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捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第五章 竜の谷

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囲めない食卓と、よくわからぬという答え

クヴェラの月が、終わりに近づいていた。


 川の音が大きくなった。岸の雪が薄くなり、その下から黒い石が出ている。棚の上では、竜たちが背中の雪を落として翼を広げていた。


 ルーチェは、この月に入ってから毎朝、火のそばへ来た。


 冬のあいだは四日に一度だった椀を、今は温かいうちに受け取る。その朝も人の姿で隣に座り、スープを食べていた。


「レイ、今日、話すね」


「長老にか?」


「うん。呼んだの。こっちへ来る」


 俺は谷の奥を見た。まだ大きな影は見えなかった。


「レイも、そばにいてね」


「ああ」


「竜の言葉で話すから、すぐには伝えられないかもしれない」


「分かった」


 ルーチェは椀を空にし、俺へ渡した。立ち上がって服を脱ぎ、重ねて差し出した。


「これ、たたんでおいて」


 俺は受け取った。


*


 棚の上の竜たちが、谷の奥へ首を向けた。


 川沿いに、大きな体が現れた。こけのような色の背中には、もうほとんど雪がない。薄い色の目が川原を通り、ルーチェのところで止まった。


 この子は竜の姿で立っていた。馬ほどの体に、少し大きな翼。谷で過ごすときの姿だった。


 長老は頭を下げなかった。


 ルーチェが声を出した。


 低い音が続き、途切れ、また続いた。ティオへ話しかけるときより長い。俺は川原の脇で、服を抱えたまま聞いていた。


 その途中から、別の声が届いた。


 ——ここでは、大きいままでいられた。


 頭の中に来る、ルーチェの声だった。耳には、今も竜の言葉が聞こえている。


 ——昼に空を飛んで、ティオと一緒に寝た。布も巻かなくてよかった。生の肉も、少しなら食べられた。


 長老を向いた首は、そのままだった。


 ——嬉しかったよ。ここに来て、よかった。


 俺は動かずに聞いていた。竜の言葉は分からない。だが、この子が今、俺にも伝えようとしているのは分かった。


 ——でも、みんなで囲む食卓はないの。


 胸の前で、服を持つ手が止まった。


 ——レイとわたしの椀は、あるよ。レイは、いつも出してくれる。でも、みんなの椀がない。


 ルーチェの声が、少し遅くなった。


 ——アシェンの家では、みんないる。アリア姉が鍋を持ってきて、みんなで待つの。わたしも、あそこに座りたい。


 火の前へ来ない夜にも、俺は二つの椀を出していた。この子が欲しかったのは、それよりずっと多くの人で囲む食卓だった。


 ——嬉しいのに、寂しかった。どうしてだろうって、思ってた。


 低い音が一度途切れた。雪解けの水が石に当たる音が聞こえた。


 ——わたしは、外へ行くと狙われる。隠さなきゃいけない。それでも、帰りたい。


 ルーチェが首を少し上げた。


 ——残れって言われたけど、わたしは、レイと行く。みんなのところへ帰る。わたしは、レイの従魔で家族だから。


 竜の声がやんだ。


 俺は、口を開かなかった。長老も、しばらく動かなかった。


*


 返ってきた音は短かった。


 腹に響くほど低い声が、一度。ルーチェはそれを聞き、俺の方へ顔を向けた。


 ——よくわからぬ、って。


 この子が、人の言葉にして渡してくれた。


「……そうか」


 何が分からなかったのか、長老の顔を見ても読み取れなかった。食卓なのか、帰りたいという気持ちなのか、それ以外なのか。


 ルーチェは長老へ向き直った。また竜の声が始まり、俺にも言葉が届いた。


 ——わたしも、最初は分からなかった。頭を下げられて、ふるきひかりのけいふって言われても、どうしたらいいのか分からなかった。


 風が川原を通った。金色の翼の端が少し揺れた。


 長老は、ルーチェを見ていた。頭を下げることも、近づくこともなかった。やがて、低い声がもう一度響いた。さっきより長かった。


 ルーチェが俺の方へ顔を向けた。


 ——今も、よくわからぬ。だが、そなたが帰りたいところがあるのは、分かった。そなたの好きにするがいい、って。


 ルーチェが俺に伝え終わるころ、長老は上流へ首を向け、ゆっくり歩き出した。


 大きな足跡が、残った雪と泥に続いていく。棚の上の竜たちも、少しずつ顔を戻した。


 俺は、抱えていた服へ目を落とした。


 残るのかと聞かずに待っていた。けれど、平気なふりをしていただけだった。この子が家の食卓を口にしたとき、俺はほっとしていた。


 ルーチェは自分で話し終えた。俺が言葉を足すところは、なかった。


*


 長老の姿が遠ざかると、ルーチェが体を縮め始めた。


 馬ほどの背中が下がっていく。翼も小さくなり、前脚の幅が狭くなる。


 途中で一度止まった。息を吐き、また少し縮んだ。


 大きな犬ほどになったところで、顔を上げた。旅の道を歩いていたときの大きさだった。


 ——……できた。


「できたな」


 ——これなら、レイと一緒に道を歩ける。


「ああ」


 ——わたし、これで行く。


 俺はうなずいた。小さくなれとは、今日は言っていない。


 近くで石が鳴った。ティオが歩いてきて、ルーチェへ鼻先を下ろした。匂いをかぎ、短く鳴いた。


 ——……変な竜、って。


「まだ言うか」


 ——まだ言う。


 ルーチェも短い声を返した。それから俺を見た。


 ——変でも、いいって言った。


 ティオは少し首を傾け、隣へ腹をつけた。赤茶の体が金色より大きい。ルーチェはその鼻先へ顔を寄せ、もう一度何か言った。


 俺には意味は分からなかった。二頭がしばらくそうしているのを待ち、それから岩棚へ戻った。


*


 火をおこし、鍋をかけた。


 ルーチェも人の姿で来た。服を受け取り、袖へ腕を通したところで言った。


「ティオに、また来るって言ったよ」


「そうか」


「杭を、ここに残しておける?」


 岩棚の裏に、鱗を入れた杭がある。


 置いておけば、帰ってくるときの目印になる。ただ、遠くから二人で飛ぶ力が足りるかは別だった。町へ一人で行くにも、宿で休まなければならなかった。


「残しておこう。すぐ飛んで戻れるとは言えないけど、また来るつもりで」


「うん。……二度目も、ある?」


「また旅に出よう。そのとき、寄ろう」


 ルーチェは少し笑った。


「じゃあ、いい」


 椀を二つ出した。一つを渡すと、この子はさじを取った。


「俺も、みんなのところへ帰りたい」


 ルーチェが顔を上げた。


「うん。一緒に帰ろう」


 うなずいて、俺もさじを取った。


 今、並んでいるのは二本だった。家へ帰れば、その両側にまだたくさん並ぶ。


 ルーチェはスープを、ひと口食べた。


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