家が浮いている桟橋と、乗せてもらう値段
あれから、船が来たのは、待ち始めて半月経った日の朝だった。
窓の向こうに、柱が三本見えた。ルーチェが頭の布を巻きながら、俺を呼ぶ。
「レイ、来たよ」
荷を運ぶ人の声が、坂の下から上がっていた。
この半月、毎朝港を見に行った。薬草を干し、買い取ってくれる店へ運び、手紙も書いたし、ルーチェと魚を食べるのは、ここのところ毎日だ。
今朝は水袋を持ち、いつもより早く階段を下りた。
*
最初に船を見て思ったのは、家が浮いている、だった。
一昨年の秋と同じ言い方しか、思いつかなかった。船腹は宿の壁より高く、上を歩く人が小さく見える。横木にまとめられた帆の下で、縄を引く声が響いていた。
桟橋へ入れるのは、荷を運ぶ者だけだった。俺たちは道を空け、荷積み場の端で待った。
樽と木箱、それから布に包まれた長い荷が下りてくる。箱の横の荷札へ目を向けると、丸い字と小さな点が並んでいた。
前に見た名前に似ている。だが、読めない俺が形だけで同じ主だと決めるわけにはいかなかった。
「おお、坊主。また来たのか」
顔を上げた。
背の高い男が、荷を担いで立っていた。日に焼けた腕に青い模様がある。前に荷札の字を教えてくれた人だった。
「はい。また来ました」
男はルーチェを見て、俺の頭の高さへ目を戻した。
「大きくなったな」
「前は、一昨年の秋でしたから」
男はうなずき、荷を担ぎ直した。
「あの、船長さんと話せますか?」
「何かあるのか?」
「海の向こうまで、乗せてもらいたいんです」
男は俺を見た。次に、空いている桟橋を見て、あごで荷積み場の奥を示した。
「待ってくれ。今は、仕事だから」
「はい」
俺たちは邪魔にならないところへ下がった。
*
荷が途切れたころ、船乗りが呼びに来た。
船の主は、帳面を持って樽を数えていた。背の低い、腹の出た男だった。船へ短く何か言い、それから俺たちへ向き直った。
「人は、乗せない。荷の船だから」
「聞いています。それでも、二人を乗せてもらえませんか?」
「二人か?」
「俺と妹です」
主の目がルーチェへ移った。この子は、俺の隣で頭を下げた。
「金が、かかるぞ」
「払います。それと、薬屋で荷を確かめる仕事をしていました。食べ物や薬草の傷みを見る仕事なら、できます」
王都では、見分けた荷をマルタさんに確かめてもらった。魚市場では、獲れた場所の値段と、遠くへ運ぶための手間を見た。
乗せてほしいと言うだけでは、この人に渡すものがない。
「全部の荷が分かるとは言えません。知らないものは、聞きます」
主は帳面を閉じた。
「見せてみろ」
*
桟橋の脇に、この町で積む樽が十二並んでいた。
塩と、塩漬けの魚。日陰に置かれ、蓋には荷の印がついている。
「どれが、悪いかわかるか?」
俺は蓋を開けていいか確かめ、しゃがんだ。
前に見た海の向こうの木の皮には、鑑定で名前が出なかった。理由はまだ分からない。だが、文字が出なければ何もできないままでは、ここで仕事を頼めなかった。
樽を一つずつ確かめた。蓋の裏を見て、湿り具合と匂いを調べる。魚の樽では、上にある一匹も見せてもらった。
七つ目で手が止まった。
塩と魚の匂いに、別のものが混じっていた。甘く、鼻の奥に残る。肉屋の奥で、ベックさんに手を止められたときの匂いに似ていた。
上の魚を見る。それだけでは、はっきりしない。
「この樽です。奥に傷んだものがあるかもしれません。下まで見せてもらえますか?」
主が船乗りへ何か言った。
魚を別の桶へ移していく。底に近い一匹が出てきたところで、匂いが強くなった。
主も顔を寄せ、すぐに離した。
「……悪いみたいだな」
「はい。その一匹だけかは、残りも確かめないと分かりません」
主はうなずき、その樽をほかの荷から離すよう指示した。
俺は手を洗った。戻ると、主が待っていた。
「坊主、いくつだ?」
「十三です」
主は俺の手元をもう一度見て、帳面を開いた。
*
「毎日、水と魚を見てくれ。それから、運賃は銀貨三枚でいい」
俺はすぐには財布を出さなかった。
「二人で三枚ですか?」
「二人でだ」
「食事も入っていますか?」
「飯は自分で。水は配る」
食料は、ここで買う必要がある。待っている間の宿代も払った。俺は薬草を売った分を加え、手元に残る額を頭の中で数えた。出発のときに持ってきた銀貨は、まだ半分以上残っている。七年ぶんの薬草の稼ぎだ。
「水は、どれくらいもらえますか?」
「朝と夕方。椀一つずつ。勝手に取るのは駄目だ」
「分かりました。予備の水も持っていきます」
主はうなずいた。
「四十日、毎日見るんだ。それが値段だ」
「風が悪くて六十日になったら?」
主の指が、帳面の上で止まった。
「着くまで、見てくれ」
「仕事はします。銀貨は三枚のままで、いいですか?」
主は少し考えて、うなずいた。
「三枚だ。増やさない」
俺もうなずいた。安いかどうかまでは分からない。それでも、払い終えたあとに買える食料と、残せる金は分かった。
「寝る場所を見せてもらえますか?」
主は船乗りを呼んだ。
樽の間に、二人が横になれる場所があった。通り道からは外れている。屋根のある宿の寝台とは違うが、荷をまとめれば毛布を広げられそうだった。
ルーチェを見た。
「ここで大丈夫か?」
「うん。わたしも乗りたい」
戻って、銀貨を三枚渡した。主は一枚ずつ確かめて、帳面へ書きつけた。
「三日後の朝だ。妹は、船で静かにさせろ」
「仕事の邪魔はしません」
ルーチェが先に答えた。
主はこの子を見て、短くうなずいた。
*
宿へ戻り、女将さんに三日後に出ると伝えた。
「……海の向こうかい?」
「はい。乗せてもらえました」
「四十日だよ」
「食べるものも、水も用意します」
女将さんはエプロンで手をふいた。俺が置いた三日分の宿代から、一日分をこちらへ戻す。
「それでいいよ」
俺は銅貨を見た。それから頭を下げた。
「ありがとうございます」
理由は聞かなかった。
塩屋でも買い足した。主人は袋を渡しながら、船に乗れたかと聞いた。
「乗れました。三日後です」
「そうか。戻ってきたら、橋の話の続きだ」
俺は顔を上げた。
「橋の工事が始まっとるかを、あんたに言う」
「……はい。また聞きに来ます」
受け取った塩を、鞄へ収めた。
*
出発までに、食べ物と水をそろえた。
船乗りが教えてくれた干し魚と固いパン。豆と干し肉も買い、宿で煮たものは、冷ましてから人目のない部屋でボックスへしまった。水は飲む分だけでなく、食べ物に使う分も用意した。こちらも、日数より多めに買った。
六十日分に、さらに二十日分を足して、二人で数えた。風が悪ければ六十日と聞いているが、それより延びても困らないようにした。船で見せる荷と、ボックスへ入れる物を分け、すぐ使う水袋は鞄の外へ掛ける。
最後に、出航を知らせる手紙を隊商宿へ預けた。次に手紙を出せるのは、海の向こうへ着いてからになる。
宿へ戻ると、ルーチェが魚を包んでいた。
「それ、今日食べる分だぞ」
「分かってる。明日の分は、もうしまったでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、忘れてない」
俺も鞄の紐を確かめた。
*
出航の朝、桟橋の塩の山が小さくなっていた。
船へ積まれたのだ。この町の塩が、俺たちと同じ船で海を渡る。
板を渡ると、足の下が揺れた。桟橋とは違う動きだった。ルーチェが俺の袖を握り、船の縁を越えたところで、ほっと息を吐いた。
「まだ出てないのに、動くんだね」
「ずっと水に浮いてるからな」
荷の間へ鞄を置いた。船乗りがこちらを見て、寝場所を指した。
「ここだ。荷は、通路に出すな」
「はい」
帆が上がった。
横木からほどけた白い布が、風を受けて膨らんだ。ルーチェが顔を上げる。前は岸から見ていた帆の、その下にいた。
桟橋が離れ始めた。
俺たちは船べりへ寄った。坂の下の町が少しずつ小さくなる。屋根の段が重なり、見慣れた通りが区別できなくなった。
「レイ、船が出るところ、見られたね」
「乗って見てるな」
「うん。町の方が動いてるみたい」
ルーチェは布を押さえながら、しばらく岸を見ていた。それから、船の進む方へ顔を向けた。
海の向こうは、まだ見えなかった。
荷を置いたところで、こつ、と音がした。鞄の中の杭が、船の揺れに合わせて隣の樽へ当たっていた。




