EP 23
黒豹の GAMBLE (ギャンブル)
月明かりが、じっとりとした湿地の水面を鈍く照らしていた。アルクス騎士団は、リザードマンの根城とされる、葦や流木で築かれた粗末な集落を眼下に捉え、息を潜めていた。夜の湿地は、爬虫類の生臭い匂いと、微かなざわめきに満ちている。
斥候からの最終報告を受け、団長のガレンが、小声で最後の作戦確認を行う。彼の声には、いつになく緊張が走っていた。
「――作戦を説明する。まず、第一陣のフィアが率いる火矢部隊により、奴らの根城を奇襲、混乱を誘う」
「分かりました」
フィアが、張り詰めた面持ちで頷く。彼女の弓を持つ手は、僅かに震えていた。
「次に、混乱して出てきたリザードマンどもを、第二陣の弓部隊で集中攻撃。残った残党を、俺とシオンが率いる本隊で殲滅する。以上だ」
それは、奇襲の手本のような、理にかなった作戦だった。だが、シオンは鼻を鳴らした。その金色の瞳には、どこか退屈そうな色が浮かんでいる。
「ふん、そう上手くいくのかねぇ」
「作戦に従え、傭兵。貴様は、我々の指示に従う契約だろう」
フィアが、鋭く言い返す。訓練で多少の連携はできたものの、根深い感情的な溝はまだ埋まっていない。二人の間に、再び火花が散った。
「止めんか、二人とも!」
ガレンが、低い声で一喝する。彼の声には、抑えきれない苛立ちが込められていた。
「ここまで来て、仲間内で争いを振りまくな。腹を決めろ。我々は、一丸となってこの戦いに勝つのだ」
「……分かりました」
フィアは、不満を飲み込んで頷いた。シオンもまた、大きく肩をすくめ、それ以上の反論はしなかった。
やがて、騎士団はそれぞれ所定の位置につく。湿地の草陰に身を潜め、火矢を構えた部隊の前に立つフィアの顔は、月明かりの下で青白く、しかし決意に満ちていた。そして、大きく息を吸い込み、夜の静寂を切り裂くように、叫んだ。
「――放てっ!!」
ヒュンッ、と風切り音を立てて、十数本の火矢が夜空を切り裂き、リザードマンの粗末な根城へと降り注ぐ。乾いた葦や流木は、瞬く間に炎を上げ、集落は瞬く間に火の海と化した。燃え盛る炎が、リザードマンの醜悪な姿を夜空に浮かび上がらせる。
「ギャオオオオッ!」
爬虫類の耳障りな叫び声と共に、慌てふためいたリザードマンたちが、巣から飛び出してくる。計画通りだ。騎士たちは、歓声を上げ、次の指示を待った。
「よし! 第二射、放てっ!!」
フィアの号令で、今度は通常の矢が、雨のようにリザードマンたちに降り注ぐ。放たれた矢が、夜空に無数の軌跡を描いた。
だが、次の瞬間、フィアたちは信じられない光景を目にした。
キン! カンッ!
リザードマンたちは、その手に持った粗末な剣や、分厚い鱗を持つ腕で、飛んでくる矢を的確に弾き落としていたのだ。一部の矢は鱗に弾かれ、空しく地面に落ちる。
「なっ!? 矢を、弾いただと!?」
ガレンの声に、動揺と焦りが混じる。致命傷を負った者は数えるほど。矢の雨をものともせず、怒りに燃えるリザードマンの群れが、一斉に騎士団めがけて突進を開始した。その数と勢いは、騎士たちの想像を遥かに超えていた。
「くっ!? 陣を後退させろ! 距離を取り、矢を放ち続けろ!」
ガレンが叫ぶ。だが、その愚直な戦法を、シオンは冷ややかに一蹴した。
「止めな、時間の無駄だ。このままじゃ、じり貧になるだけさ」
彼女は、ガレンの隣で、槍を一本、肩に担ぐと言った。その顔には、獰猛な肉食獣のような、不敵な笑みが浮かんでいた。
「――アタシが時間を稼ぐ。奴らの目線を、全部アタシに引き付ける。あんたらは、奴らがアタシに気を取られてる隙に、横から頭でも心臓でも、好きな所を狙いな」
その言葉に、フィアが血相を変えた。
「何だと!? そんなことをすれば、貴様も敵の的になる! 死ぬぞ!?」
「ハッ、アタシの眼を、見くびるんじゃないよ」
シオンは、獰猛な肉食獣のように、にやりと笑った。彼女の金色の瞳は、絶対的な自信に満ちて、爛々と輝いていた。
「あんたらの放つ、のろまな矢も、トカゲどもが振り回す鈍器も、アタシには当らないさ。全部、避けるからね」
その言葉は、まるで獣の咆哮のように、騎士たちの耳に響いた。彼女は、自らの命をチップにして、この戦況を覆すための、あまりにも無謀なギャンブルに、今、身を投じようとしていた。その姿は、夜闇に紛れて獲物を狙う、一匹の黒豹そのものだった。




