第3話 最適化された昼休み
昼休みのチャイムが鳴るより少し早く、食堂はもう動き出していた。
国立経絡共鳴学院の食堂は、いわゆる「騒がしい場所」ではない。天井は高く、白木とガラスを組み合わせた内装に、柔らかな光が満ちている。列に並ぶ学生は少なく、ほとんどが自分の席へ向かって歩いている。
中央の配膳カウンターには、料理そのものは並んでいない。代わりに、湯気をまとった映像が浮かび、香りだけが先に届く。
今日のメニューが静かに回転している。
〈経絡調整定食〉
〈腎陽補助定食〉
〈運動適応型たんぱく御膳〉
三上直哉が、目の前の表示を覗き込んだ。
「相変わらず、名前だけで腹減るな」
「選択は早めにしろ」
神原修一が淡々と言う。
「混み合うと、位相調整が荒くなる」
三上は舌打ちしながら、腕の内側を軽く叩いた。端末が反応し、彼の体調データが送信される。
「はいはい。今日も最適化ね」
九条玲真は、何も言わずに表示を見ていた。
一瞬、視線が止まる。
〈運動適応型たんぱく御膳〉
〈選択〉
数秒後、三人の席に、それぞれ違う膳が静かに運ばれてきた。人の手ではない。床下からせり上がるように、音もなく。
白磁の器に盛られた炊き込みご飯は、ほんのり薬草の香りがする。主菜は、火を感じさせない温度で仕上げられた魚と鶏。副菜には、色の違う和え物が少量ずつ添えられている。
三上が箸を取る前に、深呼吸をした。
「……よし」
「何してる」
「食前共鳴。やっとかないと、午後キツいんだよ」
九条は、箸を持つ手を止めずに聞いていた。
学生たちは皆、食事の前に一拍置く。目を閉じる者もいれば、軽く首を回す者もいる。それが当たり前だ。
神原が、九条の膳に目を向けた。
「相変わらず、筋肉寄りだな」
「必要だからだ。午後、動く」
三上が笑った。
「玲はさ…… 無駄な脂肪ついてないよな。見た目、もう完成してんじゃん」
九条は一口、魚を食べる。
「そうか」
「いやそうだろ。顔も体も。芸能科の身体最適化枠、余裕で通るだろ?」
「興味ない」
神原が淡々と続ける。
「今は、身体を管理するのが常識だ。自然任せの方が珍しい」
「それが普通ってのが、未だに慣れねえけどな」
三上は手首のディバイスを指差し、肩をすくめた。
そのときだった。
「ねえ、ここ空いてる?」
明るい声。
三人が顔を上げると、短めのポニーテールを揺らした女子生徒が立っていた。
「桐生夏芽です。同じ1年の」
その隣で、少し控えめに立っている小柄な少女が、軽く会釈する。
三上が目を丸くした。
「え、あ、どうぞどうぞ!」
神原は一瞬だけ視線を上げ、
「構わないよ」
とだけ言った。
桐生は勢いよく腰を下ろした。
「しずくもいいよね?」
「……うん」
「水無瀬しずくです。あの、よろしくお願いします」
桐生は九条を見る。
「九条くん、だよね? 昨日の……」
「九条だ」
箸を動かす手は止めない。
「いやー、すごかったよね!」
桐生は自分の膳を前に、身を乗り出す。
「床が逆に回るとか、初めて見た!」
三上が笑う。
「だろ? 俺、完全に置いてかれた」
「お前は起動すら怪しかったな」
神原が淡々と言った。
「うるせぇ」
水無瀬は九条に目を向けた。
「九条くんが起動した時…… 音が消えた瞬間、ちょっと……」
「ん?」
三上が聞き返した。
「……いえ、なんでもないです」
桐生は気にせず続ける。
「進化型レゾナって、やっぱ違うんだね」
三上が頷く。
「設計者はZEROだからな」
桐生は、九条を見る。
「九条くんは、ああいうの…… 慣れてる感じしたな」
「そう見えたか」
「うん。なんか…… 動きが綺麗」
九条は答えない。
代わりに、神原が口を開く。
「九条は家が医療系だ」
「え、そうなの?」
「父親が、病院を経営している」
三上が補足する。
「院長だってさ」
「へえ……」
桐生の目が輝く。
「じゃあ、レゾナは子供の頃から見てきたの?」
「日常だ」
九条が短く言う。
「しかも、母親はオリンピックのメダリストだ」
「100mのな」
三上が自慢げに話している。
「え、私も100mやってるけど…… 九条選手……?」
桐生が首を傾げた。
「結婚前は、鷹宮だ」
「鷹宮陽子!」
桐生が勢いよく立ち上がった。
「私、大ファンだよ。憧れの選手!」
桐生の目がさらに輝いた。
水無瀬が、そっと湯飲みに手を伸ばす。指先が、わずかに震えた。
九条は、その様子を一瞬だけ見た。
何も言わず、視線を戻す。
食堂の天井で、光がわずかに変わる。午後の授業への切り替えだ。
「また話そうね、九条くん」
桐生は笑った。
「ああ」
水無瀬も、小さく頷く。
五人は、それぞれの膳を片付ける。
膳は床下へ、静かに消えていった。
九条は立ち上がり、腕の内側を軽く押さえた。
微細な振動。
——午後の校内位相、更新完了。
誰も気づかない。
それでいい。




