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捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第六章 海の向こう

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風の悪い二十日と、腐りかけの樽

風が変わった日の午後、海が荒れてきた。帆がたたまれた。


 船乗りたちが横木へ登り、白い布を縄でまとめた。足を置いている細い木まで、船と一緒に揺れていた。


「下がれ。荷の方へ行け」


 腕に青い模様のある船乗りに言われ、ルーチェの手を取った。


 樽の間へ戻ると、体が持ち上がり、すぐに落とされた。最初の三日に腹を揺すられたのとは違う。座っていても、板から離れそうになった。


 男は荷の縄を確かめ、俺たちにも一本渡した。


「ここをつかんでいろ。立つな」


 示された縄を握った。ルーチェも俺の隣で膝を抱えた。


*


 夜には雨が来た。


 荷を覆う布が鳴り、端から水が流れ込んだ。革の上着にも雨が染みた。胸の内側の鱗を押さえ、ルーチェへ毛布の乾いたところを寄せた。


「冷たいな」


「うん。……この風、嫌い」


 繋がりから届く感じも、声と同じだった。


 船乗りが何度も荷を見に来た。足音が離れても、すぐ別の声がする。甲板では帆布を張り、雨を桶に受けているらしかった。だが船が傾くたびに桶は鳴り、波のしぶきも混じる。たまったのはわずかだと、男がぼやいていた。俺は毛布を引き上げ、二人で待った。


 夜が深くなって、ようやく荷の陰に人のいない間ができた。周りを確かめ、毛布の内側でルームを開いた。


 ルーチェを先に入れ、俺も濡れた服を替えた。大きな犬ほどの竜が、寝床で長く息を吐く。俺は毛布を広げ、その隣へ腰を下ろした。


 朝にはまた船へ戻り、荷の縄と水袋を確かめた。


 雨がやんだのは、四日目だった。船の揺れも、荒れていた日ほどではなくなった。


*


 帆は半分だけ広げられた。


 船は進んでいる。それでも、船乗りが指す方角は、前とは違っていた。来た方へ戻される日もあるという。


「六十日は、かかるかもしれん」


 男は空を見てから、俺に言った。


 出る前に聞いた、風が悪いときの日数だった。


 その朝から、配られる水が一日一杯になった。


 船乗りたちは、椀の水に麦酒を混ぜるのをやめた。昼に飲んでいた麦酒は、そのまま飲むようになった。水は、飲むしかない者へ回すためだという。


 四日の雨で桶にたまった水は、樽の半分にもならなかった。六つあった水の樽は、すでに三つが空いている。まだ残っている、と昨日までは見ていた同じ三つが、急に少なく感じられた。


 俺は受け取った椀を、ゆっくり口へ運んだ。


*


 二十五日目の朝、水の樽の前で手が止まった。


 木の匂いの下に、別の匂いがある。こけの生えた水場を思い出すような、青い匂いだった。


 蓋をもう少し開けた。


 水面に薄い膜が見えた。光の当たる角度を変えても、そこだけ違って見える。


 鑑定を通した。飲めるという表示はなく、傷みを示す文字が出た。


「この樽、配るのを待ってください」


 男が隣へしゃがんだ。俺の指したところを見て、匂いをかぐ。


「水が、腐ってるな」


「昨日と違う匂いがします。膜もあります。飲ませない方がいいと思います」


 男は主を呼びに行った。


 船の主も蓋の上へ顔を寄せた。しばらく見てから、俺に聞いた。


「全部、駄目なのか」


「上だけなら大丈夫とは言えません」


 主の目が、残りの樽へ向いた。


 俺もそちらを見た。別の樽を開ければ、この匂いがしないかもしれない。だが、それで今見つけた膜を、なかったことにはできなかった。


「これは配らない。印をつけておけ」


 主が言った。


 船乗りが蓋へ印をつけ、飲み水を汲む列から外した。ほかの樽も、一つずつ確かめ直す。


 俺はその横へしゃがんだ。


 見つけたからといって、水が増えるわけではなかった。


 昼、腕に青い模様のある船乗りが、椀を二つ持ってきた。


「今日は、これを飲め。薄めてある」


 中は水で薄めた麦酒だった。匂いだけで、港の酒場の前を通ったときを思い出す。


 一口飲んだ。喉を通ったあとで、頬が熱くなった。椀を膝の上に置き、息を吐いた。


 ルーチェは同じものを飲み、何も変わらない顔で俺を見た。


「レイ、顔、赤い」


「……そうか」


 船乗りが笑った。


「坊主は弱いな。少しずつ飲め」


 男が離れてから、残りの椀をルーチェへ寄せた。


「俺は、いいよ」


 この子は少し見てから、両手で受け取った。


*


 夜、ルームで予備の水を出した。


 港町で汲み、革の袋に分けてボックスへしまっておいたものだ。八十日分と数えて買い、さらに余るほど足した。ボックスの中では時間が止まるから、汲んだ日のまま腐らない。日中に使う袋だけは鞄に入れ、減れば人目のないところで足していた。


 残っている袋を並べた。これまで使った分を引いても、二人なら百日は困らない量だった。


 俺たち二人の分なら、持ってきた水へ切り替えても、まだ余る。


 ルーチェへ一つ渡すと、この子は口を開けかけて止めた。


「水はみんな、一日椀一杯だけだよ」


「ああ。知ってる」


「わたしたちだけ、飲むの?」


 俺は並べた袋を見た。


 二人には余るほどだ。船にいる全員に配っても、一月はもつ。だが、何日も前に買った荷から、汲んだばかりのような水が次々に出てくれば、その訳を聞かれるだろう。


 それが気になっている自分もいた。


 まだ、樽は残っている。本当に足りなくなったときに出せばいい。


「ルーチェ、明日から、俺たちの分は断ろう」


 ルーチェが顔を上げた。


「その分は、他の人たちに渡るの?」


「ああ。こっちの水を使えば、二人分がみんなに回る」


 この子は少し考え、うなずいた。


「じゃあ、そうしよう」


 水を飲んでから、袋を俺へ返してくれた。


*


 翌朝、水を配る前に船の主へ話した。


「俺と妹の分は、しばらく受け取らなくて大丈夫です。予備に持っていた水を使います」


 主は、俺の持つ革袋を見た。


「二人分、足りるのか?」


「はい。残りも確かめました」


 しばらく返事がなかった。


 主は帳面を開き、何かを書いた。それから顔を上げた。


「どこから出したかは聞かん。だが、覚えておく」


「……はい」


 朝の列から外れると、ルーチェが俺の隣へ来た。


 水を配る椀が、今日は俺たちの前を通らず、次の人へ渡った。


*


 四十日目の朝、風が戻った。


 帆が大きく広がった。船乗りたちが上げる声に、久しぶりに笑いが混じった。


「良い風が吹いてきたな」


 樽を見終えたところで、男が言った。


「あと、どれくらいですか?」


「このままなら、二十日だ」


 二十日。


 港で船を待った半月より、まだ長い。俺はうなずき、紙に残りの日数を書き直した。


 夜、ルームでルーチェが翼を伸ばした。


 ——レイ。海の上で飛べないの、変な感じ。


「人目があるからな」


 ——それもあるけど、違うの。


 広げた翼を、ゆっくり畳んだ。


 ——飛んだら、どこかに降りるでしょ。谷では岩も川原もあった。ここは、船しかない。


「……そうだな」


 ——船も狭いし、動いてる。誰にも見られなくても、降りられるか分からないよ。


 俺は昼に見た海を思い出した。


 船の周りには、水しかなかった。谷でこの子の背に乗ったときは、下を見ればどこかに岩があった。


 ——だから、今は飛ばない。


「ああ」


 ルーチェは前脚を伸ばし、俺の膝へ鼻を寄せた。背中をなでると、目を閉じた。


*


 六十日目の朝、陸が見えた。


 ヒンメルの月を海の上で過ごし、ハイラの月になっていた。


 船首から声がした。言葉は分からなかったが、船乗りたちが同じ方を向いたので、俺も顔を上げた。


 水平線に黒い線があった。


 近づくにつれて山になり、その手前に白いものが見え始めた。家が並んでいる。その上に、細く高い塔が突き出していた。


「レイ、あれ、何?」


「まだ分からない」


「高いね」


 この子は船べりを握り、目を離さなかった。


 俺も見ていた。町の形が分かるほど近づいてから、ようやく船の揺れが小さくなったことに気づいた。


 鞄の杭が樽へ当たる音も、少なくなっていた。


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