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捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第五章 竜の谷

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残した杭と、山を下りる朝

ヴェークの月になり、出発の朝、俺は針を持っていた。


 峠の道が開き始めていた。谷の底の雪は、川の縁に少し残っている。ルーチェが上から見た山道にも、土の見えるところが増えていた。あとは歩きながら確かめる。


 ボックスの奥から、布包みを出した。


 鱗が二枚ある。夏に岩棚で拾い、この子から預かった一枚。それから、クヴェラの月の終わり、犬ほどの大きさに戻った翌朝に、川原で見つけた一枚。こちらも拾っていいか聞くと、俺にくれた。


 夏のは手のひらの半分ほどある。新しい方は親指の爪ほどで、並べるとずいぶん違った。落としたときの体の大きさが、そのまま出ている。


 拾った日に、一度いろいろ比べてみた。爪で弾いた音は同じで、短剣の先を当てても、どちらにも傷はつかなかった。重さだけは、見たとおりに違う。小さくても、硬さは変わらないらしい。


 トーマが作った革の上着を膝に広げた。内側には鱗を入れる袋があり、縁に糸を通す穴が空いている。


 大きな一枚を胸の側へ、小さな一枚を背中の側へ入れた。


「縫っておくぞ」


 隣で靴を履いていたルーチェが、顔を上げた。


「うん。今度は、着ていくんだね」


「せっかくトーマが作ってくれたからな」


 冬には針を持てなかった。今も、この小さな二枚で体じゅうを守れるわけではない。それでも、入れる場所は作ってもらってある。


 袋の口へ針を通した。糸を引き、次の穴へ通す。ルーチェは靴を履き終えてからも、手元を見ていた。


「そこ、もう一つあるよ」


「見えてる」


 最後の穴を縫い、糸を切った。


 革の上着を着て、上から旅の上着を羽織る。腕を回しても、鱗はずれなかった。外から見れば、いつもの旅装だった。


*


 岩棚の裏で、杭の頭に手を置いた。


 中の鱗に残した印は、まだ分かる。この杭は置いていく。遠くから飛べるかは分からないが、また来るつもりで残す目印だった。


 ルーチェがティオにした約束を、俺も覚えておく。


 手を離し、岩棚へ戻った。


 鍋も椀も片づけた。ルームに置いた日付の紙を畳み、旅の途中でも出せるようにした。しまう物はボックスへ、道で使う物は鞄へ入れ直す。火の始末をして立ち上がると、岩棚の下が広く見えた。


 ルーチェは人の姿で待っていた。まだ頭に布はない。朝の光が髪に当たっていた。


「忘れ物はないか?」


「ないよ。行こう」


 俺は鞄を背負った。


*


 ティオは川原にいた。


 馬ほどの赤茶の体が、雪解けの川の縁に立っている。右の前脚はもう引きずっていない。傷のあったところだけ、周りの鱗と色が違っていた。


 俺たちが歩き出すと、ティオもついてきた。少し後ろで石を鳴らし、川のよどみを過ぎ、谷が狭まるところまで歩いた。


 川が山道の脇へそれるところで、石の音が止まった。


 振り向くと、ティオは前脚をそろえて立っていた。俺たちとの間が空いても、そこから動かなかった。


 ルーチェが戻っていった。


 赤茶の首が下りてくる。この子はその鼻先に額を当て、押した。竜の姿で、よくそうしていたときと同じように。


 ティオが少し顔を引いた。短い声がした。


「……変な竜、って」


 ルーチェが俺を見た。


「まだ言うのか?」


「まだ言うんだって」


 笑って、もう一度鼻先へ手を添えた。何か短く声をかけたが、川の音に重なり、俺には聞き取れなかった。


 ティオは、その手のそばへ鼻を寄せていた。


 やがてルーチェが戻ってきた。


「また来るって、もう一度言った」


「ああ」


「レイ、布を出して」


 鞄から渡すと、この子は自分で頭に巻いた。髪を中へ入れ、端を押さえる。


「後ろ、少し出てる」


「ここ?」


「もう少し下だ」


 指でしまい直してから、俺を見た。金色の目は布では隠れない。それでも、この子は布を巻き終え、山道の方へ体を向けた。


 俺の手を取った。


「行こう」


 歩き始めてしばらく、後ろから石の音はしなかった。やがて翼が空気を打つ音がした。ルーチェは少し耳を傾け、それからまた足を進めた。


 長老は、見送りには来なかった。


*


 道の陰には雪が残っていた。柔らかいところを避け、崩れた土の縁を回りながら下りた。


 夜は人目のない場所でルームを開けた。竜に戻ったルーチェが寝床に丸くなる。俺も毛布を広げ、その隣で眠った。


 二日目の朝、尾根から北を見た。


 白い山が重なっている。あの間に谷があるが、岩棚も川原も、ここからは見えない。


「レイ、ティオはもう飛んでるかな?」


「どうだろうな」


「朝は、あの川のところにいることが多いんだよ」


 ルーチェはしばらく山を見ていた。俺が水袋をしまうと、こちらへ顔を戻した。


「もう歩けるよ」


「じゃあ、行くか」


 三日目の昼、エンデの町が見えた。


 隣で、ルーチェが頭の布を確かめた。端を指で押さえ、俺と一緒に坂を下りた。


*


 町へ入る前に、石積みの裏へ回った。


 通る人がいないのを確かめて、しゃがむ。杭の頭が、雪解けの泥から少し出ていた。


 ヴァーガの月に打った杭だ。


 杭の周りの土を、ひとすくいぶんだけボックスへしまった。支えを失った杭は、両手で引くとすぐに抜けた。膝ほどの長さの鉄が、泥の中から手元へ戻ってきた。


 芯には、この子の鱗が一枚入っている。抜いた後も、印は分かった。


 しまった土を穴へ戻し、足で踏んで均した。森で罠の穴を掘ったときから、土の出し入れだけは手慣れている。泥を落とした杭は、布で包んで鞄へしまった。ここを毎月の下山先にする暮らしは、もう終わる。次に使う場所は、これから決めればいい。


 最初は一本を庭に残し、二本を持って歩くつもりだった。そのうち一本は、谷に置いてきた。


 孤児院に一本、谷に一本。今、鞄に一本。


 荷を背負い直して、宿へ向かった。


*


 戸を開けると、主人が顔を上げた。


 白いひげの顔が俺を見て、それから隣の子を見た。


「……戻ったか」


「はい。今度は二人で」


「道が開いたな」


「雪は残ってますけど、歩けました」


 主人はうなずき、帳場へ戻った。近道のことも、冬の夜のことも聞かなかった。


「泊まるか?」


「はい。それと、手紙を一通お願いします」


 鞄から封をした手紙を出した。ヴェークの月のぶんだ。二人で山を下りること、これから南へ向かうことを書いた。


 家に帰る日は、まだ書けない。だが、二人で帰るつもりだとは書けた。


 主人は代金を数え、手紙を預かった。


「あの四人組は、この春は見とらん」


「……そうですか」


 俺はうなずいた。どこへ行ったのかまでは、この人にも分からない。


 主人は帳面を閉じ、ルーチェへ目を向けた。


「妹も、怪我はないか?」


「はい。大丈夫です」


「そうか。長かったな」


 ルーチェは俺を見て、それから主人へうなずいた。


*


 宿の裏で豆入りのスープを煮た。


 椀を二つ出し、そのまま並べた。ルーチェは頭に布を巻いたまま、火の脇へ座った。


「レイ、次はどこへ行くの?」


「港町だ。南へ下りよう」


「ザルツハーフェン?」


「ああ」


 潮の匂いと、坂の下の町を思い出した。魚を並べた市場。塩の袋。桟橋につながれていた、大きな船。


「今度は、船のことを聞きたい」


 ルーチェがさじを止めた。


「乗るの?」


「乗れるなら。海の向こうも、見てみたい」


 口にすると、まだ見ていない海の広さが気になった。船乗りは四十日と言っていた。風が悪ければ、六十日。乗せてもらえるのか、いくらかかるのかも聞いていない。


「三年で帰る約束には、間に合うようにする。日数を聞いてから決めよう」


「どのくらい、遠いの?」


「前に聞いたときは、船で四十日。風が悪ければ、もっとかかるって」


「山を下りる三日より、ずっと長いね」


「ずっと長い」


 ルーチェは少し考えた。


「そんなにずっと、海を見ていられるんだ」


「見飽きるかもしれないぞ」


「それは、わからないけど、わたしも、船に乗ってみたい」


 俺は笑い、椀を持ち直した。まずは港まで歩く。二人ぶんの船賃のことは、それからだった。


 食べ終わると、ルーチェが椀を重ねて渡してくれた。


 夜は借りた一室の戸を閉めてから、ルームを開けた。この子は竜に戻り、寝床へ上がった。俺は鞄を置き、毛布を広げる。


 鞄には、抜いてきた杭が一本入っている。


 谷に置いた一本を思い出していると、ルーチェが顔を上げた。


 ——レイ、明日も歩くんでしょ?


「ああ。もう寝る」


 明かりを消した。隣で翼を畳む音がして、やがて寝息に変わった。


 帰ったら、トーマに上着を見せよう。鱗を入れた場所も、残してきた杭のことも話す。


 その前に、まだ見たいものがある。


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