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レゾナンス・コード  作者: 橘 左近


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第4話 整い過ぎた身体

 玲真れいまは、壁際の席でトレーを前に座っていた。

 食欲はない。だが、ここに来た理由は昼食ではなかった。


 恒和総合病院こうわそうごうびょういんの食堂は、病院の中央動線から少し外れた位置にある。

 救急や外来から切り離されるように、天井は一段低く、照明も柔らかい。

 注文は、職員証か患者用リストバンドをかざすだけで完了する。

 同時に、体調データが読み込まれ、内容が微調整される。


 向かいの席に座る一ノ瀬里緒(いちのせ りお)が、タブレットを操作している。白衣は脱いでいるが、くせで胸ポケットの位置を気にする仕草は変わらない。


「……里緒ちゃん、それ全部取れた?」

 隣に座る白石由梨しらいし ゆりが、小声で尋ねた。


「はい。午前中の分は、ほぼ全部です。特別治療室のモニターログと、患者の生体データ。あと、通常病棟の平均値も一緒に」


 

 カルテの片隅には、「水無瀬みなせしずく」の名前が表示されている。

 一ノ瀬は視線を上げずに答える。

 指は止まらない。


 玲真はその様子を横目で見ながら、コップの水を一口飲んだ。


「昼休みに、ここまでやるんだな」

 玲真がく。

「やらないと、後で見られなくなりますから」

 一ノ瀬の声は淡々としている。だが、どこか硬い。


「佐伯先生には、まだ?」

 白石の問いに、一ノ瀬は一瞬だけ指を止めた。

「……これからです」


 その返事を聞いた玲真は、少しだけ眉をひそめた。

「じゃあ、俺が持っていくよ」


 玲真が言うと、二人が同時に顔を上げた。

「いいんですか?」

「どうせ、俺も上に行く。ついでだ」


 一ノ瀬はタブレットを差し出した。

 画面には、数字と波形が並んでいる。素人目にも、何かがそろいすぎていた。


「……これ、正常値ですよね?」

 玲真が言う。

「正常です」

 一ノ瀬は即答した。


「でも…… 正常すぎる」

 言葉をいだのは白石だった。


 三人の間に、短い沈黙が落ちる。


 その沈黙を破るように、食堂のスピーカーから昼休み終了を告げる音が流れた。


「じゃあ、先に戻ります」

 玲真は立ち上がり、タブレットを軽く掲げた。


「佐伯先生に、渡しておきます」

 白石は小さくうなずいた。

「お願いします」



 昼食後、玲真は医局へ向かった

 医局は、病院の奥まった一角にあった。

 外来の喧騒けんそうからは切り離されているが、完全に静かというわけでもない。

 佐伯遼一さえき りょういちの席は、窓際だった。

 カーテン越しに差し込む午後の光が、机のはしを淡く照らしている。

 

 佐伯は、医局で一人、モニターを見ていた。

 ノックの音に顔を上げる。


「失礼します、佐伯先生」

「ああ、九条くん」


 玲真はタブレットを差し出した。

「昼のログです。一ノ瀬さんがまとめたものです」

 佐伯は受け取り、画面に目を落とした。


 数秒。

 次に十数秒。


 表情は変わらない。だが、視線の動きが明らかに遅くなっていく。


「……これは」

「俺には、正直よく分かりません。ただ」


「分からなくていい」

 佐伯は玲真の言葉を、やわらかくさえぎった。


「だが、これはおかしい」


 画面をスクロールする指が止まる。


「同一患者でも出るはずの個体差が、日内変動を含めて、あり得ない範囲で収束している」


「機器の不具合、ではないですよね」

「一ノ瀬がチェックしているなら、その線は薄い」

 佐伯は椅子にもたれ、息を吐いた。


「白石は何て?」

「データを見て、同じことを言っていました。正常すぎると」


 佐伯は小さく笑った。

 だが、その笑いはどこか乾いていた。


「彼女らしい表現だ」

 再び画面に目を戻す。


「……九条くん」

「はい」


「君は、これを見てどう思う」

 玲真は少し考えた。


「数字だけ見れば、理想的です。教科書通り。いや、教科書以上」


「だが?」


「人間じゃない、って感じがします」

 佐伯の視線が、わずかに鋭くなった。


「理由は?」

「理由は……ありません。ただ」


 玲真は言葉を選ぶ。

「生きてる感じがしない」


 佐伯は、しばらく黙っていた。

 やがて、タブレットを机に伏せる。


「今日のところは、ここまでにしよう」

「佐伯先生?」


「病院としては、異常は確認されていない。そう報告する」

 玲真はうなずいて言った。

「だからこそ…… 目を離さない」

 

 佐伯は静かに言う。

「正常という言葉は、時に一番危険だ」



 医局を後にし、特別治療室へ移動する。

 特別治療室は、通称、零室ぜろしつと呼ばれている。

 

 零室は、恒和総合病院の最奥にある。

 床材が変わり、照明の色温度が落ち、足音が吸い込まれた。

 扉の前には、看板も説明もない。

 あるのは、細い光のラインと、沈黙だけだ。


 玲真が近づくと、光が足元から立ち上がる。

 認証音は鳴らない。代わりに、空気がわずかに緩んだ。


 扉の向こうは、病室というより観測空間だった。

 ベッドは一台。

 金属でも布でもない、形状記憶の支持体。

 人が横になると、身体の重さが消えるように分散される。

 壁面にはモニターが並んでいるが、映っているのは数値ではない。

 色でも、グラフでもない。

 揺らぎだ。

 

 玲真が零室に入ると、白石と一ノ瀬は、モニターの前に立っていた。


「佐伯先生、何か言ってました?」

 白石が訊く。

「今は、様子見」

 玲真が答えた。

 白石は肩をすくめた。


「でも、見ないって意味じゃない」

 玲真が付け加えた。

 白石は、ほっとしたように息を吐いた。


「……私、最初は安心したんです」

「ああ」

「こんなに数値が安定してるなら、治療は成功してるんだって」


 モニターに映る、そろいすぎた波形。


「でも、見れば見るほど……

 一ノ瀬の声が、少しだけ震える。

「怖くなりました」


 白石は何も言わず、一ノ瀬の隣に立つ。


「人間って、こんなに揃いますか?」

 一ノ瀬が言う。

 白石は答えなかった。

 代わりに、モニターを見つめたまま言う。


そろいすぎるものは、大体、どこかで無理をしてる」

 その言葉は、誰に向けたものでもなかった。

 だが、確かにそこにあった。


 見えない何かが、静かに病院の中を満たしていく。



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