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捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第五章 竜の谷

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夜の杭と、山で冬を越す子

名なしの月になり、一段と寒くなってきた。今夜は月が出ていない夜だった。


 岩棚の裏の杭から雪を払い、頭へ手を置いた。中の鱗に残した印は、まだ感じられた。


 鞄には手紙を一通と、買い物用の空の袋を入れてある。水と食べ物、体に掛けられる布も、すぐ取り出せるところへ入れた。飛んだあと、ボックスを開く力が残るかは分からない。


 町の方にある杭を使うのは、あの往復以来だった。


 ルーチェが雪の上で首を上げた。ティオは隣で眠っている。


 ——行くの?


「ああ。今夜は下りるだけにする。宿で休んでから帰る」


 前もって話していたことを、もう一度言った。


「明日、まだ動くのがつらかったら、もう一晩泊まる。戻る日を決めて、無理に飛ばない」


 ——遅くなっても、休んでね。


「うん。食べるものは、さっき出したところだ」


 金色の鼻先が近づいた。手を置くと、温かかった。


 ——繋がりは、離さない。


 川原へ呼ばれたとき、この子は自分の方へ繋がりを引いたと言った。今日は、この子のところへ行くのではない。町の杭へ飛ぶ。それでも同じことができるとは思えなかった。


「ずっと起きて待たなくていい。俺も、向こうで寝るから」


 ルーチェは少し黙ってから、首を下げた。


 ——レイ、行ってらっしゃい。


「行ってきます」


 俺は杭へ手を戻し、目を閉じた。


 石積みの裏。土へ打った鉄の杭。その中にある印を探した。


 遠くに、印の感覚があった。


 それをつかんだ。


*


 足の下が雪になった。


 石積みが目の前にあった。雪をかぶり、上の形が丸くなっている。杭は足元の雪に埋もれかけていた。


 手をついた。


 膝が曲がり、そのまま座り込んだ。石に預けた肩を離せない。息を吸っても、胸の奥まで入ってこない感じがした。


 ルーチェとの繋がりが細くなっていた。


 向こうにいることは分かる。だが、何を感じているのか、はっきり受け取れなかった。


 ヴァーガの月に初めて飛んだときは、顔も上げられなかった。今は鞄へ手を伸ばせた。布を引き出して肩へ掛け、それだけでまた動けなくなった。


 雪の上に座ったまま、宿の明かりを見ていた。


 すぐそこなのに、立てない。


 何度も息を整え、指を握って開いた。ようやく石に手をついて立ち上がれたときには、体の芯まで冷えていた。


 山へ帰ろうとは思わなかった。


 宿の明かりへ向かい、足を運んだ。


*


 戸を叩くと、主人が出てきた。


 白いひげの顔が、俺を見た。それから後ろの雪道へ目をやった。


「……お前か」


「夜分に、すみません」


「山で冬を越すと言っとったな」


「はい」


「道は閉じとるぞ。どうやって下りてきた?」


 用意していた言葉が、なかなか出なかった。俺は戸口の木へ手をついた。


「……近道が、あります」


 主人の眉が動いた。すぐには何も言わず、俺の手を見た。


「入れ。凍える」


 戸が広く開いた。


 中へ入っても、脚は震えていた。帳場の脇へ座らせてもらい、鞄から手紙を出した。


「これを、お願いします」


「次の隊商は十日後の予定だ。それまで預かる」


 主人は運び賃を数え、手紙を箱へ入れた。


「泊まるな?」


「はい。まず、一晩。明日もお願いするかもしれません」


「一晩、銅貨三枚だ。今から飯は出んぞ」


「持ってます」


 銅貨を置いた。指を離すと、一枚が倒れた。主人が拾い、ほかの二枚と重ねた。


 その夜は、炊事場へも行かなかった。戸を閉め、寝床に座って持ってきたものを少し食べた。靴を脱ぐのにも時間がかかった。


 横になると、もう起き上がれなかった。


*


 翌朝は、日が高くなってから目を覚ました。


 宿の下で人が話していた。鍋の触れ合う音もする。立ち上がろうとすると膝が揺れ、寝床へ手を戻した。


 買い物は、あとでいい。


 俺は水を飲み、もう一度横になった。


 昼を過ぎてから、裏の炊事場へ行った。スープを煮て、椀を一つ出す。ここでは二つ出しかけなかった。ルーチェが谷にいることを、手も分かっているみたいだった。


 主人が薪を取りに来た。


「妹は、どうしとる?」


「上にいます」


「一人か?」


「一人ではないです。食べ物も置いてきました」


 主人は俺を見た。誰といるのかまでは聞かなかった。


「春まで、あと三月だ。雪が長引けば、もっとかかる」


「はい」


「毎月、来るつもりか?」


「来られれば。手紙を出したいので」


「その近道でか」


 俺はうなずいた。


 主人は薪を抱え直し、鍋の脇に一本置いた。


「帰りを急ぐなよ」


「……今夜も、泊まらせてください」


「ああ」


 それだけ言って、中へ戻った。


 俺は薪を火へ寄せた。近道の話を信じたのかは分からない。山道が閉じているのに現れた子を、変だと思わなかったはずもない。


 それでも、今夜も寝る場所はあった。


*


 預けた手紙に書いたのは、山の上で冬を越していることと、十三になったことだった。前に谷へ着いたときには、竜に会ったことも、ティオと名づけたことも書いた。


 今回は、その続きをうまく書けなかった。


 ルーチェがほとんど人の姿に戻らないこと。椀を戻す夜が増えたこと。長老に言われた話を、まだ全部聞けていないこと。


 書きかけると、俺が寂しがっているだけの文になった。それを家へ送れば、この子の気持ちまで俺の言葉で伝えてしまいそうだった。


 結局、食べ物と暖を取る場所はある、二人ともここで過ごしている、とだけ書いた。冬の便は遅れるかもしれないとも添えた。


 三月。三回。


 雪が解けるまで、そのくらい手紙を出せればと思った。次も来られるかは、今回戻ってからの体を見て考える。


 夕方、少し歩いて塩と保存のきく食料を買った。宿へ持ち帰り、戸を閉めてからボックスへしまった。帰りに運ぶ重さは減ったが、体調はまだ少し治っていなかった。


 日が暮れても山へ向かわず、もう一晩、宿の寝床で眠った。


*


 次の日の夕方、宿を出た。


 朝から歩いても脚は震えず、飯も食べられた。それでも、飛んだ先ですぐ働けるとは思っていなかった。


「お世話になりました」


 主人は帳場から顔を上げた。


「妹にも、無理させるなよ」


「はい」


 外は薄暗くなり始めていた。雪はやみ、道にほかの人影はなかった。俺は山道の入口へ向かった。


 石積みの裏へ回ると、宿の窓は見えなくなった。誰か来ないか確かめてから、雪を払った。


 杭の頭に触れた。


 谷の杭を探す。あちらにも、印は残っていた。雪の上で待っているルーチェの姿が浮かんだが、今たどるのは杭の中の鱗だった。


 息を整え、つかんだ。


*


 岩棚の裏へ戻った。


 膝をついた。手もつき、しばらく顔を上げられなかった。町で休んだぶんが、一度に抜けていくようだった。


 ——レイ!


 金色の鼻先が近づいた。


「……ただいま」


 ——おかえり。立てる?


「少し、待ってくれ」


 ルーチェは隣へ腹をつけた。俺は首の付け根へ手を置き、呼吸が戻るのを待った。


 前のように意識が途切れることはなかった。だが、一人で立とうとすると脚が支えられない。ルーチェの体へ寄りかかり、ようやく風の当たらないところへ移れた。


 繋がりは細くなっていた。それでも、心配している感じは届いた。


「二日、泊まった」


 ——うん。


「手紙は預けた。塩も買えた」


 ——ご飯より、先に休んで。


 俺はうなずいた。


 鞄から布を出し、体へ掛けてもらった。火をおこすのも、ボックスを開けるのも、あとにした。ルーチェのそばで横になると、もう座り直す気力はなかった。


*


 翌朝、岩へ背中を預けて、アリア姉の手紙を読み返した。


 夏に荷と一緒に届いたものだ。上着の内側に入れたまま、何度も開いている。


 ——帰ってきたら、何に使うのか教えてください。


 孤児院の庭に打った杭のことだった。


 井戸の脇に立つアリア姉を思い浮かべた。トーマが黙って地面を指し、台の脚からの距離を示しているところまで浮かんだ。


 帰ったら、説明する。そのつもりなのに、いつ帰るかは、今回の手紙にも書けなかった。


 三年で帰ると言って旅に出た。俺がした約束だ。この子がまだ話せずにいることを、その約束の答えにしてはいけない。


 ルーチェはティオのそばにいた。俺が顔を上げると、こちらを見た。


 ルーチェにはまだ聞いていない。ここに残るのか、それとも俺と一緒に旅を続けるのか。それはルーチェが決めることだ。答えが出るまで、待とうと思った。


 手紙を畳み、上着へ戻した。


 まず今日は、体を休める。体調が戻ってからでも話はできる。今はゆっくり休もうと思った。


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