第2話 最適化社会の裏側
零和医工の本社ビルは、街の中心から半歩だけ外れた場所に建っている。
高層だが、目立たない。広告もない。外壁に社名すら刻まれていない。
エントランスを抜けた先で、玲真は足を止めた。
ここから先は、通常の動線ではない。
床に埋め込まれた光が、彼の歩調に合わせて淡く脈打つ。エレベーターの操作盤には階数表示がなく、代わりに経絡図のような線が静かに流れていた。
玲真が、何も言わずにカードをかざす。
扉が開く。
音はしない。
扉が閉じた瞬間、外界の気配が切り離された。
上昇とも下降ともつかない感覚。重力が、わずかにズレる。
エレベーターが止まる。表示灯は、最後まで点かなかった。
第零設計室。
天井は高く、壁面には計測用のフレームが等間隔に並んでいる。モニターは多いが、どれも派手な映像を映していない。流れているのは数値ではなく、揺らぎだ。
足を踏み入れた瞬間、身体の奥が静かに整う感覚。
ここでは、意識より先に経絡が反応する。
設計室の中央には、円形の台座。
その上で、分解されたレゾナが静止していた。
円環。
中空構造。
幾何学的でありながら、どこか生体的な曲線。
設計室の照明は落ちている。
壁面に浮かぶ波形が、ゆっくりと巻き戻されていく。
篠宮晃司が腕を組んだまま言った。
「……あの実技室の映像、もう一回出してもらえます?」
結城透が指を滑らせる。
「ここだな。床が逆に回ったって騒ぎになった瞬間」
映像の中で、床の位相が反転する。
だが、数フレーム遡ると、別の異常が映っていた。
篠宮が眉をひそめる。
「床じゃないですね」
「だな」
結城は言葉を足さない。
代わりに、重ねて別の波形を表示した。
「実技室全体の経絡流量。回ったのは床じゃない。基準座標だ」
篠宮が小さく息を吐く。
「……空間そのものを、掴みにいってる」
その一言で、設計室の空気が変わる。
結城は続ける。
「しかも、この瞬間。音声ログ、全部消えてる」
「ノイズカット? 違う。位相ごと落ちてる」
映像には、確かに無音の一拍がある。
叫び声も、機械音も、何も残っていない。
篠宮が視線を逸らした。
「音が消えた、って生徒が言ってましたね」
「ああ。言い方は正しい」
結城は、ZEROの演算ログを横に並べる。
「進化型レゾナが動いた、って話になってるけど…… 実際は、その前だ」
「前?」
「進化型が追いついただけ」
篠宮が、ゆっくりと理解する。
「じゃあ、あの瞬間に起きた現象は……」
「レゾナじゃない」
結城は視線を、室内の隅に向ける。
そこに立っている玲真を見る。
「人間側だ」
結城は言った。
玲真は何も言わない。
篠宮が、思い出したように口を開く。
「だから、玲真さん…… あの場に慣れてるように見えたんですね」
結城が頷く。
「初見の反応じゃない。調整が入る前提の動きだった」
少し間を置いて、結城が話題を変えた。
「校内インフラの話だけどさ」
結城は、モニターから目を離さずに言った。
「設備を直接いじるより、人の流れを通した方が安定するケースが増えてる」
篠宮は、工具を拭く手を止めずに答える。
「経絡位相は、空間より生体の方が均されやすいですからね」
「そう。
人が動いて、呼吸して、無意識に調整してる場所」
結城は指先で空中に円を描く。
「そういうところは、ノイズが少ない」
「意外と、騒がしい場所の方が静かだったりしますね」
篠宮が小さく笑う。
「一人の強い反応より、百人の平均の方が扱いやすい」
「更新を入れるなら、流れが止まらない時間帯」
結城は淡々と言葉を重ねる。
「朝か、昼か、放課後か」
「逆に、誰もいない場所は危険ですね」
「跳ね返りが全部、作業者に戻る」
結城が言う。
篠宮は工具を置き、ちらりと結城を見る。
「反動処理ができない人間には、向かないやり方です」
結城は肩をすくめた。
「だからできる人間しか、触らせない」
一拍。
「……まあ、理屈の話だけど」
「ですね」
篠宮は、それ以上踏み込まなかった。




