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レゾナンス・コード  作者: 橘 左近


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第9話 名前のない揺らぎ

 昼休みの少し前から、食堂は静かに動き始めていた。


 国立経絡共鳴学院こくりつけいらくきょうめいがくいんの食堂は、いつもと変わらない。

 白木の床。高い天井。整えられた光。

 列に並ぶ学生の足取りも、配膳の流れも、無駄がない。


 だが、その日だけ、ほんの一瞬だけ視線が集まった。

 水無瀬みなせしずくが、列に並んだからだ。


 誰かが声をかけるわけでもない。

 ざわめきが起きることもない。

 ただ、何人かが一瞬だけ、彼女を見る。


 水無瀬は気づいていないかのように、端末を操作し、表示されたメニューを眺めていた。


 九条玲真くじょう れいまは、すでに席についていた。

 三上直哉みかみ なおや神原修一かんばら しゅういちが向かいにいる。


 水無瀬は、迷わずそのテーブルへ向かう。

「みんな、久しぶり」

 水無瀬の笑顔は整い過ぎていない。

 

「久しぶりだね、水無瀬」

 三上が明るく応えた。

「もう良いのか?」

 神原が続く。

 

 九条は顔を上げ、水無瀬に優しい視線を向けた。

 水無瀬は九条を見つめる。笑顔が溢れる。

 

 水無瀬は当然のように、九条の隣に腰を下ろした。

 三上が一瞬、箸を止める。

 神原は何も言わない。


 桐生夏芽きりゅう なつめは、ほんの一拍遅れて水無瀬の隣に座った。


「おかえり、しずく」

 桐生が言った。

「みんな、ただいま」

 水無瀬は小さく笑った。


 配膳が終わる。


 九条の膳は、いつも通り筋肉寄りだ。

 水無瀬の膳は、見た目は穏やかだが、栄養配分はかなり細かく調整されている。


 水無瀬が、九条の膳をちらりと見て言った。

「玲真くん、それ…… 少し多くない?」


 一瞬、空気が止まった。


 三上が目を瞬かせる。

 桐生が、ほんの一瞬だけ視線を上げる。


 九条は、特に気にした様子もなく答えた。

「食べるか?」

「え、うん…… ありがと」


 三上と神原が軽く目を合わせた。

「何か自然だな」

 三上が戸惑いながら言った。


 水無瀬は、少し首を傾ける。

「……何か変だった?」


 誰も「変だ」とは言わなかった。


 桐生が、箸を動かしながら言う。

「九条くんってさ、ちゃんと見てくれるよね」


「何をだ」

 三上がく。


「人を」

 桐生は即答した。

「成績じゃなくて…… 使えるかでもなくて」

 三上が肩をすくめる。

「それ、褒めてるのか?」


「もちろんだよ」

 桐生は笑った。

「価値のある人ほど、見る目があるってことでしょ」


 水無瀬は何も言わない。

 ただ、九条が箸を動かす手元を見ていた。


「体調はどうだ?」

 九条が短く訊く。


「だいぶ良いよ」

 水無瀬は答えた。

「でも……治った、って感じじゃないんだ」


 三上が眉を上げる。

「え? もう普通に動けてるじゃん」


「うん……」

 水無瀬は少し考える。

「戻った、より…… 知った、って感じ」


「知った?」

 神原が聞き返す。


「前はね、苦しいってことしか分からなかった」

 水無瀬は自分の胸元に指を当てる。

「今は…… どこまで行くと、危ないかが分かる」


 誰も言葉をがない。


 だが、九条だけが視線を上げた。


 水無瀬が、何気なく言う。

「このメニュー、午後の実技だと少し重いかも……」


「データ上は問題ない」

 神原が即答する。


「うん」

 水無瀬はうなずく。

「でも、今日は…… ここに、逃げ場がない気がする」

 みぞおちのあたりを、指でなぞる。


 九条は、それを見る。

 何も言わない。

 だが、その動きを確かに記憶する。


 食事が終わる。


「また一緒に食べよ」

 桐生が明るく言った。

「5人で」


「うん」

 水無瀬はうなずく。

 

「しずく…… 笑顔が自然になったよ」

 桐生が言った。

「そうかな……」

「緊張感が取れたよな」

 三上が笑った。


 九条は立ち上がり、短く言う。

「……午後、遅れるなよ」

「分かってる」

 水無瀬は、少しだけ笑った。


 三上、神原、桐生の三人は、軽く目を合わせた。

 誰も口にしない。

 三人は、軽く微笑んだ。


 水無瀬は、新しい感覚を持ち始めている。

 九条は、それに気づいた。


 揺らぎが分かるのか?

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