転生少女、課題が終わらない
「疲れた」
本日最後の授業終了の鐘の音が聞こえ、机に顔を突っ伏した。
本当に休み時間、席に来やがった。それも毎時間。昼休みなんて「一緒にご飯食べよう」とか言い出すものだから流石に全力で逃走したわ。
リーナ的にはリアム様と一緒にご飯食べたかったらしいけど、私はまだ死にたくないんだ。ごめんよ。
「リディ。一緒に帰りましょう?」
頭上からリーナの声が聞こえる。いつもならすぐに返事をして帰宅の準備を進めるけど、今回はそうはいかないのです。
「ごめんなさい。今日の授業の課題がまだ終わってなくて。これから図書館に行かなきゃいけないの」
そう。課題が終わってナッシングなのだ。
この国の歴史についてレポートにまとめる課題が今日の授業の中であったんだけど、なんと私、現役大学生だったにも関わらずレポートが大の苦手。大学でも毎回レポートの評価は散々なもの。再提出なんて日常茶飯事。
そんな私がたった一時間でレポートを書き終えられる訳もなく、こうして居残り課題が確定した。
「あら、そうだったの。じゃあ、申し訳ないけど先に帰ってるわね」
「えぇ。本当にごめんなさい。この埋め合わせは今度必ず」
申し訳ない気持ちで一杯になりながらリーナに謝ると彼女はいいのよ。と微笑んでくれた。
めっちゃくちゃいい子。なんでこんな子が性悪腰巾着になってしまうのか、その理由が謎で仕方ない。
さて。リーナと別れた私は校舎から少し離れた場所にある図書館へ向かう。
二階建ての吹き抜け構造になっているこの図書館には高い本棚が所狭しと並べられていて、壁も防音素材が使用されている為、基本的にはいつでも静かな空間が約束されている。読書好きの人達にはさぞ堪らない環境であろう。
放課後ということもあって利用者は私の他に居ないみたいだ。広い図書室を地図を頼りに目的の本棚を見逃さないように辺りを凝視しながら練り歩く。
「えぇっと……。あ、あった」
目的の本棚に辿り着き手を伸ばした。
その時だった。
ーーガタンッ!!
「ひっ!?」
部屋の奥から突然何かがぶつかるような音が聞こえた。えっ、誰かいるの?それとも……幽霊の類!?
ど、どうしよう。このまま何も聞かなかったことにして本を読むのでもいいけど、それはそれで気になって本に集中するどころじゃなくってしまうだろう。
……確認してみるか。それで幽霊だったら、全力で逃げよう。逃してもらえなかったらどうにか交渉して命だけは見逃して頂く他ない。
意を決して足音を立てないようにゆっくりと音の聞こえた方へと歩んで行く。緊張と恐怖で少しだけ泣きそうになる。心の中で南無阿弥陀を唱え続けてないと正気を失いそうだった。
ーーすぅ。すぅ。
奥に近づくに連れて徐々に聞こえてきたのは規則正しい小さな呼吸音。
本棚の裏をそっと覗くと読書用に設置されたソファーの上で心地よさそうに寝息を立てる男子生徒の姿があった。
ピコン
「っ!?」
急に聞き慣れた電子音が鳴って驚いて肩が跳ねる。あぁ、ビックリした。心臓に悪いなぁ、もう。
キース・アルバーナ・ディルヘイム
侯爵家長男
やっぱり攻略対象だったのね。通りで見たことあるイケメンだと思いましたよ。少しだけ覗き込んでその綺麗な寝顔を拝んでみる。あ、髪の毛寝癖ついてるな。綺麗な銀髪なのに、ちょっと勿体ない。
キースって確かお姉ちゃんが推しだって言ってたキャラクターだったような気がする。
なんか秀才だけど一匹狼で常にやる気の無いキャラ。ってディスってるとしか思えないキャラ紹介をされ、「じゃあ、お姉ちゃんはどこが好きなの?」と聴いたら「全部❤︎」と返って来たという、割とどうでもいい事もついでに思い出した。
どのくらい寝ているのだろう。制服の至る所がよれてて胸元がだらしなくはだけてて、なんかやたら色気が……。
視線がどうしても胸元にいってしまい、ふるふると首を振って自分を戒める。
ダメだ。見なかったことにしてさっさと戻ろう。
寝ている彼を起こさないようにそっと踵を返した。
ーーパシッ!
「えっ!?」
唐突に後ろ手を掴まれる。慌てて振り返ると先程まで安らかな寝息を立てていた彼がいつの間にやら身を起こしていて、掴んだ私の手を惚けた様に見つめていた。
「ん……柔らかい」
「ひゃっ!?」
と思ったら掌をむにゅむにゅと握られてる!?な、なんなのっ。もしかして寝ぼけてる!?
「あ、あの……」
これには堪らず、おずおずと声を掛けるとまだ眠たそうに大きな欠伸をした後で薄く瞼を開ける彼の視線が私に向いた。
「……誰だ?」
「いや、それは私の台詞なんですけど」
いきなり掴んでおいてそれはないでしょ。
彼は自分が私の手を掴んでいる事に気がつくと「あぁ……わりぃ……」と全く感情の篭ってない声色でパッと手を離した。
指摘したかったけど、正直、彼の鋭い目付きに圧倒されて何も言えない。
超絶美形なのには違いないのに、なんだこの威圧感は。今の私、まるで蛇に睨まれた蛙みたいにじゃない。
「お前……」
ふと何か言いたげに私を見上げた彼だったけど、少し間が開いた後で「いや、なんでもない」と視線を逸らされた。
本当になんだこいつ。まぁ、いいや。私としても攻略者に関わるのは真っ平だし。
「そうですか。では、失礼します」
背中にまだ視線を感じながら、今度こそ振り返る事なく目的の本棚があった場所へと踵を返した。
くだらない事で時間を無駄に浪費してしまった。一刻も早く課題を終わらせるべきだったのに、終わらなかったらどうしてくれるんだあの人。
本を手に取り読書スペースの席に腰掛けると、ふぅとため息を吐いて持ち出した本の表紙をめくった。文字、文字、文字……たまに図。ページをめくるたびにびっしりと並べられた羅列に軽く絶望感を覚えた。これ、終わらない気がする。もう諦めようか。うん、そうしよう。
もちろんそんな訳にはいかず。結局、閉館時間になって司書さんが声を掛けてくれるまで私は懸命に用紙の余白を埋める作業に全勢力を注いでいた。