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捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第六章 海の向こう

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四十日の前半と、読めない字の練習

船に乗って三日、船酔いで吐いた。


 桟橋を離れて半日で、足の裏に来ていた揺れが腹へ上がった。樽の間に横になっても、目を閉じても、船は動いている。固いパンを口へ入れかけるだけで、また喉が詰まった。


 俺は、船はダメみたいだが、ルーチェは平気みたいだ。


 頭の布を押さえ、船べりから戻ってくる。揺れに合わせて足を置くところを変え、俺の横へしゃがんだ。


「レイ、水だよ」


 背中を支えられ、椀へ口をつけた。


 船の水は、朝と夕方に椀で一杯ずつ配られる。これはルーチェが受け取ってきた分だった。


「……お前のだろ?」


「わたしは水袋のを飲む。レイは、椀の方が飲みやすいでしょ?」


 少しずつ飲んだ。ルーチェは急かさず、俺が顔を離すまで椀を持っていた。


「どうして、平気なんだ」


「分かんない。揺れても、気持ち悪くならないよ」


「うらやましいな……」


「レイは、今は寝てていいよ」


 昼は荷の間で休み、夜は人目を避けてルームを開けた。中に入るといくぶんかましだが、横になっても、腹に残った気持ち悪さはすぐには消えなかった。


 四日目の朝、ようやく空腹で起きた。


*


 船の主へ、仕事を休んだことをわびた。


 主は俺の顔を見て、腹を指した。


「もう、平気か?」


「はい。今日から見ます」


「途中で駄目なら、言え」


 俺はうなずいた。張り切ってまた吐いても、役には立たない。


 先に持ってきたパンを少し食べた。船乗りに教わった固いパンは、水で湿らせても端が硬い。干し魚をかむと、塩の味が口いっぱいに広がった。


「シチューの方がおいしいね」


 ルーチェが隣で言った。


 笑うと、まだ少し腹が痛かった。


「だよなあ」


「レイも、そう思う?」


「思う。今なら、なおさら」


 旅に出た最初の夜も、同じようなものを並べて、この子にそう言われた。


 今は三年目の春で、足の下には海がある。


「豆入りのスープなら、取ってある。夜に食べよう」


「うん。レイも食べられそう?」


「少しならな」


 ルーチェはパンを小さく割り、俺へ渡した。


*


 朝の仕事は、樽を見て回ることだった。


 腕に青い模様のある船乗りが、俺を案内した。水の樽が六つ、塩漬けの魚が八つ。並ぶ位置と印を確かめ、どこから使っているのか聞く。


 麦酒の樽が三つと、ワインが一つあったが、こちらは見なくていいと言われた。船乗りたちが昼に少しずつ飲むもので、水に混ぜると腐りにくいのだという。成人前の俺とルーチェには出ない。水が悪くなれば薄めたものを水代わりに飲ませる、とも聞いた。


 蓋を開け、匂いをかいだ。水面も、蓋の裏も見る。魚の樽では、上に見えるものだけで決めず、船乗りに手を借りて確かめた。


 港の七つ目の樽で気づいた匂いは、今日はなかった。


 けれど、知らない匂いなら、俺が見過ごすこともある。


「昨日と違ったら、教えてください。俺からも言います」


 船乗りはうなずいた。


「坊主、鼻がいいな」


「肉屋で教わりました。傷んだものは、混ぜる前に見つけろって」


「肉屋?」


「獣をさばく店です」


 男は分かったというように、手を動かした。


 塩漬けの詰め直し方は、この人の方が詳しかった。俺は邪魔にならないところで見て、次の樽では同じように手を添えた。


*


 その夜、ルームで短剣の手入れをした。


 ガレスさんにもらった方をふき、鞘へ戻す。それから、トーマが仕上げた短剣を取った。薄いあめ色の曲がった刃に、明かりが滑った。


 杭の芯の鱗は、印を保っている。この刃も、この子の体の一部だ。同じことができるかもしれない、と前から思っていた。


 刃の根元へ指を置き、印を残してみた。


 手を離しても、そこにあると分かった。鱗へ置いたときに似た手応えだった。


 もう一度触れてから、鞘へ収めた。


 寝床で丸くなっていたルーチェが、首を上げた。


 ——レイ、ルームの中から海は見えないの?


「窓がないからな」


 ——そっか。夜の海も見たかった。


「いつか、作れるかもしれない。今は、やり方が分からない」


「朝、また一緒に見よう」


 ——うん。


 大きな犬ほどの体が、寝床の上で動いた。翼を少し広げ、畳み直して、鼻先を前脚へ載せる。


 俺は背中をなでた。谷で並んでいた赤茶の体は、今はない。


 ルーチェの目が閉じてから、船へ戻った。


 荷の間に掛けた毛布をめくる前に、足音が近くにないか確かめた。夜も見張りは起きている。誰も来ないと決めてかかれる場所ではなかった。


 ルームを閉じ、革の上着の上から毛布をかぶった。胸の内側で、縫い込んだ鱗の縁が少し当たった。


*


 六日目の午後、トーマ製の短剣を落とした。


 潮をかぶったので、仕事が済んでからふいていた。荷の陰に腰を下ろし、鞘へ戻そうとしたところで船が傾いた。


 樽へ肩が当たり、指から柄が滑った。


 短剣が板を打ち、船べりの隙間へ動いた。海へ落ちる。


 手を伸ばしたが、届かなかった。


 それでも、印はすぐそこにあった。


 こっちへ。


 つかもうとした瞬間、伸ばした手の中に柄があった。


 俺は指を閉じた。短剣を膝の上へ戻してから、息が詰まっていたことに気づいた。肩から力が抜け、樽へ背を預けた。


 船べりと、手元を見比べた。


 俺は動いていない。


 短剣だけが、戻っていた。


「レイ、どうしたの?」


 ルーチェが荷の間を通ってきた。俺は声を落とした。


「短剣を海に落としかけたが……それが今、手に戻った」


 この子は短剣を見て、それから俺を見た。


「レイ、顔が変だよ」


「悪い、少し休む」


 周りを見た。船乗りたちは反対側で縄を引いていた。こちらを見ている顔はなかった。


 息が落ち着くまで待ち、短剣を鞘へ収めた。留め紐も確かめる。


 もう一度落としてみる気には、ならなかった。


*


 十日目、荷札の字を習った。


 船乗りが仕事を終え、空いた樽の蓋へ木炭で字を書いた。丸い形と、小さな点。四つ並べて、荷札の一部を指す。


「船の主の名前だ」


 名前を口にしてもらったが、うまく繰り返せなかった。まず形を写す。丸がつぶれ、点を置くところがずれた。


 男は首を横に振り、俺の字の脇へ、もう一度書いた。


 俺も書き直した。


 紙には、手元を見ながら写す。蓋に書いた分は布で消し、次に書く場所を空けた。


 その夜、ルームの食卓で、紙を広げ直した。


 鞄からリーナの手紙も出した。折り目を開くと、「私は急ぎません」という一行が見えた。その先には、帰ってくるまで待つと書いてある。


 油紙に包んだ写しを、その隣へ置いた。


 リーナの母親が遺した一行。森から返された紙にも、俺が書き足した「星」「還る」「待っている」が残っている。


 今日習った丸い字とは違う。


 俺は写しへ指を添え、読めない部分を目で追った。新しい訳を書き込めるところは、まだなかった。


 別の紙へ戻り、昼にずれた点を打ち直した。


 手紙の続きを急かさない人が、家にいる。それを読み終えると、もう一列だけ書く気になった。


*


 習い始めて三日目の夕方、船乗りが俺の書いた字を見てうなずいた。


「読めるぞ」


「これで、読めますか?」


「読める。坊主、お前の名前は?」


「レイです」


 男は、今度は二つの字を書いた。俺を指し、声に出して名を呼ぶ。


 その二つを、ゆっくり写した。


「レイ、わたしのも聞いて」


 隣からルーチェがのぞいた。男が顔を向けると、この子は自分で名乗った。


「ルーチェです」


 男は一度繰り返し、首を傾けた。ルーチェがもう一度、ゆっくり言う。


 蓋の上に、三つの字が並んだ。


 この子は木炭を受け取り、俺の名の隣へ写した。丸はつぶれず、点もずれなかった。


 男が少し目を大きくした。


「妹の方が、うまいな」


「……なんで、一度でできるんだ」


「見てたもん。レイが三日、間違えるの」


 ルーチェが木炭を返した。


 俺は二人の名を紙にも写した。海の向こうの字で書いた、レイとルーチェ。下へこの国の字で読みを添えようとして、手を止めた。


 二つとも、もう分かった。


 ルーチェが、自分の名を指でなぞる。指先が黒くなり、それを見て笑った。


*


 二十日目の朝、帆の鳴り方が変わった。


 俺には、その程度しか分からなかった。けれど、水を配っていた船乗りが空を見上げ、しばらく動かなかった。


 船首へ短く声をかけた。返事が来て、別の男が縄へ手を伸ばす。


 椀を受け取るとき、聞いた。


「風が悪いんですか?」


 男はうなずき、空を指した。


「風が変わる。荷を締めておけ」


「はい」


 鞄へ戻ると、ルーチェも空を見ていた。


「レイ、この風、嫌い」


「飛ぶときもか?」


「うん。翼を持っていかれる感じがする」


 俺は荷の紐を締め直し、紙の包みが濡れないよう、鞄の奥へ入れた。


 四十日。風が悪ければ六十日。


 岸で聞いたときより、あとに続く二十日が長く思えた。


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