EP 12
医者の本懐
教会から城へ戻る道すがら、リオナはシンイチの横顔を盗み見ていた。マリージョに平手打ちをされ、正面から拒絶されたというのに、彼の表情は凪いだ湖面のように静かだった。怒りも、悲しみも、悔しさすら見受けられない。それが、リオナにはかえって不気味に思えた。
城の廊下で、シンイチは不意に立ち止まり、リオナに向き直った。
「リオナ」
「は、はい!」
「囚人は何処にいる?」
「え…?」
あまりに唐突な質問に、リオナは言葉を失う。
「先日捕らえた、武装兵崩れの罪人だよ。生きて捕らえた者が、数人はいただろう」
「な、何をする気なの…?」
リオナの声が、恐怖に震える。拷問? 処刑? 彼の冷徹さを考えれば、何をしでかしてもおかしくはない。
だが、シンイチから返ってきたのは、彼女の想像を遥かに超えた、狂気的とも言える理想だった。
「医療の、本当の目的を知っているか?」
「え…?」
「病気や怪我で苦しむ者をなくし、悲しむ者を一人も出さないことだ。究極的には、病院なんてものは無くなり、俺のような医者など、必要とされずに失業する世の中を創り上げることだ」
その瞳には、初めて見る、燃えるような熱が宿っていた。それは、神の領域にすら踏み込もうとする、天才の情熱。
「俺の研究の…いや、人類の悲願である『医学の発展』、そして、病気の無い世界を創るという、この大事業に協力しろ」
リオナは、もはや混乱の極みにあった。
目の前の男は、一体何を言っているのか。言っていることは、この上なく崇高で、慈愛に満ちている。だが、そのために「囚人を使え」と彼は言っているのだ。
「協力…って、まさか、彼らを…?」
「そうだ。臨床試験だ」
シンイチは、こともなげに言った。
「俺の知識と、この世界の魔法。その二つを組み合わせれば、どんな難病も克服できるかもしれない。だが、それにはデータが要る。あらゆるパターンの症例、投薬の反応、拒絶反応の観察。安全で確実な治療法を確立するためには、どうしても人体での臨床試験が不可欠なんだ」
それは、あまりにも合理的で、あまりにも非人道的な提案だった。
敵国の兵士とはいえ、生きた人間を「実験材料」として使えと、彼は言っている。
「そんな…こと…」
「彼らは、お前の民を殺そうとした連中だ。牢で朽ち果てさせるか、処刑するか。どうせ、ろくな死に方はしないだろう。ならば、未来の何億、何十億という命を救うための礎となってもらう。これ以上に有意義な死に方が、他にあるか?」
正論だった。恐ろしいほどに、それは真理の一面を突いていた。
リオナは、何も言い返せなかった。
彼女は、目の前の男の正体を、少しだけ理解した気がした。
彼は、神でもなければ、悪魔でもない。
ただ、人の命を救うという一点において、狂おしいほどに純粋で、その目的のためならば、他の全てを犠牲にできる。
――ただの、医者なのだ。
「協力、しろ。リオナ。これは、命令だ」
有無を言わさぬ、静かな命令。
リオナは、領主として、一人の人間として、あまりにも重い選択を、今、この瞬間に突きつけられていた。
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