EP 10
科学と祈り
リオナの案内で、シンイチは街の中心にある教会を訪れていた。古いが、丁寧に掃き清められた石造りの建物。中からは、子供たちの穏やかな笑い声が微かに聞こえてくる。
「教会、か。医者としては、あまりこいつらの世話にはなりたくないものだがな」
シンイチの皮肉めいた呟きを、リオナは不思議そうに聞き返すだけだった。
中に入ると、柔らかな日差しがステンドグラスを通して、床に優しい色の光を落としていた。一人の女性が、祭壇の前で静かに祈りを捧げている。その人こそが、マリージョだった。
「マリーさん、お忙しいところごめんなさい」
「あら、リオナ様。どうかなさいましたか?」
振り向いたマリージョは、穏やかな笑みを浮かべた。そして、リオナの隣に立つ、見慣れない黒衣の男に視線を移す。
「そちらの方が…」
「ええ。貴方が、シンイチさんですね?」
「ああ」
短い肯定。その無愛想な態度にマリージョが少し戸惑っていると、リオナが嬉しそうに紹介した。
「マリーさん! シンイチは、お医者様なのよ!」
「まぁ、お医者様…!」
マリージョの表情が、驚きと尊敬の色に変わる。しかし、シンイチはそんな感傷的な空気を、自らばっさりと断ち切った。
「時間が惜しい。本題に入ろう。あんたの回復魔法とやらが、どの程度のレベルなのか知りたい」
「え…?」
次の瞬間、シンイチはこともなげに自らのポーチから医療用のメスを取り出すと、ためらいなく自身の左腕を深く斬りつけた。
赤い鮮血が、僧衣の上にぽたり、と落ちる。
「シンイチ!?」
リオナの悲鳴が、静かな教会に響き渡った。
「さあ、回復魔法とやらをかけてくれ。効果をこの目で確認したい」
平然と言い放つシンイチに、マリージョはわなわなと震えていた。
「あ、貴方…!」
だが、目の前で血を流す人間を、彼女は見捨てられなかった。マリージョは駆け寄ると、震える両手でシンイチの腕を包み込む。彼女の手から、温かく、柔らかな光が溢れ出した。
光に照らされた傷口が、まるで早送り映像のように、肉が盛り上がり、皮膚が繋がり、みるみるうちに塞がっていく。数秒後、そこには傷跡一つ残っていなかった。
「ほう…。細胞の再生を外部から強制的に促進させるのか。合理的だ。実に興味深い現象だな」
シンイチは、自らの腕を動かしながら、冷静に分析する。
その、あまりにも非人間的な態度に、マリージョの堪忍袋の緒が、ついに切れた。
パーンッ!
乾いた音が、教会に響き渡った。
マリージョの、渾身の平手打ちが、シンイチの頬を赤く染めていた。
「――ッ!?」
リオナも、シンイチ自身も、何が起きたのか理解できずに固まる。
マリージョは、涙を浮かべた怒りの形相で、叫んだ。
「貴方! 自分の身体を、命を、何だと思っているんですか!? 試すために、自らを傷つけるなど…! 医者なのでしょう!? 人の命を救う者が、どうして自分の命をそんなにも軽んじることができるのですか!」
それは、命を預かり、命に祈りを捧げてきた彼女の、魂からの叫びだった。
生まれてこの方、誰かに本気で叱責されることなどなかった完璧超人は、ただ呆然と、頬の痛みを感じながら、目の前の涙目の聖職者を見つめることしかできなかった。
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