EP 24
沼沢の死闘
ガレンの制止を振り切り、シオンは一陣の黒い風となって、リザードマンの群れへと突撃した。そのあまりに無謀な単独行に、リザードマンたちの爬虫類の目が、一斉に彼女へと注がれる。彼らは、目の前の獲物が、なぜ単身で突っ込んできたのか理解できない様子で、その醜悪な顔に疑念の色を浮かべた。
「ハッ! 来なよ、ウスノロども!」
シオンは、獰猛な笑みを浮かべて挑発する。獣人族特有の野性的な咆哮が、湿地帯に響き渡った。彼女は、槍を軽々と操りながら敵の攻撃を紙一重で避け、巧みに後退。その進路は、明らかに、月明かりを鈍く反射する、広大な水たまり――底の見えない沼沢地へと向かっていた。
まんまと誘い込まれたリザードマンたちが、ぬかるみに足を取られて動きを鈍らせる。彼らの分厚い鱗を持つ足が、泥に深く沈み込み、本来の俊敏さを失っていく。その瞬間を、シオンは見逃さなかった。
「ここだね! あんた達には、ちと足場が悪いんじゃないかい?」
シオンが叫んだのと、城壁の上からフィアが号令をかけたのは、ほぼ同時だった。彼女の瞳には、シンイチから教えられた「予測」の知識が宿っていた。
「今よ、放て!」
弓部隊から放たれた矢が、的確に、足場の悪いリザードマンたちを一体、また一体と射抜いていく。彼らは、泥に阻まれ、矢を弾き落とすこともままならない。自分たちの仲間が、静かに、しかし確実に数を減らされていることに、群れの興奮状態にあるリザードマンたちは気づかない。彼らの目は、シオンというたった一匹の獲物に釘付けになっていた。
戦場の主役は、完全にシオンだった。
味方の矢の雨と、敵の振り回す剣の嵐。その二つの死線が交差する只中で、彼女は舞うように駆け抜ける。矢を避け、剣をかいくぐり、すれ違いざまに、槍でリザードマンたちの足を切り裂いていく。彼女の動きは、水を得た魚のように滑らかで、まるで泥濘の上を滑空しているかのようだった。その並外れた動体視力は、飛来する矢の軌道も、敵の攻撃の予備動作も、全てを完璧に捉えていた。
「な、なんて奴だ…! まるで、未来でも見えているかのようだ…!」
城壁の上で指揮を執っていたガレンは、その超人的な動きに、ただ戦慄していた。彼の目には、シオンがもはや、以前の盗賊の女ではなく、文字通りの「黒豹」に見えていた。
次々と数を減らしていくリザードマンの群れ。その数が半分以下になった頃には、戦いの趨勢は、完全にアルクス騎士団へと傾いた。
「はぁっ、はぁっ…! シンイチの地獄の特訓も、悪くないねぇ…。こんなに走り回ってるのに、まだ息が上がる気配もないとは」
シオンが、不敵に笑った、その時だった。彼女の獣耳が、沼地の奥から聞こえる微かな地響きを捉えた。
沼地の奥から、ひときわ巨大な影が現れた。体長は3メートルを超え、禍々しい紋様の入った分厚い鱗に覆われ、巨大な戦斧を携えている。その威圧感は、群れのリザードマンとは比べ物にならない。リザードマンキングだ。
「チッ、でかいのが出てきたねぇ。…潮時か。後は任せるよ!」
シオンは、自らの役目が終わったことを悟ると、流れるような動きで後退し、戦線から離脱した。その動きは、彼女が最初に単独で突っ込んだ時と同じくらい、淀みがなかった。
そのバトンを受け取ったのは、騎士団長ガレンだった。彼の顔には、疲労の色が浮かびながらも、確かな自信と闘志が宿っていた。
「全軍、行くぞぉぉぉっ!!」
ガレンは、それまでの守りの大盾を捨て、両手持ちの巨大な戦斧バトルアックスを振り回しながら、自ら先陣を切る。その姿は、まるで荒ぶる神のようだった。
「隊列を組め! 怯むな! 私に続け、突撃ぃぃっ!!」
フィアが率いる槍部隊が、一糸乱れぬ動きで前進する。シンイチに教え込まれた集団戦術が、今、その真価を発揮する。彼らは、リザードマンキングの巨大な戦斧の攻撃を、複数の槍で受け流し、いなし、その隙に的確なカウンターを叩き込んでいく。個の力で劣っても、組織的な動きで強大な敵を追い詰めていく。
数分にわたる激闘の末、ついにリザードマンキングの巨体が、大地に轟音を立てて崩れ落ちた。その体は、無数の槍の傷と、フィアの正確な矢によって、既に致命傷を負っていた。
フィアは、その骸に槍を突き立て、高らかに叫んだ。その声は、湿地全体に響き渡り、勝利を告げる凱歌となった。
「大将首、討ち取ったりぃぃっ!!」
「よしっ!!」
ガレンの雄叫びが、戦場に響き渡る。騎士たちの間から、歓声と安堵の吐息が漏れた。
戦いが終わり、後処理が続く中、ガレンとフィアは、息を切らして座り込むシオンの元へと集まっていた。彼女の顔には、激しい戦闘の痕跡が刻まれているが、その瞳には満足げな光が宿っていた。
「…良く、やってくれた。礼を言う」
ガレンが、素直に頭を下げる。彼の顔には、シオンへの感謝と、彼女の力に対する尊敬の念が浮かんでいた。
「…我々は、強くなりましたね、団長」
フィアは、自らの身体に漲る、確かな成長を感じながら言った。彼女の目には、もはやシオンへの嫌悪感はなく、互いの力を認め合った「戦友」への敬意が宿っていた。
シオンは、そんな二人を見て、汗を拭いながら、満足そうに笑った。
「ああ。シンイチの、あの地獄の特訓は、無駄じゃなかったってことさ」
かつての敵同士の間に、いつしか、確かな「戦友」としての絆が、芽生え始めていた。彼らは、シンイチの「治療」によって、単なる肉体的な強さだけでなく、精神的な結束力をも手に入れていたのだ。




