演技論
「ど、どうしたら良いんだろう……」
果実は事務所のソファにもたれかかりながら盛大に溜息を吐いた。
狐面が監督をする映画の撮影が始まってから数カ月が過ぎていた。メガホンから怒号が飛ぶことは日常茶飯事で、そんな中でもなんとか喰らいついて乗り越えて来た、……のだが。現在映画の撮影はストップしていた。更に果実を追い詰めるのは、その原因が自分にある事である。問題となったのは、映画の一番の盛り上がりとなるシーン。黒須演じる主人公が闇落ちする寸前の所で、果実演じるヒロイン・菜摘が懸命に引き留める場面だ。幾度となく台本を読み込み、菜摘の心情を考え、練習も欠かさずに行った。それでも、撮影本番に狐面から飛んでくるのは、「カット、カット、カット、カーット!!」というクランクインしてから一番熱の入っている怒号ばかり。監督の演技指導に従い変化を付けて演技をしている(つもり)でも、一向にOKは飛んでこないばかりか余計に監督を怒らせ、とうとう撮影がストップしてしまったのだ。
「わかんない……。『それは菜摘じゃない』ってどういうことなの……?」
はぁぁぁぁぁ、と果実は何度目かも分からない盛大な溜息を吐いた。
「あら、果実ちゃんお疲れ様。そんなに落ち込むなんて珍しいじゃない。狐面監督?」
と、そこに戸田が通りかかり果実に声を掛けた。気持ちが晴れないからだろうか、何故だか果実には戸田の美しさが一際輝いて見えた。
「ご存知かもしれませんが……。今までは何とか順調に撮影が進んでたんですけど、とあるシーンでどうしてもOKが出なくて……。狐面監督にも演技指導して頂いてるんですが、自分の中に上手く落とし込めなくて。撮影までストップしてしまってキャストやスタッフの皆さんに迷惑を掛けてしまっているんです。でも自分じゃ幾ら考えても分からなくて」
そこまで言って果実はハハハ、と自虐的な笑い声を上げた。改めて口にしてみると、自分の不甲斐なさに悔しさが募る。演技初心者が一流役者の中に飛び込むのだから、足を引っ張ることは覚悟していた。それでもやはり撮影延期の事態までは予測しておらず、申し訳なさや焦り、解決策が見えないことの不安など、段々と心に黒いものが浸食してくる。
そんな普段とは打って変わった果実の様子を戸田は静かに観察し、これは早急に対処が必要なやつだな、と結論付けた。
「ねぇ、果実ちゃん。春くんに相談してみた?」
「春くん?……あぁ、黒須さんの事ですか? いえ、相談していません」
「なら春くんに相談してみたらどう? 同じ事務所なんだし。春くん演技の経験は豊富だし演技力にも定評があって、若手ナンバーワン俳優なんて呼ばれてるのよ。きっと悩みを解決するヒントをくれると思うわ」
「黒須さんの演技力が凄いのは、今回ご一緒させてもらって間近で見させてもらっているので、イヤという程身に染みて知っています。……ですが、いくら同じ事務所だからといって頼ってしまうのも違うのかなって思って。ただでさえ迷惑かけているのに、アドバイスまでくれって言うのは些か傲慢なんじゃないかなって」
その言葉を聞いて戸田はある事実を察していた。黒須は果実に何も言っていないのだと。果実の見当はずれな心配に声を出して笑ってしまいそうになるが胆力で堪え、茶目っ気たっぶりの笑みを携えた。
「大丈夫、そんな心配要らないわ。……イイ事教えてあげる。ねぇ、果実ちゃんはどうしてウチの事務所からスカウトが来たと思う?」
急な戸田の話題転換に果実は一瞬眉を寄せる。戸田の言いたい事が果実には見当がつかなかった。
「有難い事にSNS等で話題になったので、それで社長が目を止めて下さったからでは?」
「うん、それも勿論一因ではあるね。けどね、一番の理由は——」
戸田は意図的に言葉を区切る。何も知らない純真無垢な顔をして自分の言葉を待つ目の前の果実が、まるで小動物の様に愛おしく感じた。
「春くんの推薦よ」
果実はその七文字を瞬時に理解することができなかった。時計の短針が幾らか周り、その意味を理解した時。
「え!? え、えぇーーーーーー!?」
体力お化け・小林果実が本気で腹から出したドデカい声が事務所内に響き渡った。
(うぉぉ。知ってはいけない事を知ってしまったようで、今までにない緊張を感じる……)
明くる日。果実は事務所内のとある部屋の扉の前に立っていた。目の前には手書きで「黒須使用中」と書かれた紙が貼られている。よし、と気合を入れてノックしようとしては、やっぱり待って、と手を引っ込める。そんな動作をかれこれ五分は続けていた。約束の時間よりも早めに到着していた事が幸いだ。でなければ、時間に遅れて黒須や黒須のマネージャーから雷が落ちていたであろう。
それはさておき。何故果実が黒須の元を訪れたのかというと、所属タレントのスケジュールを完璧に把握している戸田の計らいによるものだった。昨日果実の相談に乗った戸田はその後二人のスケジュールを確認し、両者のスケジュールが揃って空いている時間を押さえていたのだ。無論、話も戸田から黒須側へ通してある。その際に、「貴方がウチの事務所に推したんだからちゃんと相談に乗ってあげなさいよ」と綺麗な微笑みという名の圧を掛けられた事は黒須のみ知る話である。
事情を知らない者から見たら不審者極まりない行動をしていた果実だが、そうこうしている内に約束の時間が迫って来て。ちょっと待って、が効かない状況に追い込まれた事で意を決し、漸く扉をノックし入室したのであった。
「で? 俺に相談があるんだって?」
「ハ、ハイ。ご相談させてほしいなって事で訪問させて頂いた次第デシテ」
「……。なんでそんな借りてきた猫みたいになってんだよ」
「ア、イヤ。ソンナコトナイデスヨ。ゼンゼン。ウン、ゼンゼン」
足を組みリラックスした様子で椅子に座っている黒須とは対照的に、手を固く握りしめ膝の上に置き、背筋を伸ばしながらも身を縮めて目を泳がせている果実。なんなんだコイツ、とジトっとした目を向ける黒須に対して果実は、
(ちょっと待って!! や、なんか、私のことを評価してくれてたり、認めてくれている芸能人が身近にいたと思うと! なんか嬉しいけど照れるというか! 途端に緊張してきちゃうんですけどぉぉぉぉ!!)
顔を真っ赤にさせていた。
一向に話を切り出す気配が無い果実に、黒須は痺れを切らし溜息を一つ吐く。
「言っとくけど、お前の相談とやらを聞けるのは次の仕事までの十分ちょいだから。てか、仕事の相談だって聞いたから了承したのに、話す気ないなら帰ってくんない? 俺だって休める時に休みたいんだわ」
そこで果実はハッとした。撮影がストップしキャストやスタッフへ迷惑を掛けている事を散々気にしていたにも関わらず、売れっ子俳優である黒須の時間を自分の相談の為だけに貰っているのにこの有様は何なのか、と。黒須や戸田の厚意により獲得したこの貴重な十分。この時間を有用に使い糧にすることが、最低限の礼儀というものであろう。
(ほんと未熟な自分が嫌になる)
果実は一度自分の頬を思いっきり叩き、改めて黒須に向き直った。
「演技の事でアドバイス頂きたい事があります」
今日初めて合った眼は前に見た時と同じく恐ろしい程に真っ直ぐで。
「(良い眼すんじゃん) いいぜ。言ってみな」
不覚にも黒須は口の端を上げていた。
「菜摘になりきれない、ねぇ」
「はい。台本を読み込んで菜摘の心情を考えたり色々してるんですが、結果はご存知の通りで。狐面監督の言う『菜摘じゃない』の意味が分からなくて……」
黒須は自分がどこまで、何を言うべきか一瞬悩んだ。黒須の見解では演技というものに正解は無い。当然、キャストの役作りや監督からOKが出るか否かは存在する。だが、それも突き詰めて考えれば、「キャラクターに対する他人の解釈」の範疇に過ぎない。誰もその人物その者でない以上、正解など分からない。
「……あくまでこれは俺個人の意見だ。それを念頭に置いて聞けよ。今のお前は、『夏目菜摘になりきってる小林果実』であって『夏目菜摘』ではないんだよ。この違い分かる?」
「…………ンン?」
思わず手を添えて顎を突き出し首を捻る果実。
とても本業がアイドルとは思えない姿と表情に黒須は小さく噴き出した。
「そうだな……例えば、小林に憧れのアイドルや芸能人がいるとするだろ。で、その人みたいになりたいと思って所作や思考、持ち物なんかを徹底的に研究して真似したとする。でもそれはどこまでいっても、『憧れの人に限りなく近づけた小林』であって、『憧れの人』その者になれるわけじゃないだろ?」
「まぁ。それは確かにそうですね」
「俺から見れば今の小林の演技もそんな感じ。お前の考える夏目菜摘を真似ている、そんな感じに見えるから、どうしても小林果実自身がチラつくんだよな」
「う~ん……。何となく黒須さんが言いたい事は理解できたんですけど……。それを解決する手段無くないですか? 逆立ちしたって私は夏目菜摘本人にはなれないわけですし」
「これもあくまで俺のやり方だから参考程度に聞いとけよ。間違ってもそれが正解とは思うな。……俺はまず、脳内で演じることになった役を細部まで作り込む。可能であればそのキャラと似た様な状況に身を置いたりして実際に体験する。そうして、そのキャラが何を感じるのか、どういう思考をするのか、どういう感情でそのセリフを発しているのか、そういった事を一つ一つ肉付けしていく。そうして出来上がったキャラクター像を演じるんじゃなく、自分に降ろす」
「降ろす?」
「憑依というか……究極の思い込みってヤツ? その瞬間に限っては黒須早春じゃなく、そのキャラクターとして生きてんだよ。そのキャラクターとして生きて、感じて、動いて、喋ってる。それで台本とは違うセリフ回しになったりする事もあるけど、リテイクになる事は稀だな。要は、演じるキャラクターが目の前でちゃんと生きている様に見せられれば勝ちだと俺は思う」
「夏目菜摘を生きる……」
「そ。ま、俺が言えるのはこのくらいだな。新人らしく悩んで足掻き続けろよ」
ほれ行った行った、とシッシと手を払う仕草をする黒須。
優しいのか冷たいのかよく分からないこの男に果実はいつの間にか普段の調子を取り戻していた。
「黒須さん、演技とは関係ないんですけど一個だけどうしても聞きたい事があって」
「何? 先に言っとくけど、連絡先とかは無理だから」
ジト目で断言してくる黒須に果実は声を出して笑った。
この男も星川と同じく大層自信家なようだ。
「違いますよ! 戸田さんから私にスカウトを出したのは黒須さんの推薦があったからだって聞きました。何でも、普段は一匹狼みたいに他人と関わろうとしない黒須さんが珍しく推薦してくるものだから俄然興味が湧いたからだとか。どうして私を推薦して下さったんですか? 街で偶然一回会っただけの私を」
黒須は頬杖を付きながら果実の姿をチラリと視界に入れた。純粋無垢な曇りなき眼。野心や下心など一切感じさせない、素の人柄の良さを感じる雰囲気。そういう所なんだよな、と内心独りごちた。
「お前が外面だけいい顔してるヤツじゃないって知ってたから。街で会った時も……テレビ局で見てた時も」
「ん、テレビ局?」
「ま、その前にも会った事があるってだけだ。今さら気にすることでもねぇよ。じゃ、俺次の仕事あるから」
「え、あ、ちょ!? 黒須さん!? 言い逃げですか!?」
そんな果実の声を軽く聞き流しながら、黒須は足を止めることなく部屋を出た。
思い出すは果実に出会った二回の機会。一つは街での出会い。そして二つ目が果実が初めて地上波のテレビ収録を行った、あのテレビ局。スタッフがアイドルにぶつかってしまい、書類が散らばってしまった所を果実が一緒に拾い集めていた時。別のスタジオでテレビ番組の収録を行っていた黒須は偶然その場に居合わせ、廊下の影から見ていたのだった。最初はイイ奴じゃん、くらいの軽い気持ちだった。だが、その後偶然果実が出演したアイドル番組を見かけてガッツある奴じゃん、と思い。街で見知らぬ相手の揉め事に自ら首を突っ込んでいる所を見かけて、コイツは本物だ、と思った。ただそれだけ。それでも確かに黒須の心に小林果実が入り込み、
(ホント、バカみたいに飾り気が無くて真っ直ぐな奴)
黒須の心に居座り続けていた。
その後、黒須のアドバイスを受けた果実の演技は格段に向上した。練習に練習を重ね、自ら狐面監督の元に行き頭を下げ撮影再会。休止前とは見違える程に格段に上達した果実の演技では、レンズ越しに見えていた夏目菜摘の影に潜む小林果実の姿は皆無で。狐面は文句一つなく、一発OKを出した。周囲のキャストやスタッフは言葉を無くし関心する中、当の果実は周囲の評価に心躍らせることもなく、ただ「夏目菜摘」としてその場を過ごしていた。
そうして果実は女優デビュー作となる作品のクランクアップを迎えたのであった。




