表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レゾナンス・コード  作者: 橘 左近


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/13

第6話 揺らぎを拒否する身体

 校舎に囲まれた中庭は、風の通り道になっていた。

 石畳の隙間には細いライン状の光が走り、歩く学生の足取りに合わせて、淡く色を変えている。模様ではない。流れだ。人が集まるほど、そろっていく。

 中央には、低い円形のベンチ。5人が集まっていた。


「いや、でもさ」

 三上が言う。

「昨日の実技、水無瀬みなせだけ別格だったよな」


「完璧すぎて逆に怖い」

 桐生が肩をすくめる。

「レゾナ、ほとんど呼吸みたいだったし」


 神原が頷く。

「揺れがなかったな。教科書どころか、模範映像だ」


 水無瀬みなせは苦笑した。

「そんな大したことじゃ……」


 九条は、少しだけ視線を落としていた。


「でもさ」

 三上が続ける。

「あれだけ安定してたら、もう実戦レベルじゃね?」


 苦笑いを浮かべ、立ち上がろうとした水無瀬が、一瞬、わずかにフラついた。


 ほんの一拍。

 だが、桐生は見逃さなかった。


「しずく、大丈夫?」


 水無瀬は自分の足元を見て、笑おうとする。

 だが、頬の血色が戻らない。


「顔、ちょっと白いよ」

「そう…… かな?」


 九条は視線を上げない。

 だが、水無瀬の呼吸が、一瞬だけ乱れたのを感じ取っていた。


 少し間を置いて、水無瀬が言う。


「……最近ね」

 言葉を選ぶように、視線を落とす。

「ちょっと、疲れが抜けなくて……」


 一瞬、空気が止まる。


「大丈夫なの?」

 桐生が水無瀬の顔を見つめる。


「うん…… だから、病院行ってみようかなって」

 水無瀬は軽く言った。

「前から、体調あんまり良くなかったし」


「前から?」

 神原が聞き返す。


「昔から」

 水無瀬は目を伏せる。

「治したいとは思ってたけど…… まあ、諦めてた」


 三上が言葉に詰まる。

「それ、もっと早く言えよ」


「大丈夫だって」

 水無瀬は笑う。

「ただの確認だから」


 九条は何も言わなかった。

 だが、その笑顔を、少しだけ長く見ていた。



 恒和こうわ総合病院・診察室

 壁は淡い灰色に近い白で、角がすべて丸められている。照明は天井に埋め込まれているが、光源の位置が分からない。

 影が出ない。空間そのものが発光しているかのようだった。


 正面の壁には、大型の透明モニターが浮かんでいる。映っているのは、人の輪郭をなぞる、柔らかな線の集合体。経絡位相のリアルタイム投影だ。


 線は常に揺れている。止まらない。

 生きている限り、完全に静止することはない。 


「水無瀬さん」

 佐伯遼一さえき りょういちがカルテから視線を上げた瞬間、診察室の空気がわずかに締まった。


「自覚症状は、疲労感が中心ですね」

「……はい」

 水無瀬は即答したが、その声は少し遅れていた。


「具体的には?」

「朝、起きた時から重い感じがします。寝ても…… 抜けなくて」


 佐伯は頷きながら、もう一度モニターを見る。

 経絡位相の投影は、穏やかだ。乱れはない。むしろ整っている。


 整いすぎている?


「痛みは?」

「ありません」

「息切れ、動悸は?」

「……ない、と思います」


 一拍の間。


 相澤澪あいざわ みおは、その沈黙に引っかかった。

 ないではなく、ないと思う。

 患者が、自分の感覚を信用しきれていない時の言い方だ。


「過去の検査履歴を見ても……」

 佐伯は淡々と続ける。

「血液、画像、経絡スキャン。はっきりした異常は出ていません」


 水無瀬の表情が、ほんの少し緩む。

 だが、佐伯はそこで言葉を切らなかった。


「ただし……」

 指先が、モニター上の一点をなぞる。

「違和感は、ずっと残っている」


 水無瀬が息を呑むのが、相澤には分かった。


「異常がない、という結果と……」

 佐伯は言葉を選ぶ。

「問題がない、という判断は、同じではありません」

「……どういう、意味ですか?」


「身体が、うまく誤魔化している可能性があります」

 水無瀬の喉が、小さく鳴った。


 相澤は視線を落とし、カルテの余白に短く書き込む。

 〈主観症状と位相データの乖離かいり


「疲労感が続いているのに、数値が崩れない」

 佐伯は穏やかだが、声の芯は硬い。

「これは、楽観できるパターンではありません」


「……重いんですか?」

 水無瀬は、思わず聞いていた。


 佐伯は、すぐには答えなかった。

 代わりに、椅子に深く腰掛け直す。


「現時点では、判断できません」

 正直な答えだった。

「だからこそ、もう少し詳しく調べたい」


 相澤が、静かに言葉を添える。

「外来で追うより、入院で経過を見た方が安全です」


「入院……」

 水無瀬は、自分の手を見る。

 震えてはいない。力も入る。

 なのに、身体の奥が、どこか空洞のように感じられた。


「数日で済みます」

 相澤は柔らかく言う。

「生活リズムも、こちらで管理できますから」


 それは安心させる言葉のはずだった。

 だが、水無瀬には、逃げ場を塞がれたようにも聞こえた。


「……分かりました」

 少し遅れて、頷く。

「お願いします」


 佐伯は短く息を吐いた。

「では、検査入院の手続きを進めます」


 相澤は立ち上がりながら、水無瀬の横顔を見る。

 表情は落ち着いている。受け入れているように見える。


 けれど……


 経絡投影の揺らぎが、相変わらず少なすぎる。


 整っているのに、安心できない。

 数値に出ない違和感が、胸の奥に残る。


(……これ、軽くない)

 相澤は、その感覚を否定しなかった。



 夜。

 高層の壁面に埋め込まれた誘導灯だけが、呼吸をするように点滅している。

 自動扉は開閉の機会を失ったまま、待機状態の光を薄く帯びていた。

 廊下の足音は吸い取られたように消え、人の気配だけを遠ざけている。


 佐伯は、医局の扉を閉めてから端末を起動した。

 通信先に映った玲真の表情は、学校で見せるものとは違う。


「……確定した」

「病名は?」

 間を置かずに、玲真は聞いた。


多重位相固定症候群たじゅういそうこていしょうこうぐん

 佐伯は即答した。

「経絡が、自己最適化をやめている」


 玲真は、わずかに視線を伏せる。


「患者に進化型レゾナ使用歴は?」

 玲真がく。

「ある。しかも、極めて高精度だ」


 一瞬の沈黙。


「本人の意思とは無関係に、身体が最適を選び続けている」

 佐伯は続ける。

「揺らぎを拒否する身体だ」


 玲真の目が、静かに細くなる。

「……終了条件を、満たさない?」


「ああ」

 佐伯は頷いた。

 

「普通の鍼灸術師しんきゅうじゅつしじゃ無理だ」

 佐伯は一度、言葉を切った。


「触れた瞬間に、身体が完成形だと誤認して固定される。

 ズレも、逃げ道も、全部閉じる」

 少し間が空く。


「だから…… 多重位相たじゅういそうを保持できる君じゃないと、触る資格がない」

「正式依頼ですか?」


「正式だ」

 佐伯は言い切る。

「零室に頼みたい」


 玲真は、ゆっくりと息を吐いた。

「治療成功率は?」


「不明。下手をすれば、今より悪化する」


 玲真は、端末越しに佐伯を見た。

 その視線には、迷いがない。

「引き受けます」


 玲真が続ける。

「患者は…… 水無瀬しずくですね」

「そうだ」


「知っているのか?」

 佐伯が訊く。


「学校の同級生です」

 一瞬、空気が張る。


「それでも、やるか?」


 玲真は、わずかに口角を上げた。

「だから、やります」


 通信が切れる。

 玲真は端末を置き、暗い窓に映る自分を見る。


「……間に合う。まだ、間に合う」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ