ラブコール②
戸田が重厚感漂う扉を慣れた手つきでノックすると、「どうぞ~」とやや間延びした声が帰ってきた。入室の許可を確認した戸田は、「失礼します」と一声掛けてから扉を開き、戸田の後に続く形で果実も部屋に入室した。
「やぁやぁ小林果実くん、君に会える今日という日を待ちに待っていたよ。ささ、座って座って」
部屋の中で待機していた男は果実の入室を見るとすぐさま立ち上がり、人好きのする笑顔を浮かべて自身の目の前の如何にも高級そうな革張りの椅子をすすめた。
果実はアイドル活動を通して鍛え上げられた対応力により卒なく受け答えをするも、内心予想に反する余りにもフレンドリーな男の態度に動揺していた。
(この人が、あの有名な『チョメプロ』社長の蝶野環……)
すすめられた椅子に着席し相対する事となった男は、とてもそのような実力者には見えなった。
『蝶野環芸能プロダクション』通称・チョメプロ。チョメプロは大御所芸能事務所の一角を担っているが、他の事務所とは毛色が違い、一線を画している事で有名である。
まずチョメプロは一つの分野に特化した事務所ではない。所属するタレントは俳優、声優、歌手、舞台女優…など幅広く、また其々がその道の第一線で活躍している者なのだ。
そして、チョメプロは謎が多い事でも有名である。事務所が設立してからオーディションや社員募集を掛けたことは一度もなく、全てが社長である蝶野のスカウト方式。デビュー当初は「え? この子がチョメプロに?」と思われるタレント(アーティスト)も少なからずいたが、数年後には必ずその道のスターに化けている。自らチョメプロに掛け合いに行った若手芸能人も居るが門前払いされた、という噂まで出回っており、そのスカウト基準は謎に包まれていた。
また、社長・蝶野や事務所についての詳細が恐ろしい程世間に出回らない。社長・蝶野は自身が表舞台に出てくることは一切なく、所属アーティストが事務所の仕組みをインタビューで話す事もない。
チョメプロは謎多き少数精鋭のスター軍団なのである。
そんなチョメプロから果実はスカウトを受けた為、今この場に来ていたのだ。
かといって、そのスカウトに飛びつくマネはしない。果実には違えることのない目標があるのだから。自分の目標を果たすこと、自分のやりたいことを実現させることができるのかを見極める為の人生を左右する大一番。
「初めまして。蝶野環芸能事務所……世間で馴染みのある『チョメプロ』って言った方が分かりやすいかな? 社長・蝶野環です。今日は話を聞きに来てくれてありがとう」
「小林果実です。こちらこそ、お誘いいただきありがとうございます」
軽く会釈をし、改めて目の前に座る柔和な笑みを浮かべてウンウンと頷いている蝶野を見つめた。
見た目は四十代程だろうか。白髪混じりの無い綺麗な黒髪に精悍な顔つき。ピシっと着こなしているダークグレーのスーツ上からでも分かる、鍛え抜かれ無駄のない肉体。立った時の身長は目測で百八十センチ近いであろう長身に、持て余し気味に椅子から伸びている長い脚。非の打ちどころが無く取っ付きにくそうな風貌にも関わらず、物腰や表情は柔らかで親しみ易い雰囲気を醸し出している。謎に包まれたチョメプロ社長・蝶野環の第一印象は、何とも不思議な男であった。
「よろしくね。さて、早速本題に入るけど、僕は君に興味がある。是非ウチの事務所に、と言いたい所なんだけど……その前に一つだけ質問させてほしいな」
「はい、質問とは何でしょうか」
「君が目指しているものは……、君が戦い抜こうとしている芸能界で成し遂げたい事は何かな?」
穏やかに細められている蝶野の目元が、『小林果実』という人間の本質を見抜かんとばかりに一気に鋭さを孕む。
今まで経験して来たものを遥かに上回る圧に果実はたじろぎ肩を揺らすも、グッと力を入れると同時に膝の上に揃えていた手を固く握った。相手が此方を見極めんとしていると同時に、果実とて蝶野及び蝶野環芸能事務所が自分が所属するに値する事務所であるか選別しているのだ。年齢や経験、肩書など異なる事は山ほどあるが、この卓に着いた以上は対等な立場。それ以上でもそれ以下でもない。その事を肝に銘じ、果実は蝶野を真正面から見据え、ハッキリと自分の意志を告げるため口を開いた。
「私はアイドルとして『皆の心を照らし支えとなって背中を押してあげられる存在』になりたいと思っています。私がこの国に住む人を! この国を! もっと元気にしてみせる! そういった信念で活動してますし、これからもそうするつもりです。そこは何があっても曲がらないし、曲げません」
「ほぉ……」
強い意志の籠った真っ直ぐな果実の瞳を正面から受け止め、蝶野は顎に手を当て一つ唸った。そのまま瞼を閉じたかと思うと、
「うん、合格」
先程までの試す様な視線は消失し、心の底から良い人材を見つけたとばかりに嬉しそうに目を細めるのであった。
「是非君にウチの事務所に入ってほしい! それには勿論、君にウチの事務所を気に入って貰わないといけないからね。今から気合を入れてプレゼンするとしよう。戸田くん、資料を持ってきてくれるかな?」
至極楽しそうに年甲斐もなく声を弾ませる蝶野に果実が唖然としていると、どこから聞きつけたのか静かに退席していた戸田が入室して来た。優美な所作で品の良い香りが漂うカップを出され慌ててお辞儀をすると、クスっと少女の様な笑みを返される。
「気を張らなくて大丈夫ですよ。社長が正式に合格を出した以上、私達からしたら貴方様は何としてでも手に入れたい人材。私共が小林様のお眼鏡に敵うかどうか、リラックスして判定してください」
そう言うと、戸田は蝶野の前にも同様にカップを出し、共に持参して来た資料を手渡した。「どうぞ」と声を掛ける戸田に、「いつもありがとう」と返答する蝶野。この僅かな掛け合いだけでも、関係性が良好であることが感じ取れる。
「戸田くんの言う通り、君はもう僕たちからすれば大事な交渉相手だ。言ってしまえば、この場に於いて僕たちよりも君の方が立場が上だと言っても過言ではない。だから緊張なんかせずに、リラックスして聴いてほしい。さて、それじゃあ気合を入れて説明を始めようか」
戸田の退室を見送った蝶野が居住まいを正し口火を切ったのだが、
「あ、あの! その前に私からも二つ聞きたい事が……!」
話の腰を折る様で若干の申し訳なさを感じながらも、果実は蝶野に質問を申し出た。
「うん、勿論構わないよ。何かな?」
一体どんなことを聞かれるのだろう、と考えているに違いない、ワクワクそして嬉々とした表情で果実の質問を待つ蝶野。その姿に少しだけ肩の力が抜けたことは果実だけの秘密である。
「まず、どうして数あるアイドルの中でも私に声を掛けてくださったんですか?」
「君、最近何かと話題に上がる事も多かったし、僕自身も気になってたってのもあるけど……。その話をウチに所属しているタレントにしたら、その子が君は根っからの良いヤツだって言って推してくるモンだからさ。珍しいから余計に気になっちゃったんだよね」
(? チョメプロに知り合いなんて居ない筈だよね……?)
果実は心当たりのない会話が繰り広げられていた事に困惑するも、次の疑問へと移ることにした。
「……そうなんですね。では、後一つ。私は自分の信念に背くことはしたくないと思っています。なので、例えば過度に痩せるとか……芸能界で売れるため、生き残っていく為に必要かもしれないけれど、事務所の方針だったとしても受け入れられないこともあります。それでも、大丈夫ですか?」
「……僕の事務所はね。僕がその才能や人間性に惚れ込んだ人達が夢を叶える為に必要なサポートをすることを目的として設立したんだよ。事務所の方針は『所属タレントの希望を実現させること』って感じで、個人を尊重してタレント毎に合わせてる感じだね。だから、君が危惧しているような事はウチではないよ」
(あぁ、私はきっとこの事務所に心の底から入りたいと思うんだろうな)
蝶野の信念が伺える声色に、確かな眼差し。
まだ契約条件など本格的な話は一切していないというのに、果実は直観的にそう感じていた。この人は信頼に足る人だ、そう感じさせるだけの何かが、この蝶野環という男にはあった。
「ありがとうございます。先に聞きたかった事は以上です。是非、そちらの事務所についての詳細を教えてください」
若干の硬さを残していた果実の表情が完全に緩まる。
その変化を蝶野が見逃すこともなく。
お互いに前向きとなったスカウトの席は終始テンポ良く進んでいき。
数日後、小林果実は蝶野環芸能プロダクションに電撃加入を果たしたのだった。




