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果実の矜持

(いや~グループ抜けた実感って湧かないモンなんだなぁ~)


 新年度を迎えた四月一日。果実(かじつ)夏空(かくう)芸能事務所の最寄り駅まで遠路はるばる上京して来ていた。とはいっても事務所に用がある訳ではない。先述した通り今日は四月一日。卒業ライブもあっという間に過ぎ、果実は昨日付けで退所している。


 ショッピングモールでのライブやテレビ出演を経て知名度及び人気が急激に伸びた影響が諸に反映され、卒業ライブではチケットは完売、余裕のあった小規模ライブハウスは満杯、水色のサイリウムを振ってくれているファンは顕著な増加をみせていた。果実と同じくテレビ出演で見せ場を作り出した愛実(まなみ)も勢いは一歩及ばないながらも新規ファンを着々と獲得しており、三月末にはピンクと水色が二大勢力となる事態となっており。それを見た事務所社長・夏空(かくう)は自らの方針を曲げ、ギリギリまで果実の引き留めに掛かっていたことは二人しか知らない事実であろう。


 そんな裏での一悶着がありながらも当初の予定通り退所した果実が何故事務所の最寄り駅まで出て来たのか。それは単に本屋へ行く為であった。実は今日四月一日は従弟・杜中(もりなか)聡馬(そうま)の誕生日なのである。ライブに向けた練習やオリジナルソング制作関係で忙しなく動いていた果実は誕生日プレゼントを事前に用意することが出来ず、当日に買いに来た次第だ。聡馬は本好きであり、中でも紙媒体を好んでいるため本を贈ることは前々から決めていた。そこで地元には無い大きな本屋を求めて、第二のホームグラウンドと化した事務所最寄り駅周辺までやって来たのだった。


(お店の大きさからここに来たけど……やっぱり本が一杯で圧巻だな~)


 目当ての本屋に入店し果実は辺りをキョロキョロと見渡す。本屋なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、辺り一面本、本、本。特段本好きという訳でもない果実であっても心躍ってしまう。


(聡馬が持ってなくて読んだ事もなさそうな本がベストなんだろうけど……。う~ん難しいな~。本に関してはあいつ雑食だし)


 本の背表紙を流し見しながらピンと来る本を探す。果実が『雑食』と評する通り、聡馬は本であれば選り好みせず何でも読むのだ。小説、歴史書、ビジネス書、参考書、詩集、画集……。ジャンルを問わず知的好奇心の赴くまま。それ故に本であれば何を贈っても喜ばれはするのだろうが、どうせなら最大限喜ばれる物を贈りたいと思うのは人の性であろう。

 鞄から一枚のメモ用紙を取り出し、手に握る。その紙に書かれているのは数冊の本の題名。数日前に何だかんだと適当な言い訳をしつつ聡馬の自室に入れてもらい所有している本を確認し、本選びの参考にするためにメモしたもの。


(取りあえず! 聡馬の部屋に置いてあった本の一部は確認したし、叔母さんにもリサーチしたし。じっくりまったり探して行きますか!)


 今日も今日とてオリジナルソング制作は進行しているものの、労いの意味を込めて果実だけは一日オフとされている。そんな三人の温かい配慮に感謝しつつ、感情の起伏が乏しい年下の従弟が思わず笑顔になるような本を探し求めて、果実は本屋を練り歩いた。








(ビビッとくる本と出会えて良かった~。聡馬喜んでくれると良いな~)


 数時間後の昼過ぎ。人で賑わう道路を果実は上機嫌で歩いて行く。納得のいく本を見つけられたことが嬉しく、思わずスキップしてしまいそうになるのを堪えるも、見えざる音符を飛ばしてしまうのはご愛嬌。四月の穏やかな太陽の日差しを一身に受け、駅に向かっていると


——モブ永のクセして俺の言う事が聞けねぇってのか——


 微かにそう聞こえた。

 聞こえてしまった。

 音の出所は恐らく果実が今歩いている大通りから一本入った道から。気付いてしまっては見過ごせない。確認せずにはいられない。もしかしたら誰かが助けを求めているかもしれない。そう思ってしまったら『笑顔にする』ことを矜持としている果実からは、見逃すという選択肢が消失する。良くも悪くも、小林果実という人間は真っ直ぐなのだから。

 足に気合を入れ行き先を音の出所に変更する。一本入るとは云えど大通りからの距離は思いの外近かったようで、直ぐに現場へと辿り着き


「ねぇ、そこで何してるの?」


 果実は男達に声を掛けた。リーダーと思わしき男が二人を従え、残る一人の男の胸倉を掴んでいる状態。そしてその全員が見た目からして男子高校生であった。胸倉を掴んでいるリーダー格の男子高校生は頭に血が上っている様子に対し、掴まれている方の男子高校生は瓶底眼鏡を掛け表情が良く分からない。が、状況から見るに良くない状態であることは確かであろう。


「あ? なんだお前?」


 男子高校生の視線が一斉に果実へと向いた。胸倉を掴んでいる手は離れない。


「トラブってる様な声が聞こえてきたので。その男の子嫌がってるんじゃないですか?」


「ハッ。俺らは同じ学校の()()()()ってヤツなんだよ。分かる? フレ~ンズ。トモダチ同士のちょっとした言い争いに部外者が茶々入れて来てンじゃねぇよ」


「ちょっとした言い争いって感じではありませんでしたけど?」


「あぁ? ンだテメェ……」


 リーダー格の男子高校生は胸倉を掴む手を離し、果実と真正面から向き合う。いざとなったら瓶底眼鏡君の手を引いて大通りに逃げよう、と果実は考える。果実が介入した事によって見て見ぬフリをして通り過ぎていた人々が大通りから遠巻きにこちらの様子を伺うように状況は変わっていたのだ。相手の行動に瞬時に反応できるよう神経を研ぎ澄ましていると


「ってニシ君! この女、今話題の小林果実っスよ!! うわヤベー!! 本物マジ可愛い過ぎん!? へへへ……握手してもらっていいっスか!」


「うわっ、ずりーぞナカムラ!! 気づかないフリしてたのに! 俺も握手してください!!」


 子分その一が果実の正体に気付き騒ぎ出すと、子分その二もつられて騒ぎ出す。緊迫した空気が一変し、握手会でも始まるのかといったほのぼのとした空気が流れ出し。瓶底眼鏡の男子高校生にとっていた高圧的な態度とは打って変わり、ヘコヘコデレデレした様子で手を差し出してくる子分高校生達。そこで果実は彼らを見つめ


「私、『皆を笑顔にするアイドル』を目指しているの。そこの瓶底眼鏡君に寄って集って悪さをしようとしている所を見ちゃったらさ、今の君達と握手したいとは思えないの。だからね、そんなこと辞めたらまた会いに来て。その時はアイドル・小林果実の全力を以って君達と向き合うからさ!」


 そう言い切った。果実に真っ直ぐと見つめられた子分高校生二人は果実が放つ穏やかな光に魅せられる。その姿はまるで光源。しかし、直視できないような眩い光を放つのではなく、包み込むような穏やかで優しい光。


「おいお前ら! 腑抜けてんじゃねぇ!! お前も偉そうに説教くさい事言ってんじゃ——」


 毒気を抜かれた子分達を見てリーダー格の男子高校生は一層腹を立て。とうとう果実に掴み掛かろうとするも——


「そこまでだ」


 言葉を最後まで言うことも、果実の胸倉を掴むことも叶わず。その伸ばした腕は突如として現れた高身長な男に逆に掴まれ阻まれた。


「なんだお前っ!」


 リーダー格の男子高校生は威勢よく喰って掛かろうとするも思わず怯む。男は推定百八十前後の高身長でキャップ帽から覗く瞳はひどく鋭い。全身の服装が真っ黒である事も相まって、その威圧感は半端なかった。そして極めつけは掴まれた腕。男は痩せ型であるにも関わらず、振りほどこうと懸命に力を籠めるもうんともすんとも動かない。本能にして悟る。この男には自分では叶わないと。


「まだ、やる?」


 リーダー格の男子高校生が恐怖心を覚えだした頃を見計らってか、男は言葉による追撃をかました。それと同時に一層強く握られる腕。余りの恐怖によってかはたまた痛みによってか。リーダー格の男子高校生はヒッ、と思わず声が漏れる。


「お……俺らは悪くねぇし! 行くぞお前らッ!!」


「あ! 待ってよニシ君!!」


 攻撃の意志が無いと分かってか男は掴んでいた高校生の腕を案外簡単に離し、その隙にリーダー格の男子高校生は逃走して行った。ただし捨て台詞を吐くことは忘れずに。その姿を追うように子分高校生達も人込みへと消えて行き。果実と男、そして瓶底眼鏡の男子高校生だけが残った。何とか窮地を脱したことに安心して果実は一息吐くも、事態は次なる窮地を迎えていて。


「何々? なんの騒ぎ?」


「なんか高校生っぽい子が喧嘩してて、女の子が仲裁に入ったっぽい?」


「ちょっとヤバいかも~って時に真っ黒い男の子が入って行ったんだよね」


「え、てかその女の子さ……離れてて良く見えないけど小林果実っぽくね? 俺ファンなんだよ! もし本人だったら握手してもらえないかな!?」


 果実達が言い争いをしている間にギャラリーがさらに増えており、色々な意味でプチ騒動と化していたのだ。


(ヤッバー! 自分がそこそこ有名になって来てたの忘れてた~! ここで私が出て行ったらもっと騒動になるよね!? え、どうしよう!?)


 喧騒に目を向けていた男は、急に顔を真っ青にさせオロオロとする果実に視線を移し。


「こっち」


「ぅえぇ⁉」


 急に男に腕を引かれ、強制的に走り出した。


(あ……ホワイトムスクの香り)


 前を走る男からフワッと香る匂い。その匂いが何故だか果実は忘れることが出来なかった。









「ここまで来れば大丈夫だろ」


「あ…ありがとう…ございます…。お兄さん凄いですね……。全く息が上がらないなんて……。私も健脚に自信があったのに……」


 先導されるまま都会の裏路地を走り抜け。駅周辺かつ比較的人通りの少ない路地へと果実達は場所を移していた。男が腕を離すと同時に膝に両手を付く果実。自分がこんなにも満身創痍であるにも関わらず、男はケロッとしていることが果実は悔しく感じた。今まで田舎で鍛えた健脚が通用しない相手など居なかったのだ。

 話があらぬ方向へと飛んで行きかけている事を察知し、男は短くため息を吐いた後に口を開く。


「そもそも女一人で男三人相手に立ち向かって行くなよ、仕事でも無いのにさ。力で反撃されたらどうにもならないだろ」


「うッ……すいません……」


「あんたアイドルなんだろ? なら余計に変なトラブルは回避しろよな」


「うはッ……ごもっともです……」


 次々に飛んでくる言葉の矢が果実の心にクリーンヒットしていく。自分でも失敗したな、と思う部分ばかりを指摘されるのだから反論の余地もない。聡馬に似た正論パンチが繰り出されていることもあり今しがた会ったばかりにも関わらず、果実の心理的には男の前で正座して説教を受けている気分だ。物凄い既視感なのである。


「それにちょっとは顔隠せっての。そのままを出して都会の街を歩くなんて、見つけてくださいって言ってるようなもんだろ。ッたく、気を付けろよな」


 そう言うと、男は自分が被っていた黒いキャップ帽を果実の頭に雑に被せた。視界を遮る程に下げられたキャップ帽を上にあげると、男は代わりに着用しているパーカーのフードを被り、果実に背を向け既に歩き出していた。


「あ、あの! 名前! 名前を教えてもらえませんか!?」


 人込みの中に消えて行きそうなその背中に慌てて果実は声を掛ける。特にこれといった理由はなく唯々この人の名前が知りたいと、そう思ったのだ。体感で長く感じる沈黙を越えた先で


早春(そうしゅん)


 男の声が空気を伝って小さく耳に届いた。その名を果実は噛みしめ、


「そう……しゅん……良い名前ですね!」


 花のような笑顔でありのままを伝える。しかし、早春にとっては意外な反応であったらしく、その歩みを止め小さく振り返った。


「何でそう思うの?」


「お兄さんは表面上は少し冷たい感じがするかもしれないけど、心の底の根本的な所は他人を想う暖かさが感じられて……。それが寒い冬から過ごし易い春に向かう雰囲気に似てるなって思って! あくまで私の感覚の話なんですけど。それでも私は素敵な名前で、お兄さんにピッタリだと思いました!」


 果実の背後を電車が通り抜ける。早春の表情はフードの影になり見えないが、そこから覗く視線はほんの少しだけ和らいだ気がした。


「そ」


 それだけを言い残し早春は再び踵を返す。


「早春さん助けてくれてありがとうございました! いつかまた出会えたら、このお礼は必ずします!」


 消えかける後ろ姿に果実は叫ぶも、早春は振り返ることも手を振ることもせず。都会の街に紛れて行った。

 そんな四月一日の御伽噺の様な出会い。

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