながぬし)も、連座(れんざ)により隠岐國(おきのくに)島根県(しまねけん))へ流罪(るざい)

〖万葉集〗は罪人(ざいにん)が書いたものとして、歴史の(やみ)に消えた。


805年  

恩赦(おんしゃ)により、従三位(じゅさんみ)復帰(ふっき)

〖万葉集〗も(よみがえ)り、長い年月を()て、今なお読み継がれている。



死後、大伴家持は不幸であったかもしれない。


しかし、大伴家持の(のこ)した〖万葉集〗に込めた【魂】と【心】は伝わった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



江戸時代(1603年~1868年)中期に、『国学(こくがく)』という日本独自の学問が発展(はってん)した。


『国学』とは、日本の伝統的な文化・思想・文学・精神を重んじる学問のことである。


一.『日本古来の【心】【精神】【価値観(かちかん)】の探求(たんきゅう)』 

  〖古事記(こじき)〗〖日本書紀(にほんしょき)〗〖万葉集〗などの古典を研究。


二.『日本人の自然な【心】の動きを重視』

  神・自然・人との繋がりから()き出る(かざ)らない

  【真心(まごころ)(魂からの心)】を大切にした。

 

三.『漢学(かんがく)対抗(たいこう)

  中国思想(外来(がいらい)に対する価値観)への批判(ひはん)。 

  【漢意(からごころ)】に対抗(たいこう)して、【大和心(やまとごころ)】を(とうと)んだ。


四.『古典の分析(ぶんせき)解釈(かいしゃく)文献学(ぶんけんがく))』

  文献を徹底的(てっていてき)に、精密(せいみつ)に読み、

  言葉の意味や用法(ようほう)正確(せいかく)に調べ、

  背景(はいけい)などを実証(じっしょう)


五.『天皇中心の思想』

  天皇の正統性を明確化(めいかくか)


六.『日本古来の伝統や文化の伝承(でんしょう)と継承』

  日本人の【魂】と【心】を後の世に伝えようとした。

  


国学者たちは『漢学』に傾倒(けいとう)する日本から【日本らしさ】や【日本人らしさ】を取り戻すために、原点回帰(げんてんかいき)を目指した。


≪代表的な国学者≫

契沖(けいちゅう)

荷田春満(かだのあずままろ)

賀茂真淵(かものまぶち)

本居宣長(もとおりのりなが)

平田篤胤(ひらたあつたね)


契沖・賀茂真淵・本居宣長を『国学の三哲(さんてつ)』、荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤を『国学の四大人(しうし)』と言う。


特に賀茂真淵は上代(じょうだい)飛鳥時代(あすかじだい)から奈良時代)にこそ日本古来の【魂】や【心】が残ると考え、〖万葉集〗を研究し、『国学』の基礎(きそ)(きず)き、後の『国学』に影響を与えた。

賀茂真淵も大伴家持と同様に、(こわ)れていく國家の行く末を(うれ)いていた。


賀茂真淵(1697年~1769年)は国学者であり歌人であり、古代日本の【言葉】や【精神】を大切にした人物であった。


賀茂真淵は、遠江國敷地群とおとうみのくにふちぐん浜松庄伊庭村はままつのしょういばむら静岡県浜松市しずおかけんはままつし)の賀茂神社の末社(まっしゃ)神職(しんしょく)の家であった岡部家に生まれた。

真淵は幼い頃から神との(えん)が深く、神道(しんとう)における祭祀(さいし)神社祭祀(じんじゃさいし)宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)祖先祭祀(そせんさいし)直会(なおらい)など)や祝詞(のりと)拝詞(はいし)祓詞(はらえことば)大祓詞(おおはらえことば)など)が身近(みじか)であったと思われる。

荷田春満に入門して『国学』を学び、五十歳の時に田安宗武(たやすむねたけ)(『八代将軍(しょうぐん)徳川吉宗(とくがわよしむね)の次男)の和学御用(わがくごよう)江戸幕府(えどばくふ)が設立した『国学』のための機関)となった。

そして、数多くの著作(ちょさく)を残した。



著書(ちょしょ)

文意考(ぶんこう)〗・・・・・古文(こぶん)についての研究書(けんきゅうしょ)

歌意考(かいこう)〗・・・・・和歌についての研究書

國意考(こくいこう)〗・・・・・日本古来の精神についての研究書

語意考(ごいこう)〗・・・・・古語(こご)についての研究書

書意考(しょいこう)〗・・・・・言葉や文字についての研究書

〖にひまなび〗・・・国学、歌論(かろん)についての書

冠辞考(かんじこう)〗・・・・・枕言葉(まくらことば)についての研究書

祝詞考(のりとこう)〗・・・・・祝詞についての研究書

延喜式祝解(えんぎしきのりとかい)〗・・・古代の祝詞についての解釈(かいしゃく)

万葉考(まんようこう)〗・・・・・万葉集についての研究書



賀茂真淵は、特に〖万葉集〗の中にこそ、()()()()()()()()()()】があると考えた。

〖万葉考〗を(あらわ)すことによって古代日本人の【魂】と【心】を再生(さいせい)し、後世(こうせい)に伝え残そうとした。



〖万葉考〗


一.『〖万葉集〗の歌を【益荒男振(ますらをぶ)り】と表現』

  〖万葉集〗の歌は男性的で力強く、

  雄大(ゆうだい)で素朴で率直で、生命力あふれる歌であると

  考えた。

  平安時代以降の〖古今和歌集〗などを

  【手弱女振(たをやめぶ)り】と批判。

  女性的で技巧的(ぎこうてき)な歌に対して否定的(ひていてき)


二.『復古思想(ふっこしそう)

  古代日本人の純粋(じゅんすい)な【魂】と【心】こそが

  理想(りそう)であり、〖万葉集〗の歌の中に

  その【魂】と【心】があると考えた。

  日本古来の【魂】と【心】を重視し、

  古代精神を再認識(さいにんしき)再評価(さいひょうか)した。


三.『古代語の研究・記録・注釈(ちゅうしゃく)

  古語の意味・発音(はつおん)語法(ごほう)実証研究(じっしょうけんきゅう)

  【大和言葉】や【万葉仮名】の読み方や意味などを

  分析(ぶんせき)し、古代人の【魂】と【心】を

  理解しようとした。


四.『中国文化からの脱却(だっきゃく)

  当時主流(しゅりゅう)であった漢文学的な価値観を

  『唐國振(からくにぶ)り』と表現。

  【漢心】を排除(はいじょ)し、日本固有の感性である

  【大和心】の回復(かいふく)復元(ふくげん)を目指した。



賀茂真淵は晩年(ばんねん)隠居(いんきょ)し、門弟(もんてい)育成(いくせい)(つと)めた。


門下生(もんかせい)を『懸居門(あがたいもん)』と呼んだ。


『懸居門』

(たちばな)加藤(かとう)千蔭(ちかげ)

塙保己一(はなわほきいち)

村田春海(むらたはるみ)

本居宣長(もとおりのりなが)


門下生の一人である本居宣長は、賀茂真淵から強い影響を受けた。


本居宣長(1730年~1801年)は国学者であり歌人であり医師であり、賀茂真淵の(もと)で『国学』を学び、『国学』普及(ふきゅう)に努め、『国学』を人々に広めることに尽力した。


本居宣長は、伊勢國松坂(いせのくにまつざか)三重県松坂市(みえけんまつざかし))の木綿(もめん)(あつか)豪商(ごうしょう)の家に生まれた。

宣長は、もともと〖源氏物語(げんじものがたり)〗や〖万葉集(まんようしゅう)〗などの古典文学に造詣(ぞうけい)が深い人物でもあった。

1763年のある夜、宣長は伊勢松坂で賀茂真淵に出会い、〖古事記(こじき)〗を学べと助言(じょげん)される。

これを、『松坂の一夜(ひとよ)』という。

それ以後、本居宣長は〖古事記〗に身を(ささ)げることを決意。

三十五年もの歳月(さいげつ)をかけて、全四十四巻の〖古事記伝〗を完成させる。

同時に、医者として生計(せいけい)を立てながら実際に人と接し、『日本とは何か』『日本人とは何か』を講究(こうきゅう)し、考究(こうきゅう)した。

当時の日本は『漢学』が大勢(たいせい)()めていたため、『国学』に対する風当たりが強かった。

しかし、宣長自身が医者として自立(じりつ)していたので、何ものにも頼ることなく、何ものにも(とら)われることなく、純粋に古代の人間観の学理(がくり)究明(きゅうめい)し、自分の信念(しんねん)(つらぬ)いて研究を続けることができた。

そして宣長は、多くの著書を出版(しゅっぱん)した。



≪著書≫


〖古事記伝〗・・・・・・・〖古事記〗の解釈(かいしゃく)注釈(ちゅうしゃく)

〖源氏物語(たま)小櫛(おぐし)〗・・・〖源氏物語〗の注釈書(ちゅうしゃくしょ)

〖うい山ぶみ〗・・・・・・学問の入門書(にゅうもんしょ)   

玉勝間(たまがつま)〗・・・・・・・・宣長の随筆集(ずいひつしゅう)



宣長は、著書だけでは一方的であり、特定の人にしか『国学』は伝わらないことを知っていた。

そのため宣長は、更に『国学』を広めるために、『国学』に対して色々な意見のある人達と実際に議論(ぎろん)を尽くし、議論を深め、様々な人々の意見を吸収しながら、自身の考えを伝えることにした。

『国学』に対して否定的・中立的(ちゅうりつてき)肯定的(こうていてき)無関心(むかんしん)な人々とも、対話や手紙を通して議論を()わした。

そして、それを『国学』の認知(にんち)の足がかりとして、『国学』の普及(ふきゅう)貢献(こうけん)しようとした。


特に宣長は、【もののあはれ】という概念(がいねん)を多くの人に伝えようとした。


【もののあはれ】とは、()()()()()()()()】のことである。


日本人は【もの(物事(ものごと))】に()れると、【あはれ(心が()れる)】と感じる。


その【もの】とは、『命の(はかな)さ』『無常(むじょう)』『自然の美しさ』などであり、【あはれ】とは『ものがなしい』『すがすがしい』『うるわしい』と感じる【心】のことである。



≪本居宣長の歌≫


敷島(しきしま)の 大和心(やまとごころ)人問(ひとと)はば 朝日(あさひ)(にほ)ふ 山桜花(やまざくらばな)


大和心とは、何であろうか。

そう、人が問うのであれば答えよう。

大和心とは、朝日によって輝く山桜のことであると。


宣長は山桜に、【日本人の心】を重ねた。


山桜は、『儚く散る』から『美しい』のではない。


儚くとも一生懸命に咲こうとする、()()()()()()()()()()()』のだ。


その【心】こそが日本人の本来の【心】、【真心】である。


死に(さい)して宣長は、「山桜(やまざくら)をよく吟味(ぎんみ)して墓地に植えてほしい」という遺言書(ゆいごんしょ)を残した。


本居宣長は、死しても桜と共にありたかった。


桜と共に生き、桜を、日本人の【心】を伝えたかった。



〚本居宣長の言葉〛


『ただ年月長くうまず(おこた)らずして、

 はげみつとむるぞ肝心(かんじん)


長い年月、ただ一生懸命()きずに(はげ)み続けることが大切である。



『かぎりを行うのが人の道にして、

 そのことの()ると成らざるとは

 人の力におよばざるところぞ』


自分のでき()る限りのことをすることが【人の道】であり、それが成功するか失敗するかは、人の【力】が及ばないものである。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



いつの時代においても、世の中に対して声を上げる人はいた。



声を上げたからこそ、守られたものがある。


声を上げたからこそ、守られてきたもがある。


声を上げたからこそ、今も守られているものがある。



意図的(いとてき)(ゆが)められた【言葉】がある。


故意(こい)()げられた【言葉】がある。


使われなくなった【言葉】がある。


(うば)われた【言葉】がある。


失われた【言葉】がある。


(こわ)された【言葉】がある。


隠された【言葉】がある。



消されようとしている【言葉】がある。


変えられようとしている【言葉】がある。


切り捨てられようとしている【言葉】がある。


(おか)されようとしている【言葉】がある。


(おさ)えられようとしている【言葉】がある。


(さまた)げられようとしている【言葉】がある。



意図的に歪められたのであれば、()()ぐにすれば良い。


故意に曲げられたのであれば、正せば良い。


使われなくなったのであれば、使えば良い。


奪われたのであれば、取り返せば良い。

 

失われたのであれば、取り戻せば良い。


壊されたのであれば、(つく)れば良い。


隠されたのであれば、探し出せば良い。



消されようとしているのであれば、守り抜けば良い。


変えられようとしているのであれば、(ふせ)げば良い。


切り捨てられようとしているのであれば、足掻(あが)けば良い。


侵されようとしているのであれば、(さまた)げれば良い。


抑えられようとしているのであれば、押し返せば良い。


妨げられようとしているのであれば、突き進めば良い。



【世界】が変わろうとしている時にこそ、【言葉】を発しなければならない。


【言葉】を守り、【言葉】を救うために、【言葉】を発しなければならない。



時代に合わないものがあれば、変えれば良い。


時代に合うものを、創れば良い。



今まで、そうやって、人々により【言葉】は生みだされ、育てられ、生きてきた。



声を上げるべきである。



(だま)っていても伝わるだろう』『自分さえ我慢(がまん)すれば良い』というわけではない。



言われなければ、分からない時がある。


言わなければ、流される時がある。


言わなければ、気付かれない時がある。


言われなければ、()(ちが)う時もある。



勿論(もちろん)、人を傷つける【言葉】は使ってはならない。


傷つけるつもりはなくとも、【言葉】で人を傷つけてしまう時もある。



『言ってはならないこと』は、『言ってはならない』。


それでも、『言うべきこと』は『言うべき』である。


『言わなければならないこと』は、『言わなければならない』。



自分の【心】を【言葉】にしなければ、伝わらない。



1945年8月15日

大東亞戰爭終結だいとうあせんそうしゅうけつ詔書(しょうしょ)』において、昭和天皇(しょうわてんのう)が國民に向けて述べられたお言葉。


()(がた)きを耐え、(しの)び難きを忍び、

 もって万世(ばんせい)のために太平(たいへい)を開かんと(ほっ)す』


今、(つら)く、苦しいかもしれない。

しかし、耐え難いことも、忍び難いことも、乗り越えなければならない。

それは、未来永劫(えいごう)にわたる平和な世を切り開くためである。


『我慢』するのではなく、【耐え忍ぶ】。


自分を犠牲(ぎせい)にして『我慢』することは、『美徳(びとく)』ではない。


自分を犠牲にすることによって、自分を傷つけ、誰かを傷つけ、誰かを犠牲にしている。


『我慢』をして【心】を抑えるのではなく、【耐え忍ぶ】ことによって【心】を(きた)え、【心】を強くするべきである。


『我慢』をして声を発しないのではなく、【耐え忍び】ながら勇気をもって声を上げるべきである。



『人を傷つけないために、自分は我慢すべきだ』という考えを、長い年月をかけて、少しずつ、日本人は植え付けられてきた。


しかし、本来、日本人は自分の【心】に素直で、自由に【本当に自分が思ったこと】【本当に自分が感じたこと】を、()()()()()()()()()()()である。


自分の本当の【心】を語ることは、()()()()()()()姿()】である。



強く美しい【魂】から生まれた、【()()()()()()】を発するべきである。


それは、【今】と【未来】のためでもある。



奈加等美乃(なかとみの) 敷刀能里等其等(ふとのりとごと)

 伊比波良倍(いひはらへ) 安賀布伊能知毛(あかふいのちも) 多我多米尓奈礼(たがためになれ)


 大伴家持(おほとものやかもち)


中臣の太祝詞言(ふとのりとごと)を唱え、(けが)れを(はら)い、祈るわたしの命は、誰のためのものであろうか。

他ならぬ、あなたのためである。



【言葉】とは、【魂】を『結び』、【心】を『繋げる』ためのものである。


『結び』とは、【産靈(むすひ)】である。


【むす】は、『生まれる』『産まれる』。


【ひ】は、『靈』。


古事記(こじき)〗に(あらわ)れる高御産巣日神(たかみむすびのかみ)神産巣日神(かみむすびのかみ)は、天地(あめつち)創造(そうぞう)した神である。


つまり二柱(ふたはしら)は、【産靈】の【力】を持つ神々である。


天地は【産靈】によって生まれ、育ち、栄える。


【言葉】とは、【魂】を【産靈(むすび)】、【心】を【言靈(つなげる)】ためのものである。


(ゆえ)に、決して消してはならない。


消されてはならない。


消されることはない。


美しい【魂】から生まれた【心】のままの【言葉】を発すれば、【世界】は【彌栄(いやさか)】となる。



【未来】は、榮える。



************************************************************


≪参考文献≫

伊藤博 新版『万葉集 現代語訳付き(全四巻合本版)』(2019年)角川ソフィア文庫


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