万葉集について
〖万葉集〗
奈良時代(710年~794年)に大伴家持(718年~785年)によって編纂されたと言われており、全20巻(約4,500首)からなる日本最古の和歌集である。
〖万葉集〗という題名については、諸説ある。
〖万の葉の集〗とも、〖万代の集〗とも、言われている。
〖万の葉の集〗であれば数多の歌集、〖万代の集〗であれば永遠に続く歌集という意味になるが、何れも定かではない。
〖万葉集〗は様々な時代の和歌を集めた詩歌集であり、國家形成期の文学、日本文学の原点とも言われている。
〔時代区分〕
≪第一期≫
・巻一~巻二
・『初期万葉』
・629年頃~672年頃の歌
・代表歌人は、舒明天皇、天智天皇、額田王など
≪第二期≫
・巻三~巻五
・『白鳳万葉』
・672年頃~710年頃の歌
・代表歌人は、天武天皇、持統天皇、柿本人麻呂など
≪第三期≫
・巻六~巻十五
・『平城万葉』
・710年頃~733年頃の歌
・代表歌人は、山上憶良、山部赤人、大伴旅人など
≪第四期≫
・巻十六~巻二十(平安時代に編纂されたとも言われている)
・『天平万葉』
・734年頃~759年頃の歌
・代表歌人は、大伴家持、笠郎女、橘諸兄など
〔内容〕
・〘挽歌(故人を悼む歌)〙
〘相聞歌(恋愛や情愛の歌)〙
〘雑歌(國、自然、人生についての歌)〙
・人生における喜び、怒り、哀しみ、楽しみを
歌っている
・素朴で力強く、嘘偽りのない率直で素直な
氣持ちを表した歌が多い
・当時の人々の本当の声や実際の暮らしが分かる
(伝統・風土・風習・風俗・食文化・価値観など)
・神、國、天皇、宮廷儀礼、政争、戦、平和、死生、
自然、四季、喜怒哀楽、無常、愛情、再生など
多種多様な歌が収められている
〔特徴〕
・約半分の歌が作者不明
・成り立ちや目的が不明
・幅広い身分の人々の歌
(天皇、貴族、防人、農民など)
・時代によって死生観(アニミズムや仏教の影響)が
異なる
・【大和言葉】や【万葉仮名】が使われている
・現代とは発音が異なる、存在しない【言葉】がある
(平安時代以降に発音の種類が減ったと言われている)
・全て漢字で表記
・形式が様々
短歌(5・7・5・7・7)
長歌(5・7を繰り返し、最後は7)
旋頭歌(5・7・7・5・7・7)
大伴家持が〖万葉集〗を編纂した理由は幾つかあるが、一つは家持自身が國家に対して危機感を抱いていたということが挙げられる。
大伴氏は皇統を支える武門の家であり、家持自身も皇統への忠誠心あつい官吏であった。
家持が生きた時代は、政治的混乱期であった。
764年
『藤原仲麻呂の乱』
『恵美押勝の乱』とも言われる。
藤原仲麻呂は、叔母である光明子(701年~760年。『第45代天皇』聖武天皇の皇后)と自身の姪である『第46代天皇』孝謙天皇(718年~770年。聖武天皇の皇女)の権威を後ろ盾に権力を握った。
757年、橘奈良麻呂(721年~757年。橘諸兄の息子)が絶対的権力を持つ藤原仲麻呂の排除を企てたが、密告され失敗(『橘奈良麻呂の変』)。
橘奈良麻呂は捕えられて、獄中死。
関与した人々も逮捕・拷問され、処刑や流罪となった。
橘氏は没落し、政敵が消えた藤原仲麻呂の権力は絶大なものとなり、自分の親族を次々と政府の要職に就けていった。
758年、『第47代天皇』淳仁天皇(733年~765年。『第40代天皇』天武天皇の孫)が即位(孝謙天皇は譲位)。
藤原仲麻呂の傀儡であった淳仁天皇により、藤原仲麻呂は右大臣に任じられた。
その際、淳仁天皇より『恵美押勝』の姓名を賜った。
760年に藤原仲麻呂は太政大臣となり権力をほしいままにしていたが、光明子が死去し、孝謙上皇の寵愛が僧侶であった弓削道鏡(生年不詳~772年)へ移ったこと(道鏡が孝謙上皇の病を治療したことにより信頼を得た)により、藤原仲麻呂の勢力が次第に弱まっていった。
藤原仲麻呂は、権威回復を図るべく乱を企て孝謙上皇と道鏡軍に戦いを仕掛けたが、藤原仲麻呂は戦中に捕えられて斬首。
戦いは一週間で終結した。
淳仁天皇は廃位となり、淡路島(兵庫県)へ配流。
藤原仲麻呂の一族郎党は処刑。
その後、孝謙上皇は重祚(退位した天皇が再び天皇になること)し、『第48代天皇』称徳天皇となる。
769年
『宇佐八幡宮御神託事件』
『道鏡事件』とも言われる。
『藤原仲麻呂の乱』の後、称徳天皇と道鏡は仏教中心の政治を行うようになる。
称徳天皇は、自分の寵愛する道鏡を『太政大臣禅師』に任命。
更には『法王』という地位まで与え、道鏡は称徳天皇を凌ぐほどの力を持つようになった。
769年、太宰主神であった中臣習宣阿曾麻呂が、宇佐八幡宮からご神託が下ったと朝廷に奏上。
「道鏡を天皇にすれば、天下泰平となる」
このご神託は、権力を掌握していた道鏡に取り入るための中臣習宣阿曾麻呂の嘘であった。
しかし、この神託が「真実である」とされれば、皇族ではない道鏡が天皇として即位することになる。
これは、皇統を揺るがす大事件であった。
真実を確かめるべく、朝廷は官僚であった和氣清麻呂を宇佐八幡宮へ派遣(当初、孝謙天皇に仕えていた和氣広虫が派遣される予定であったが、病弱であったために弟の清麻呂が代わりに派遣された)。
宇佐八幡宮から戻って来た和氣清麻呂は、称徳天皇にご神託の真偽について報告した。
「道鏡を天皇にしてはならない。
天皇は、皇族が継ぐべきである。
皇族以外の者を、一掃せよ」
称徳天皇と道鏡は激怒し、和氣清麻呂と和氣広虫を罰した。
和氣清麻呂は名を別部穢麻呂と変えられ、大隅國(鹿児島県)へ配流。
和氣広虫は名を別部狭虫と変えられ、備後國(広島県)へ配流。
しかし、それはほんの僅かな期間であった。
770年、称徳天皇は崩御し、道鏡は失脚。
道鏡は下野國(栃木県)へ左遷され、二度と朝廷に戻ってくることはなかった。
その後、和氣清麻呂と和氣広虫は復権。
和氣清麻呂は『第49代天皇』光仁天皇(709年~782年。天智天皇の皇子)と『第50代天皇』桓武天皇(737年~806年。光仁天皇の皇子)に仕え、794年の平安遷都に尽力した。
和氣広虫も同じく光仁天皇と桓武天皇に仕えながら、孤児の養護など慈善活動に勤しんだ。
命懸けで皇室を守った和氣清麻呂と和氣広虫は、今も忠臣として語り継がれている。
天皇は、是が非でも、皇統に属する男系男子が引き継がなければならない。
それが守られなければ、日本は日本でなくなる。
そうでなければ、中国と同じ道を辿ることになる。
中国の歴代王朝が滅亡した主な理由は、三つある。
『外戚(母方の親族)の権力掌握』
『宦官(去勢された男性)の専横』
『異民族の侵略』
外戚と宦官によって國の中枢が蝕まれ、政治は腐敗し、國家機能が破綻。
そして異民族に蹂躙され、多くの中国王朝が滅んでいった。
國の枢軸が破壊されれば、國は自戒する。
中国のようにならないために、道鏡のように天皇の位を狙う人間を阻止するために、日本の皇室の継承は男系のみであった。
女性天皇は認められてはいたが、称徳天皇以外は中継ぎの天皇、つまり次の天皇に引き継ぐまでの一時的な天皇であった。
また、たとえ女性天皇であっても女系嫡子に譲位することは認められてはいなかった。
それは、女系天皇の誕生を阻むためでもあった。
日本に、女性天皇は存在した。
しかし、全て、男系天皇の血を受け継がれた方々である。
男系天皇の血を一切受け継いでおられない女系天皇は、未だかつて存在したことはない。
そして、これからも断じて存在してはならない。
もし女系天皇を許すような人間がいれば、その者の目的は日本を壊し、日本を自分たちの『もの』にすることにある。
それは神や天皇への冒涜であり、國家に対する叛逆である。
必ず報いを受けるであろう。
『葦原能 美豆保國乎
安麻久太利 之良志賣之家流
須賣呂伎能 神乃美許等能
御代可佐祢 天乃日嗣等
之良志久流 伎美能御代々々
之伎麻世流 四方國尓波
山河乎 比呂美安都美等
多弖麻都流 御調寶波
可蘇倍衣受 都久之毛可祢都
之加礼騰母 吾大王乃
毛呂比登乎 伊射奈比多麻比
善事乎 波自米多麻比弖
久我祢可毛 多之氣久安良牟登
於母保之弖 之多奈夜麻須尓
鶏鳴 東國乃
美知能久乃 小田在山尓
金有等 麻宇之多麻敝礼
御心乎 安吉良米多麻比
天地乃 神安比宇豆奈比
皇御祖乃 御霊多須氣弖
遠代尓 可々里之許登乎
朕御世尓 安良波之弖安礼婆
御食國波 左可延牟物能等
可牟奈我良 於毛保之賣之弖
毛能乃布能 八十伴雄乎
麻都呂倍乃 牟氣乃麻尓々々
老人毛 女童兒毛
之我願 心太良比尓
撫賜 治賜婆
許己乎之母 安夜尓多敷刀美
宇礼之家久 伊余与於母比弖
大伴乃 遠都神祖乃
其名乎婆 大来目主等
於比母知弖 都加倍之官
海行者 美都久屍
山行者 草牟須屍
大皇乃 敝尓許曽死米
可敝里見波 勢自等許等太弖
大夫乃 伎欲吉彼名乎
伊尓之敝欲 伊麻乃乎追通尓
奈我佐敝流 於夜乃子等毛曽
大伴等 佐伯乃氏者
人祖乃 立流辞立
人子者 祖名不絶
大君尓 麻都呂布物能等
伊比都雅流 許等能都可左曽
梓弓 手尓等里母知弖
劔大刀 許之尓等里波伎
安佐麻毛利 由布能麻毛利尓
大王乃 三門乃麻毛利
和礼乎於吉弖 比等波安良自等
伊夜多氐 於毛比之麻左流
大皇乃 御言能左吉乃[一云 乎]
聞者貴美[一云 貴久之安礼婆]』
大伴家持
葦原の瑞穂の國を天から降りて治められた皇祖の神。
その神の命が幾代もの代を重ねて、次々と代を受け継ぎなされた。
全ての御代において、治められている四方の國々にある山や川は広く豊かである。
そのため、奉る貢物は数えきれず、言い尽くせない。
けれども、我が大君は多くの人々を仏の道へ導かれ、素晴らしい事業をお始めになったところ、黄金はあるのであろうかと憂慮された。
このことが御心に残っていたところ、鶏が鳴く東の國の陸奥の小田という山に黄金ありという奏上があった。
大君の御心も晴れ、神の御心のまま思われた。
「天地の神々も喜ばれ、皇祖の神の御靈のご加護により、
遠い御代からあったことが、この御代にも起こった。
これで、わが國土はますます榮えていくであろう」
大君は官人たちを従わせ、老人も女子供も、それぞれの願いが叶うよう慈み、この國を治められた。
このことをわたしは心から尊く、ますます嬉しく思う。
大伴の遠い祖先の神、その名も大久米主という。
大伴の家は、代々その誉れを背負ってお仕えしてきた一族である。
「海を行くなら、水に沈む屍となる。
山を行くなら、草に埋もれる屍となる。
大君のお側で死ぬことは、本望である。
決してわが身を省みることはない」
そう誓う我が一族は、この大夫なる潔い名を古より今に至るまで受け継いできた子孫である。
大伴と佐伯の氏は祖先が立てた誓いのままに、子孫はその名を絶やさず、大君にお仕えすると言い継いできた。
梓弓を手に取り持ち、剣の大刀を腰に帯び、朝も夕も大君の御門を守るのは自分以外はおるまいと、いよいよその思いは募るばかりである。
大君の御言葉のありがたさ、承るとただ尊く。
『宇佐八幡宮御神託事件』以後、皇位は皇統に属する男系天皇が継承するという考えが改めて強くなった。
王権と宗教の関係
神道と國家の関係
神道と仏教の関係
皇位継承の正統性
天皇への忠義
天皇を中心とした國の秩序
國家への不安
宮廷や政情の不安定
権力闘争
淘汰されようとする日本の世界観や美意識
大伴家持は、失われ、変わりゆく日本を目の当たりにしていた。
『宇良々々尓 照流春日尓
比婆理安我里 情悲毛 登里志於母倍婆』
うららかに照る春の日に雲雀が舞い飛ぶ姿を見ると、何故かもの悲しく感じる。
こうして独りで考えていると。
だからこそ、日本の【文化】を守りたかった。
だからこそ、日本の【言葉】を守りたかった。
だからこそ、日本の【記憶】を守りたかった。
だからこそ、日本の【価値】を守りたかった。
だからこそ、日本の【伝統】を守りたかった。
だからこそ、日本の【魂】を守りたかった。
だからこそ、日本の【心】を守りたかった。
『大夫能 許己呂於毛保由
於保伎美能 美許登乃佐吉乎[一云 能]
聞者多布刀美[一云 貴久之安礼婆]』
大伴家持
遠い昔より受け継ぐ雄々しい心が湧きあがる。
大君の御言葉は何と尊いのであろうか。
『大伴乃 等保追可牟於夜能
於久都奇波 之流久之米多弖 比等能之流倍久』
大伴家持
大伴の遠い祖先の神の墓所には、標を立てて一目で分かるようにせよ。
人が見て直ぐに分かるように。
『須賣呂伎能 御代佐可延牟等
阿頭麻奈流 美乃久夜麻尓 金花佐久』
大伴家持
天皇の御代が栄えるであろうことを示すかのように、東の國の陸奥の山に黄金の花が咲いた。
家持は当時の人々の【魂】と【心】を表した【歌】を通して、【國】【血】【名】【文化】【記憶】【伝統】を後の世の人々に残したかった。
家持は当時の人々の【魂】と【心】を表した【歌】を通して、【命】【智】【人】【言葉】【価値】【こと】を後の世の人々に伝えたかった。
家持は【過去】と【今】の【魂】を【未来】と結び、【過去】と【今】の【心】を【未来】と繋げることによって、【未来】を守りたかった。
それが、家持の【役割】であると信じていた。
家持は〖万葉集〗を通して、【未来】を生きる人々に【日本】という國を託した。
785年 8月
大伴家持、病没
785年 9月
『藤原種継暗殺事件』の首謀者とされ、官位と姓を剝奪。
息子である大伴永主も、連座により隠岐國(島根県)へ流罪。
〖万葉集〗は罪人が書いたものとして、歴史の闇に消えた。
805年
恩赦により、従三位に復帰。
〖万葉集〗も蘇り、長い年月を経て、今なお読み継がれている。
死後、大伴家持は不幸であったかもしれない。
しかし、大伴家持の遺した〖万葉集〗に込めた【魂】と【心】は伝わった。
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江戸時代(1603年~1868年)中期に、『国学』という日本独自の学問が発展した。
『国学』とは、日本の伝統的な文化・思想・文学・精神を重んじる学問のことである。
一.『日本古来の【心】【精神】【価値観】の探求』
〖古事記〗〖日本書紀〗〖万葉集〗などの古典を研究。
二.『日本人の自然な【心】の動きを重視』
神・自然・人との繋がりから湧き出る飾らない
【真心(魂からの心)】を大切にした。
三.『漢学に対抗』
中国思想(外来に対する価値観)への批判。
【漢意】に対抗して、【大和心】を尊んだ。
四.『古典の分析・解釈(文献学)』
文献を徹底的に、精密に読み、
言葉の意味や用法を正確に調べ、
背景などを実証。
五.『天皇中心の思想』
天皇の正統性を明確化。
六.『日本古来の伝統や文化の伝承と継承』
日本人の【魂】と【心】を後の世に伝えようとした。
国学者たちは『漢学』に傾倒する日本から【日本らしさ】や【日本人らしさ】を取り戻すために、原点回帰を目指した。
≪代表的な国学者≫
・契沖
・荷田春満
・賀茂真淵
・本居宣長
・平田篤胤
契沖・賀茂真淵・本居宣長を『国学の三哲』、荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤を『国学の四大人』と言う。
特に賀茂真淵は上代(飛鳥時代から奈良時代)にこそ日本古来の【魂】や【心】が残ると考え、〖万葉集〗を研究し、『国学』の基礎を築き、後の『国学』に影響を与えた。
賀茂真淵も大伴家持と同様に、壊れていく國家の行く末を憂いていた。
賀茂真淵(1697年~1769年)は国学者であり歌人であり、古代日本の【言葉】や【精神】を大切にした人物であった。
賀茂真淵は、遠江國敷地群浜松庄伊庭村(静岡県浜松市)の賀茂神社の末社の神職の家であった岡部家に生まれた。
真淵は幼い頃から神との縁が深く、神道における祭祀(神社祭祀・宮中祭祀・祖先祭祀・直会など)や祝詞(拝詞・祓詞・大祓詞など)が身近であったと思われる。
荷田春満に入門して『国学』を学び、五十歳の時に田安宗武(『八代将軍』徳川吉宗の次男)の和学御用(江戸幕府が設立した『国学』のための機関)となった。
そして、数多くの著作を残した。
≪著書≫
〖文意考〗・・・・・古文についての研究書
〖歌意考〗・・・・・和歌についての研究書
〖國意考〗・・・・・日本古来の精神についての研究書
〖語意考〗・・・・・古語についての研究書
〖書意考〗・・・・・言葉や文字についての研究書
〖にひまなび〗・・・国学、歌論についての書
〖冠辞考〗・・・・・枕言葉についての研究書
〖祝詞考〗・・・・・祝詞についての研究書
〖延喜式祝解〗・・・古代の祝詞についての解釈書
〖万葉考〗・・・・・万葉集についての研究書
賀茂真淵は、特に〖万葉集〗の中にこそ、本当の日本人の【魂】と【心】があると考えた。
〖万葉考〗を著すことによって古代日本人の【魂】と【心】を再生し、後世に伝え残そうとした。
〖万葉考〗
一.『〖万葉集〗の歌を【益荒男振り】と表現』
〖万葉集〗の歌は男性的で力強く、
雄大で素朴で率直で、生命力あふれる歌であると
考えた。
平安時代以降の〖古今和歌集〗などを
【手弱女振り】と批判。
女性的で技巧的な歌に対して否定的。
二.『復古思想』
古代日本人の純粋な【魂】と【心】こそが
理想であり、〖万葉集〗の歌の中に
その【魂】と【心】があると考えた。
日本古来の【魂】と【心】を重視し、
古代精神を再認識・再評価した。
三.『古代語の研究・記録・注釈』
古語の意味・発音・語法を実証研究。
【大和言葉】や【万葉仮名】の読み方や意味などを
分析し、古代人の【魂】と【心】を
理解しようとした。
四.『中国文化からの脱却』
当時主流であった漢文学的な価値観を
『唐國振り』と表現。
【漢心】を排除し、日本固有の感性である
【大和心】の回復・復元を目指した。
賀茂真淵は晩年隠居し、門弟の育成に努めた。
門下生を『懸居門』と呼んだ。
『懸居門』
・橘(加藤)千蔭
・塙保己一
・村田春海
・本居宣長
門下生の一人である本居宣長は、賀茂真淵から強い影響を受けた。
本居宣長(1730年~1801年)は国学者であり歌人であり医師であり、賀茂真淵の下で『国学』を学び、『国学』普及に努め、『国学』を人々に広めることに尽力した。
本居宣長は、伊勢國松坂(三重県松坂市)の木綿を扱う豪商の家に生まれた。
宣長は、もともと〖源氏物語〗や〖万葉集〗などの古典文学に造詣が深い人物でもあった。
1763年のある夜、宣長は伊勢松坂で賀茂真淵に出会い、〖古事記〗を学べと助言される。
これを、『松坂の一夜』という。
それ以後、本居宣長は〖古事記〗に身を捧げることを決意。
三十五年もの歳月をかけて、全四十四巻の〖古事記伝〗を完成させる。
同時に、医者として生計を立てながら実際に人と接し、『日本とは何か』『日本人とは何か』を講究し、考究した。
当時の日本は『漢学』が大勢を占めていたため、『国学』に対する風当たりが強かった。
しかし、宣長自身が医者として自立していたので、何ものにも頼ることなく、何ものにも囚われることなく、純粋に古代の人間観の学理を究明し、自分の信念を貫いて研究を続けることができた。
そして宣長は、多くの著書を出版した。
≪著書≫
〖古事記伝〗・・・・・・・〖古事記〗の解釈や注釈
〖源氏物語玉の小櫛〗・・・〖源氏物語〗の注釈書
〖うい山ぶみ〗・・・・・・学問の入門書
〖玉勝間〗・・・・・・・・宣長の随筆集
宣長は、著書だけでは一方的であり、特定の人にしか『国学』は伝わらないことを知っていた。
そのため宣長は、更に『国学』を広めるために、『国学』に対して色々な意見のある人達と実際に議論を尽くし、議論を深め、様々な人々の意見を吸収しながら、自身の考えを伝えることにした。
『国学』に対して否定的・中立的・肯定的・無関心な人々とも、対話や手紙を通して議論を交わした。
そして、それを『国学』の認知の足がかりとして、『国学』の普及に貢献しようとした。
特に宣長は、【もののあはれ】という概念を多くの人に伝えようとした。
【もののあはれ】とは、日本人の本来の【心】のことである。
日本人は【もの(物事)】に触れると、【あはれ(心が揺れる)】と感じる。
その【もの】とは、『命の儚さ』『無常』『自然の美しさ』などであり、【あはれ】とは『ものがなしい』『すがすがしい』『うるわしい』と感じる【心】のことである。
≪本居宣長の歌≫
『敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花』
大和心とは、何であろうか。
そう、人が問うのであれば答えよう。
大和心とは、朝日によって輝く山桜のことであると。
宣長は山桜に、【日本人の心】を重ねた。
山桜は、『儚く散る』から『美しい』のではない。
儚くとも一生懸命に咲こうとする、その『瞬間』こそが『愛おしい』のだ。
その【心】こそが日本人の本来の【心】、【真心】である。
死に際して宣長は、「山桜をよく吟味して墓地に植えてほしい」という遺言書を残した。
本居宣長は、死しても桜と共にありたかった。
桜と共に生き、桜を、日本人の【心】を伝えたかった。
〚本居宣長の言葉〛
『ただ年月長くうまず怠らずして、
はげみつとむるぞ肝心』
長い年月、ただ一生懸命飽きずに励み続けることが大切である。
『かぎりを行うのが人の道にして、
そのことの成ると成らざるとは
人の力におよばざるところぞ』
自分のでき得る限りのことをすることが【人の道】であり、それが成功するか失敗するかは、人の【力】が及ばないものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつの時代においても、世の中に対して声を上げる人はいた。
声を上げたからこそ、守られたものがある。
声を上げたからこそ、守られてきたもがある。
声を上げたからこそ、今も守られているものがある。
意図的に歪められた【言葉】がある。
故意に曲げられた【言葉】がある。
使われなくなった【言葉】がある。
奪われた【言葉】がある。
失われた【言葉】がある。
壊された【言葉】がある。
隠された【言葉】がある。
消されようとしている【言葉】がある。
変えられようとしている【言葉】がある。
切り捨てられようとしている【言葉】がある。
侵されようとしている【言葉】がある。
抑えられようとしている【言葉】がある。
妨げられようとしている【言葉】がある。
意図的に歪められたのであれば、真っ直ぐにすれば良い。
故意に曲げられたのであれば、正せば良い。
使われなくなったのであれば、使えば良い。
奪われたのであれば、取り返せば良い。
失われたのであれば、取り戻せば良い。
壊されたのであれば、創れば良い。
隠されたのであれば、探し出せば良い。
消されようとしているのであれば、守り抜けば良い。
変えられようとしているのであれば、防げば良い。
切り捨てられようとしているのであれば、足掻けば良い。
侵されようとしているのであれば、妨げれば良い。
抑えられようとしているのであれば、押し返せば良い。
妨げられようとしているのであれば、突き進めば良い。
【世界】が変わろうとしている時にこそ、【言葉】を発しなければならない。
【言葉】を守り、【言葉】を救うために、【言葉】を発しなければならない。
時代に合わないものがあれば、変えれば良い。
時代に合うものを、創れば良い。
今まで、そうやって、人々により【言葉】は生みだされ、育てられ、生きてきた。
声を上げるべきである。
『黙っていても伝わるだろう』『自分さえ我慢すれば良い』というわけではない。
言われなければ、分からない時がある。
言わなければ、流される時がある。
言わなければ、気付かれない時がある。
言われなければ、行き違う時もある。
勿論、人を傷つける【言葉】は使ってはならない。
傷つけるつもりはなくとも、【言葉】で人を傷つけてしまう時もある。
『言ってはならないこと』は、『言ってはならない』。
それでも、『言うべきこと』は『言うべき』である。
『言わなければならないこと』は、『言わなければならない』。
自分の【心】を【言葉】にしなければ、伝わらない。
1945年8月15日
『大東亞戰爭終結ノ詔書』において、昭和天皇が國民に向けて述べられたお言葉。
『耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、
もって万世のために太平を開かんと欲す』
今、辛く、苦しいかもしれない。
しかし、耐え難いことも、忍び難いことも、乗り越えなければならない。
それは、未来永劫にわたる平和な世を切り開くためである。
『我慢』するのではなく、【耐え忍ぶ】。
自分を犠牲にして『我慢』することは、『美徳』ではない。
自分を犠牲にすることによって、自分を傷つけ、誰かを傷つけ、誰かを犠牲にしている。
『我慢』をして【心】を抑えるのではなく、【耐え忍ぶ】ことによって【心】を鍛え、【心】を強くするべきである。
『我慢』をして声を発しないのではなく、【耐え忍び】ながら勇気をもって声を上げるべきである。
『人を傷つけないために、自分は我慢すべきだ』という考えを、長い年月をかけて、少しずつ、日本人は植え付けられてきた。
しかし、本来、日本人は自分の【心】に素直で、自由に【本当に自分が思ったこと】【本当に自分が感じたこと】を、そのまま【言葉】にする民族である。
自分の本当の【心】を語ることは、本来の【日本人の姿】である。
強く美しい【魂】から生まれた、【心】からの【言葉】を発するべきである。
それは、【今】と【未来】のためでもある。
『奈加等美乃 敷刀能里等其等
伊比波良倍 安賀布伊能知毛 多我多米尓奈礼』
大伴家持
中臣の太祝詞言を唱え、穢れを祓い、祈るわたしの命は、誰のためのものであろうか。
他ならぬ、あなたのためである。
【言葉】とは、【魂】を『結び』、【心】を『繋げる』ためのものである。
『結び』とは、【産靈】である。
【むす】は、『生まれる』『産まれる』。
【ひ】は、『靈』。
〖古事記〗に現れる高御産巣日神と神産巣日神は、天地を創造した神である。
つまり二柱は、【産靈】の【力】を持つ神々である。
天地は【産靈】によって生まれ、育ち、栄える。
【言葉】とは、【魂】を【産靈】、【心】を【言靈】ためのものである。
故に、決して消してはならない。
消されてはならない。
消されることはない。
美しい【魂】から生まれた【心】のままの【言葉】を発すれば、【世界】は【彌栄】となる。
【未来】は、榮える。
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≪参考文献≫
伊藤博 新版『万葉集 現代語訳付き(全四巻合本版)』(2019年)角川ソフィア文庫




