踏み出した一歩
一週間が経過し、久々の登校。心配や驚愕など様々な意図を持った視線が降りかかる中、特に気にする素振りもみせず、果実はズンズンと廊下を歩き進める。この時間であれば今最も会いたい相手は教室にいることだろう。
一度教室に入れば、それまで和気藹々としていた様子が一気に静まり返った。果実の身に起こった悲劇に対する配慮から来るものなのだろうが、彼女にとっては腫物として扱われているようで、少々居心地の悪いものだった。気にしても仕方がないと思い、歩みを止めず突き進む。
果実の目当ての人物——松基璃日心も目を見開き、口を半開きにして
「果実……、あんた大じょうb——」
「璃日心、来て」
果実は口元に薄い笑みを浮かべながら困惑している友人の腕を引き、連行して行った。
果実が松基を連行した場所。それは屋上だった。昼は非常に混雑するのだが、朝の時間帯は部活に励む生徒や登校前の生徒も多く人っ子一人居ない。そのため、内緒話には最適な場所なのだ。
運動部がランニングでもしているのだろう。グラウンドからリズムの良い掛け声が聞こえてくる。その声をBGMに果実は中央付近まで歩を進め、ゆっくりと振り返る。改めて見た松基の顔は、今にも泣きだしてしまいそうな崩れた表情をしていた。その姿を目にした果実は眉を八の字に曲げ、困ったように笑う。本当にこの友人は良い性格をしている。
「なんで璃日心が泣きそうになってるの。……それよりごめん。心配して沢山電話もチャットもくれてたのに、放置しちゃって。やること一杯だったし心の余裕もなかったしで返せなった。本当ごめん」
「そんなの気にする必要ない‼ そんなことより、果実あんた大丈夫なの? 辛い時に何にも力になれなくてごめん……‼」
松基は二人の間に出来ていた距離を一息に詰め、果実を抱きしめる。シャツの肩口が湿っていくのを微かに感じ、所在なさげにしていた両手を松基の背後に回す。何故だろう。これでもかという程散々泣いたにも関わらず、また涙が込み上げてくる。
「何言ってんの。十分助けてくれてるじゃん。良い友達持ったなって、身に染みて感じてるくらいなんだから」
「~~。でも本当に大丈夫? 果実がこんなに朝早く登校してくるなんて今までだったら考えられないし、それにその髪……。頑なにロングを貫いてたのにバッサリ切って‼ 心配になる要素しかないよ‼」
松基の指摘に、その事なんだけどね……、と前置きをして体を離す。一呼吸置いた後に
「私、アイドルを目指すことにした」
しっかりと目を見て言い切った。
ひと際強い風が通り抜ける。
果実が松基を人気のない場所まで連行した目的。それは己の決意を唯一無二の友に告げるためであった。特に何かをしてほしい訳ではない。ただ松基にだけは自分の口から一番に伝えたかったのだ。
「え? ……え? いやいやいや、全然『その事なんだけどね』じゃなくない? 何にも繋がりなくない? え⁇ 繋がり見出せないアタシがおかしいのか……? え? 違うよね、そんなことないよね⁇」
唐突に告げられたアイドル宣言に松基は目を白黒させる。果実から告げられた言葉の処理に苦労している彼女は気付かぬ間に普段通りの様子に戻っていて。図ってか図らずか、いつの間にか湿っぽい空気は払拭されていた。
「ふふっ。滅茶苦茶端折って結論だけ言ったからね。璃日心は可笑しくないよ。……実は私のお父さんアイドル好きで、応援しながら頑張る活力をもらってたみたいで。生前はそのことを知らなくて色々自分本位な事言っちゃってて凄く後悔したの。どう償うべきか、どう未来に活かすべきか考えて。それで私が誰かの心の支えとなって背中を押してあげられる存在になれればなって思ったの。髪を切ったのはその決意表明。それと自分なりにアイドルについて調べてみたら、一世を風靡したアイドルってロングよりショート寄りの方が多い気がして。願掛けみたいな気持ちもある」
果実は側頭部の髪を指でクルクルと弄びながら恥ずかしそうに告げる。腰まであった長い髪はミディアムボブまで短くなった。風にたなびく髪が首筋をなぞり、くすぐったい。
「……念のため訊くけど、一時の気の迷いって訳じゃないんだよね?」
「うん。叶えたい、ううん、絶対叶えるって誓った夢」
「そっか、それならアタシは応援する。でもアタシ達まだ未成年じゃん。活動するにあたって保護者の承諾とか必要でしょ? その辺は解決してるの?」
「あぁ、それね。叔母一家に引き取られることになって、叔母さんには既に話して大学進学を条件に承諾もらってる。誠意と本気度を見せたくて初めて土下座したよ」
「相変わらず一度決めたら即行動の思い切りの良い性格で」
お互いに顔を見合わせ、一拍置いて笑い出す。変わってしまった環境。されど帰って来た友との日常。そんな取るに足らない瞬間が無性に愛おしい。
「なってみせなよ。この国に住む皆の心を照らすトップアイドルに‼」
「うん‼ その時には璃日心が私のファン第一号名乗っていいよ」
「言ったな~? 後で後悔しても返さないからね‼」
少女達の笑い声が響き渡る。二人の頭上に広がる空は、何時になく青く澄み渡っていた。
「分かってた。分かってたけどぉぉぉ~‼ 厳しいぃぃぃ~~‼」
あれからまた数週間が経過し。登校するなり果実は呻き声を上げながら机に突っ伏していた。応募可能なアイドルオーディションには片っ端から応募し続けているのだが、結果はどれも書類選考落ち。何連敗かは数えたくもない。
「そりゃそうでしょ。全くのゼロからのスタートなんだよ? 化粧っ気のなかった娘が日焼け止めを毎日塗る所から始めて。歌もダンスも音楽の先生なりダン部(※ダンス部の略称)の子なり捕まえて教えを乞って自主練して。まだまだ走り出したばっかりじゃん。敢えて忖度なしで言うけど、芸能界で通用する程に特段光るモノを持ってない果実が今の段階で上手くいく道理がない。長い目で見て研鑽に励むしかないって」
「ぐぬぬ……。ごもっとも。それはそうなんだけどさぁ~~‼ 心にくるモンはくるんだぁぁ~~‼」
悔しさのあまり下される小さな台パン。アイドルは勉強などとは違い、幾ら努力をしたところでそれが実を結ぶとは言い切れない世界だろう。果実とて甘くないことは十分理解している。が、『選ばれなかった』という事実は多少なりとも心に突き刺さる。
果実の思わぬ凹み様に松基は鼓舞するつもりが悪手を打ってしまったと悟る。何とか挽回しなければと掛ける言葉を思案していると
「よぉ小林。お前、アイドル目指し始めたんだって?」
同じクラスの男子生徒・大西が話に割って入ってきた。大西はクラスのガキ大将的ポジションを確立しており、自身の興味のある分野以外には理解や配慮を示さない排他的な一面を持つ生徒であった。そして彼の興味はアイドルには向いていない。
なんてタイミングで現れるんだ、と松基は内心舌打ちをする。
そんな松基の心情などつゆ知らず、大西はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら果実を詰り始めた。果実は机に伏したまま動く気配がない。
「もう高二の夏だぜ? ガキでもあるまいし今さら夢見てねーで現実見ろよ。そもそもお前、自分のことアイドルになれる程可愛いって思ってんの?」
「ちょっと‼ 言い過ぎでしょ。アンタには関係ないじゃない」
「なんだよ松基。俺は小林のことを思って言ってやってるんだぜ? 分不相応な夢を追い続けるものほど辛いことはないだろうよ」
松基がキッと鋭く睨むも大西は怯む様子がない。
正に一触即発な雰囲気に、クラス内に暗雲が立ち込める。
大西の歯に衣着せぬ物言いに腹を立てた松基が食ってかかろうとするが、腕を引かれ止められる。静止をかけたのは、それまで無反応を貫いていた果実であった。
果実は静かに大西を見据えたまま立ち上がる。その目は力強く、どこか有無を言わせない何とも言い難い迫力がある。何かを言いかけていた大西も果実に気圧され思わず口を噤む。クラス中が固唾を飲んで見守る中、とうとう果実が口を開いた。
「まず。私がアイドルになるなんて夢物語もいい所っていう事は、大西に言われるまでもなく十分理解してる。その上で。私は本気でアイドルを目指してる」
果実はそこで一度区切り、深呼吸をする。しかし逸る心臓は治まることを知らず、ドクドクと頻回に大きな音を鳴らし続けた。
クラス中の注目を集める中で荒唐無稽な夢を話すことに、今までにない緊張を感じる。それでも今ここで、皆の前で宣言しなければならないと思った。ここで踏みとどまってしまうようであれば、アイドルになる夢など到底叶う事がないように思えた。
己の胸を掴みながら、続く言葉を音にする。その声は微かに震えていた。
「『お前は可愛くないからアイドルになんかなれない』って? ブス上等‼ 自分磨きしまくって何時かアンタにも『可愛い』って言わせてやるわっ‼
可能性は限りなくゼロに近いかもしれない。でも‼ 勇気を出して一歩を踏み出しさえすれば、ゼロじゃない‼ 私は絶対諦めない。ほんの僅かな確率でも掴み取ってみせる‼ この国に住む人みんなに元気を与えられる存在になってみせる‼ だから見ていて。私が口先だけの奴で終わるのか、奇跡を起こして夢を叶えるのか。ちゃんと見届けて」
言い切って胸を上下させる果実に、一拍遅れてドワッと盛大な歓声が降り注ぐ。果実の決意がクラスメイトの心を打ち、好意的に受け入れられたようだった。教室の其処彼処から応援の声が上がる。
「なっ、なんだよっ‼ 見てろとかふざけた事言いやがって‼」
応援ムードに居たたまれなくなった大西は足早に教室から出ていく。もう少しで朝のホームルームが始まる時間になるのだが、再度戻って来るのだろうか。もしそうならば、少々滑稽ではある。
「果実やるじゃん‼ あんたのそういう逆境に強い所、アタシ好きよっ‼」
背後から松基が飛びつく。それを合図に果実はクラスメイトに囲まれた。
この一件は学年中、否、学校中に拡散し、果実は一躍学校の有名人となったのだった。
後戻りはもうできない。
後戻りをする気もない。




