本当にやりたいこと⑤
秘密の特訓を終え地元に帰り着いた頃にはすっかり夜遅くになっていた。
父・竹康の死後、叔母夫婦の家で共に暮らすようになった果実。しかし果実の実家と叔母の家は元々そこまで離れておらず、最寄り駅も一駅ズレた程度。そのため田舎住みであることに変わりはなく、レッスンやライブの度に数時間かけて都会に通っていた。
改札を抜け数分歩いただけで目の前を遮るものはなくなる。辺りは田んぼ一色だ。交通量に比例するように外灯も少なく、暗い一本道を独りで歩く。夏場は趣があり悪くはないのだが、冬は季節柄か寂しく恐怖心を感じるのだから不思議だ。
足を止めることなく、広大無辺に広がる美しい夜空を見上げる。
そこには数多の星と太陽の光を反射して優しい輝きを放つ月が悠然と佇んでいた。
——沈んだ顔をした人を笑顔にするのもアイドルの仕事——
星川の言葉が脳裏に蘇る。
(私……笑顔にできてない……。メンバーを泣かせて。初めてファンになってくれた方にも悲しい顔させて。このまま突き進んでも本当に良いのかな……?)
進んでいる道が正しいのか疑問を抱き始めるも、他に進める道が見当たらない。
選択肢がないため突き進むが、不安は拭えていないため考えは止まらない。
こうして正解のない問いの前で最適解を求め思考のドツボに嵌っていく。
だが今は独り。
その苦しく際限のないループから助け出してくれる者などいない。
少女の小さな背中は暗い闇の中に消えて行った。
「ただいまです~」
小さく囁き中の様子を伺いながら、そっと家の中へ足を踏み入れる。
もう夜遅く。叔母一家が就寝していても可笑しくはない。出来る限り物音を立てないように注意を払いながら帰宅後のルーティンをこなしていく。
やっとこさ食事にありつける、と空腹に耐えかねた腹を擦りながら冷蔵庫を開けていると、階段を駆け降りる足音が聞こえた。何かの聞き間違いでもなく、数秒後
「果実ちゃん、おかえりなさい。もう、連絡してくれれば駅まで迎えに行ったのに~! 変に気を遣わなくて良いんだからね」
「叔母さん! ただいまです」
と千鶴がやって来た。
お迎え云々に関しては愛想笑いでその場を凌ぐ。共に暮らし始めてから早数か月経ち大分打ち解けはしたものの、依然として遠慮は存在する。高校二年生ともあれば尚の事、そう易々と甘えることも出来まい。
なんとか誤魔化し続ける中、冷蔵庫から納豆一パックを取り出しダイニングテーブルに着く。これから夕食を食べるアピールをして追及から逃れようという魂胆でもあった。
しかし千鶴は果実の食事を見て眉を顰める。正確には食事内容を見て、だ。
「ねぇ果実ちゃん。今日も納豆だけなの? ダイエットする必要ないんじゃない? 今でも十分すぎるほど細いわよ?」
「事務所の社長から後五キロ絞るように言われてて。一か月以内に落とせないと最悪契約解除になっちゃうんです。ほら、ウチの社長って業界最大手のナイヨ事務所から独立した人じゃないじゃないですか。きっと売れるには必要な事なんだと思います」
「でも……」
「大丈夫です! アイドルって細いじゃないですか。きっと皆通って来た道なんです。夢を実現させるために私だって負けていられませんっ!!」
千鶴を納得させられるよう努めて無邪気な笑顔を作り、明るく振る舞う。
その姿を見て渋々納得したのか、はたまた忠告をするのが無駄だと悟ったのか。真意は不明であるが千鶴は、無理はしないでね、と一つ言い残しリビングを後にして行った。
少しでも満腹感を得るためチビチビと食べ進めるも、あっという間に空になる容器。
襲い掛かって来る空腹感から気を逸らそうと、ポケットから携帯を取り出しネットサーフィンをする構えを取る。と、そこで一通の新着メッセージを知らせる通知が目に入った。送信元は社長・夏空。常日頃、事務所から業務連絡にはスピーディーに反応するよう教育されている果実は、素早く中身に目を通す。そして机に雪崩れ込んだ。
そこには
『前に果実ちゃんお父さんが亡くなった時にアイドル目指し始めたって言ってたよね? それに両親は既に他界していて叔母さんに引き取られてるって。それを公表して前面に押し出していくのはどうだろう? 悲劇のヒロインって感じで新規ファン獲得できるじゃないかな?』
と感情の読めない無機質な文字の羅列が書かれていて。
「いくら何でも、お父さんを利用するような事はしたくないよ……。
……お腹も空いた。歌もダンスも私だって頑張ってる。メンバーに追いつけるように必死だよ。私の頑張りだって皆は見てくれてないじゃん……」
ダムが決壊したかのように内に隠していた本音がポツリと漏れる。今は自分一人しか居ない、という油断もあっただろう。しかし
「じゃあ辞めれば良いじゃん」
果実が気付かぬ間にその場にはもう一人、従弟の杜中聡馬が居た。
返って来る筈のない返答に、果実は目を見張り勢いよく上体を起こす。
見上げた先では、聡馬が普段通りの無愛想さで果実を見下ろしていた。真っ直ぐに突き刺さる聡馬の視線が果実の本音を見透かしているようで居心地が悪い。
「なっ、何言ってんの。辞める訳ないじゃん。やっとの思いで掴んだチャンスなんだよ? せっかく夢を叶えるために走り出せたばかりなのに。うん、そう。ありえない」
流れる静寂を嫌うように早口で言葉を連ねる果実。
が、聡馬は果実のペースに乗る気はないらしく無言で見つめるばかり。
射貫くような視線から目を逸らしたいのに、逸らせない。一つ年下の男子高校生から発生しているとは思えない妙な圧迫感に、果実はゴクリと喉を鳴らした。
「お前ってさ、何のためにアイドル目指してんの?」
「へ?」
要領を得ない聡馬の問いに果実は素っ頓狂な声を返す。
元々果実からまともな返答が得られないと想定していたのか、そのまま聡馬は話を続けた。
「周りからチヤホヤされたいから? そんなんじゃないだろ。お前が目指してるのは『周りを照らし笑顔を届けられるアイドル』だろ。
なのになんだよ、その体たらくは。腹空かせてカリカリになって無理して笑って。それでファンの人とやらは喜んでくれるのか? 少なくともお前を心配した母さんからは笑顔が消えたぞ。一番身近な人も笑顔にできないで、良く知りもしない他人を笑顔になんて出来んの?」
「それは……」
「社長が言うから必要な事だと思う、とかいうお前の主張も何なの。敷かれるレールを言われる通りにお利口さんに走ったらお前の夢は叶う訳? ただ自分で考えることを放棄しているだけだろ」
「っ聡馬に何が分かるのよ!! じゃあどうしろって言うの!? 華が無いって理由でオーディション落ちた私が他の事務所に受かる保証なんてないじゃない!!」
果実はキッと眉を吊り上げ、心のままに想いを叫ぶ。
だが、取り乱した果実の姿を目の当たりにしても聡馬に狼狽える様子は全くなく。
ひと際静かな目線で果実を見据え、ハッキリと己の意見を口にした。
「お前の夢を叶えるために『王道のアイドル』を目指す必要はないだろ。自己プロデュースしろよ。その結果事務所の方針と違うってんなら捨てるのもアリだろ。お前の目指してる所と事務所の目指す所が同じであるとは限らない。今の時代SNSだってある。限界以上に身を削らなくてもやりようはあるんじゃないか? 目的を見失うなよ」
「え……?」
晴天の霹靂。
苦しめられていた無限ループの中で突如として光が差した。
自分が成し遂げたい目的。それは変わらず『皆の心を照らし支えとなって背中を押してあげられる存在』だ。しかし手段であるはずの『アイドル』になることに躍起になるあまり、『トップアイドルになる』ことが気付かぬ内に目的にすり替わり始めていたのだ。
モヤが晴れ、一気に視界が開けた錯覚を覚える。
「ごめん聡馬、ありがとう。おかげで目が覚めた」
聡馬を見つめ返す果実の眼差しは光を取り戻していた。
もう迷わない。




